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第3期若者訓練学校

投稿者: Administrator on .

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2009年1月4日から14日までゴスペルハウスでは、小グループの若者が集まり、集中冬季英語とビジョンスクールが開かれました。

今回の集中英語・ビジョンスクールは、これで3回目の若者訓練学校となりました。1日8時間~9時間程度集中して学びをし、昼や週末には、BBQハウス作りや外でそり遊びなどをしました。

英語は、アメリカのカリキュラムであるACEの教材を利用したり、英検の教材やTOEIC教材を利用して、マンツーマン形式や自習形式で行いました。


学びの内容

全体には、二つのテーマがありました。一つは、英語の実力向上ともう一つは、ビジョンを受け取る、あるいは、将来に自分が行くべき道を知るということでした。

まず、一つ目の英語力向上のためには、アメリカのACE教材を利用している子供には、実際英語で表現できるように英語で話す機会を設けました。すべての子供がそれぞれ英語の能力が異なるレベルにいるため、すべての授業は、マンツーマンで行いました。英検4級レベルから英検準1級レベルまで、それぞれ違うステージにいました。それで、マンツーマンで各個人の必要なところから学ぶようにしました。

午前7時起床、各自デボーション、7時30分から共同デボーション・聖句暗記など、共に朝食を準備し、楽しい朝食。9時から12時まで、午前の学び。12時昼食、昼食後雪のBBQハウス作り。2時ごろから5時まで午後の学び。そして、夕食後から、9時まで学びを続く・・・ 寝る前に、聖書の学びをし、就寝。

1週間が経った時から、すべて英語でしゃべることにし、英語で話す機会を設けました。高校生には、自分の証を英語・日本語で書く練習をしました。これは、終了式の時に発表しました。

集中して普段自分の勉強がルスになったりするが、このような機会で、自分で進み学ぶ習慣つくりが出来ることを願っています。


二つ目は、ビジョン(神様からの召しを受け取る)を知ることの大切さについて学びました。将来、自分が何をすべきであるか?をまだ、十代の時に知り、迷うことなくまっすぐな主への道を歩むために、自分が何を見て歩むべきであるかを知ることと主により頼むことから、また、神様がどのように私たちを導いて下さるのかを学ぶことから、身近なところで出来ることを行うように指導しました。

将来をあきらめる・あるいは、無知のままふたを開かないのは、自分に与えられた人生を無駄にすることであり、与えられた賜物(タラント・才能)を無駄にすることとなります。いち早く自分の生まれた理由を解り、それを成し遂げるために自分の生涯を献身する若者を育ってることがゴスペルハウスの一つのビジョンであります。

ここに二人の高校生の証を紹介します。

Isaac’s Testimony

2009.1.12

I want to share with you my salvation story. I was born in a Christian family. So I should have grown up as a good boy. I don’t say every Christian child is good or perfect, but at least they are walking towards God. In my case, it was not. As you know, I was a very naughty boy especially when I was in my first to third grade years. I did a lot of bad things; stealing money from the church, many Pinpon Dash, telling a lie, and bothering many people. In short, I was fearless of God.

When I was in third grade, I gradually became shy and negative without noticing. I was afraid of communicating with other people and easily discouraged. It lasted until my junior high school years. In that period, I realized my guilt and sin strongly. One day, I repented my guilt and asked God for forgiveness. Then I got peace and joy. I felt I was forgiven by Jesus. And I was baptized to express that I became a Christian at the age of 13.

I am still bad at communicating with other people and shy and easily discouraged. But now I know that Jesus loves me as who I am. So I want to do something great in the future for Jesus Christ.

高校1年生の女

I was born in Christian family. I’ve learned about Jesus and Bible. Bible says faith can not inherit from parents, but from his own decision. When I was a little child, I thought I was a Christian because I went to the church every week. But I was a Christian only outside.

About the time when I became a Jr. High school student, although I knew God, I didn’t think about God because I was focusing on my school work. Even though I knew God, I was living in vanity. I began to have time to think about my life after I began homeschooling since my high school. I began to have questions about my life. Without knowing other religions, how can I assure Christianity is right one? Is there really God? My faith was greatly shaking. Although I have been learning a lot of things at the church, I thought God created me when I did not want to be born. So, I thought I was supposed to live for God as a result. If I had a choice not to be born to this world, I thought I would like to choose that option. Before I went to sleep, I complained about it. God heard and answered my prayers on this issue. I remembered a saying from a book; God did not have to create man since He is a perfect being, but He created us as to have loving relationship with us. I felt that God embraced me with His love beyond my absurd heart.

From my high school, I began to have more time to think about my future and to pray for my future. In my normal daily life, suddenly a thought, “He does not use me because I have the worth and ability, but even though I am not worthy, He has given me talents in order to use me for His purpose,” came to my mind. At that time, I was reminded of a parable of talent in the Bible. The two servants, who multiplied two times from talents they received from the master, were blessed and rejoiced much. I realized that when we use the talents for God’s glory according to His good purpose, there are much blessings and joy. I also thought that I would like to use my talents for God’s glory. I do not know how God actualize this, but I would like to continue to pray for His guidance.

 

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良くある質問と答え

  • Q.祈っても祈ってもなかなか答えられません。次第に祈ることがおっくうになってしまいました。祈りは答えられるのでしょうか。答えられない祈りを繰り返して、どんな意味があるのでしょうか。(三十代男性、会社員)

    A.  古代から現代にいたるまで、人間は変わりなく何らかの力ある存在に自らの願い事、祈りをぶつけてきました。しかし、そのとおりにならず、事が悪いほうに 進むと、その人は呪われているとか、何かの祟りであるとよく考えられてきました。それはどなたに祈るのかを本当の意味で知らないからです。

    ◇ 祈りは聞かれるのか?

    祈りは科学的説明を越えた神との深くそして豊かな対話です。ところが現代人は科学的説明と矛盾する祈りの世界を軽視します。祈ってもその通りにならない苛 立ちの中で、祈りの大切さを見失い、この時代の傾向に染まっていくなら、それは実に悲しむべきことです。しかし、もしキリストを信じその名によって祈るの なら、必ずその祈りは聞かれます。聖書はそのことを約束しています(ヨハネ十四・十三)。ただし聞かれるということと、祈りの通りに成ることとを混同して はなりません。ニューヨーク大学にあるリハビリテーション研究所の壁にかかっている、ある一人の患者の詩の一部を紹介いたしましょう。

    大事を成そうとして
    力を与えてほしいと神に求めたのに、
    慎み深く、従順であるようにと 
    弱さを授かった。
    より偉大なことができるように 
    健康を求めたのに、
    よりよきことができるようにと
    病弱を与えられた。

    幸せになろうとして 富を求めたのに、
    賢明であるようにと 貧困を授かった。
    世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに、
    神の前に跪くようにと 弱さを授かった。
    人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに、
    あらゆることを喜べるように 命を授かった。

    求めたものは 一つとして 与えられなかったが
    願いはすべて聞き届けられた。
    神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、 
    心の中の言い表せない祈りは 
    すべてかなえられた
    私は あらゆる人の中で
    最も豊かに祝されたのだ。

    ◇ 様々な祈りの答え

    神は祈りをお聞きになるばかりではなく、必ずその祈りに答えられるのです。その答えは少なくとも五つあります。1)すぐその通り(叉は祈り以上)になる。 2)ノーという答え(自己中心的な、叉は不信仰な祈りに対して、ヤコブ4:3、1:5-6)。3)待ちなさいという答え(忍耐が必要なとき)。4)予期し ない別のことが答えとして返ってくる(祈りが真実であっても的がずれているとき)。5)しばしの沈黙(ヨブ記)。すべての場合において祈りは届いていま す。しかし答えは違います。あなたの場合、第一の答え以外でしょう。祈り続けていく時に必ず何らかの答えが与えられます。
    「天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に
    良いものを下さらないことがあろうか」(マタイ七・十一)。


    OMSウエストロサンゼルスホーリネス教会から
  • Q 夫は過去3ヶ月、別の女性と暮らしています。もし彼が彼女のところから私のところへ帰ってきて「赦してほしい」と言ってきたらどうしたらいいでしょうか。両手を開いて受け入れ、浮気などなかったかのようにしたらいいのですか。

    A  もちろんご主人を受け入れてあげてください。それが私の書き表わしてきた全ての本の趣旨です。
    し かし、これからのことについてご主人とじっくりと話し合うことを強く勧めます。事を急ぐべきではありません。「すぐに、夫婦に関するカウンセリングを受け る」という約束を書面にしてもらいなさい。何週間も延ばしてはいけません。自分を変えようという真剣な努力をしない限り、古い習慣は残るのです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから
  • 家族Q 博士の中絶に対する考えは極端だという人たちがいます。近親相姦やレイプや生まれてくる子が障害児である時でさえ、中絶は許されないと言われるからです。そういう立場を取られる理由は何ですか。

    A  文字どおり母親の命がかかっているという稀な場合にのみ、人間は発達過程にある胎児の命を奪う権威を持つと私は思います。

    その理由は、次の単純な質問に基づいています。「母親の子宮にいる赤ちゃんと、産道を30センチばかり下りた赤ちゃんとどんな基本的違いがあるのでしょう。」もしあるなら、それは何でしょう。人の誕生のどの時点で、神は子供を人間であると宣言されるのでしょう。

    赤ちゃんが母体から離れることには、単なる原形質から永遠の魂を持った人間への変化を説明する、何か特別神秘的なものがあるのでしょうか。私はないと思います。子宮内の赤ちゃんも、数分後にこの世に生まれる赤ちゃんも、確かに神様は同じ愛をもってご覧になるのです。
    両者の唯一の違いは、人の目に見えるか見えないかです。

    こ の前提を受け入れるなら、産前であれ産後であれ、子どもを殺すことは同じように人の道に反します。肉体上の問題、知的な障害、また妊娠の理由はこの際関係 がありません。思いがけない障害をもって生まれた子をその場で殺すようにとは、中絶賛成派の急先峰であっても言いません。
    実際に、人並みの知的能力を持たないであろう新生児や、数週間しか生きられないであろう新生児を殺したら、当局から殺人の責任を問われます。子どもの状況がどれほど厳しくても、私たちには自然の流れに任せるという道徳的また法律的責任があります。

    同じように、私たちは、レイプや近親相姦による妊娠だったからと言って、たった昨日生まれたばかりの子を殺すことはしません。一旦生まれたなら、ことさらに命を奪うことは考えられないことです。
    そ れならば、母の子宮にいるからといって、なぜ「標的」にされるのでしょう。確かに、法律は生まれていない子と生まれた子とに違った立場を認めますが、その 場合は法律が悪いのです。このような区別をするべき生物学的、また道徳的な理由はありません。私たちがまだ会っていない小さな犠牲者の死ぬ過程を見なくて すむ時にのみ、胎児の虐殺は受け入れられるべきかに見えるだけなのです。

    ですから、欠陥があったり障害を持つ子どもの命を断つべきだとい う議論のすべては、以上の理解に照らして検討されなければなりません。「どっちみち死ぬんだから。」「生かしておいても本人が苦しむだけだ。」「親が苦し むだけだ。」「真っ当な人生を送る見込みは、まずない。」「関係者みなにとって、これがベストの選択だ。」など様々な言い分がありますが、この世に生を受 けた赤ちゃんに適用しようとすると、こういう言い訳が間違っていることは明らかです。

    新生児にシアン化合物を与えるべき正当な理由はありません。しかし、その数時間前、妊婦の陣痛がまだ始まっていない時なら、その同じ欠陥のある胎児、または誤って妊娠に至った胎児をばらばらにしてもかまわないと考える人たちがいます。

    私 は、その主張は断固として誤りだと思います。こういう見解は、哲学的また神学的に述べることは易しくても、実際問題として直面させられる親にとっては別問 題だということは分かります。特に気にかかるのは、レイプによる子を妊娠している女性です。言語に絶するうめきと苦しみとがあるでしょう。
    しか し、そのような母親でも、もし無事出産し、自分で育てるか養子に出したならば、決してその決断を後悔することがないことを私は確信します。生まれていない 子どもにとって正しく道徳的なことは、両親にとっても結局はベストなのです。私の意見に反感を覚えるする人はいるでしょうが、これは私が信じていることで す。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • Q. あるクリスチャンより、祈りが大切であると言われました。祈りとはどのようなものですか。

    A. 祈りとは見えない神さまと心と言葉をつなげることです。人間関係が会話で成り立っているように、祈りはわたしたちと天の父なる神とを結びあわせ、交わりを 深くするものです。わたしたちの祈りがどのようなものであれ、神さまは注意深く耳をそばだてて聴いていられます。またわたしたちは本当に祈るべき言葉を知 らない者です。主イエスキリストは、わたしたちに「主の祈り」を教えてくださいました。