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第7回国際キャンプ2009・15日間の若者の宣教訓練・ビジョンスクール

投稿者: Administrator on .

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キャンプの準スタッフ訓練会

2009.7.27(月)-7.29(水)

キャンプの準スタッフは、中高生やボランティアにより形成されます。特に、中高生は、小中学生へ良い意味での影響力を持っています。そして、その影響力を発揮し、良い導き手として模範を示す役目があります。

親との関係が良くない子たちには、親の変わりに模範となる人々を探しています。今の時代こそ、このような模範になる人々が必要です。

準スタッフ供に

準スタッフは、今回来られるYWAMのアウトリーチチーム(14名)と交流し、今まで、DTS(Discipleship Training School)で学んで18歳から38歳の先輩と共に、賛美や交わりを通して、良い模範を見習い、そこから、自分のあり方やありのままの自分を明らかにすることで、自分も模範になることが出来、良い影響を受けては、良い影響を与える、良いサイクルが生まれます。

英語が得意でない人でも神様との良い関係を築くことによって、国と国の差を短くすることが出来ます。ほとんどの会話は、英語で行いますが、主の愛と兄弟愛を持って接することが出来れば、言葉の距離は、それほど大きな問題ではないのです。これも、皆さんが体験できればと思います。

大きく見ると、この準スタッフ訓練会は、キャンプの準備会ともいえるでしょう。キャンプを共に、外国からのスタッフと共に出来る喜びがあふれることを祈ります。

7月27日(月)から29日(水)まで

新養老コミュニティセンター(浦幌町のキャンプ会場)

内容

① YWAM(短期で若者を訓練し世界に送る宣教団体)のアウトリーチ(短期宣教)チーム13人との交流。積極的に英会話の世界で遊び(体育館あり)、霊的交わり(ワーシップタイムあり)をします。
② YWAMチームからのユーストレーニング。証やメッセージを聞きます。
③ キャンプの準備 
共に国際交流を求める一般参加者への伝道を準備します。(スキット・賛美・証など)
日本人とYWAMを組にして、一人一人の賜物に応じて仕事を分担します。内容は、飾り付けや掃除などの会場整備、ネームタグやパンフ作成などの手作業、料理、物運び買い物などの力仕事、英会話授業の通訳者としてのアシスタント、参加者の救いのためにとりなしなど。
*事情で30日からのキャンプに参加できない人は、この期間にミッションビルダーとして奉仕して頂きますが、交流の中で、英会話、遊び、霊的収穫も十分あると期待します。

3日間のスケジュール
27日(月) 会場に移動引越し 駅や空港などへのお迎え 歓迎会 オリエンテーション
28日(火) 役割担当決め話し合い とりなし 準備や練習 
29日(水) 準備と練習
一日のスケジュール(28・29日のみ)
6:00 起床 デボーション
7:00 朝食
8:00 ワーシップ
9:00 とりなし
10:30 YWAMによるユース訓練
12:00 昼食
1:00 グロス(霊的成長)グループ
3:00 キャンプ役割担当グループ
6:00 夕食
7:00 キャンプ準備練習
9:00 各部屋で祈る
10:00 就寝 消灯 
持ち物・親のサポートは超キャンプと同じです。

ゴスペルハウス代表:アブラハム・リー

※ キャンプのチラシは、こちらです。

※ お申し込みは、こちらです。

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良くある質問と答え

  • Q. 聖書で言う罪は、何ですか?

    A. 創造者である真の神に背を向けて、自分中心に人生を生きることです。
    聖書の中に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(箴言 第14章12節)」と書かれています。創り主から離れた生き方が不信仰や不従順であり、そこから人間は多くの罪を犯すようになったのです。
    ギ リシャ語で「罪」を表す言葉に「ハマルティア」というのがありますが、それは「的を外す」「誤る」「迷う」ということを意味しています。聖書の語っている 罪の根本は、真の神を無視する人生を指しています。聖書はそのような人間の姿を「羊のようにさまよい」と表現しています。
    神の御子イエス・キリストがこの地上に来られたのは、十字架で私たちのために罪の身代わりとなることにより、神との和解と、新しい神との交わりの道をイエス・キリストを信じるすべての者に与えるためでした。罪は、目に見えなくても、人生を縛り、呪いをもたらすものです。
  • Q. プロテスタントとカトリックは、どう違うのですか?キリスト教の 派閥ですか。一致することはないのですか。

    A. 宗教改革以後、教会はローマカトリック教会と、ルター派、及び無数のプロテスタント諸教派とに分裂し、それぞれの伝統を形成し今日にまで至っていま す。(もう少し正確な説明が必要ですが、今日は省略しておきます。)いかに真理のためとは言え、本来一つであるはずのキリストの体なる教会が事実上、分断 されているのは、決して本来的ではなく、教会は一つのものであると信じられるべきです。このような中で、20世紀からエキュメニカル(教会一致)運動が起 こり始め、教派の壁を超えた対話や協力関係の模索が続けられています。また1999年にはカトリック教会とルター派との間で「義認の教理に関する共同宣 言」が交わされ、大きな前進を見せています。

  • Q.祈っても祈ってもなかなか答えられません。次第に祈ることがおっくうになってしまいました。祈りは答えられるのでしょうか。答えられない祈りを繰り返して、どんな意味があるのでしょうか。(三十代男性、会社員)

    A.  古代から現代にいたるまで、人間は変わりなく何らかの力ある存在に自らの願い事、祈りをぶつけてきました。しかし、そのとおりにならず、事が悪いほうに 進むと、その人は呪われているとか、何かの祟りであるとよく考えられてきました。それはどなたに祈るのかを本当の意味で知らないからです。

    ◇ 祈りは聞かれるのか?

    祈りは科学的説明を越えた神との深くそして豊かな対話です。ところが現代人は科学的説明と矛盾する祈りの世界を軽視します。祈ってもその通りにならない苛 立ちの中で、祈りの大切さを見失い、この時代の傾向に染まっていくなら、それは実に悲しむべきことです。しかし、もしキリストを信じその名によって祈るの なら、必ずその祈りは聞かれます。聖書はそのことを約束しています(ヨハネ十四・十三)。ただし聞かれるということと、祈りの通りに成ることとを混同して はなりません。ニューヨーク大学にあるリハビリテーション研究所の壁にかかっている、ある一人の患者の詩の一部を紹介いたしましょう。

    大事を成そうとして
    力を与えてほしいと神に求めたのに、
    慎み深く、従順であるようにと 
    弱さを授かった。
    より偉大なことができるように 
    健康を求めたのに、
    よりよきことができるようにと
    病弱を与えられた。

    幸せになろうとして 富を求めたのに、
    賢明であるようにと 貧困を授かった。
    世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに、
    神の前に跪くようにと 弱さを授かった。
    人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに、
    あらゆることを喜べるように 命を授かった。

    求めたものは 一つとして 与えられなかったが
    願いはすべて聞き届けられた。
    神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、 
    心の中の言い表せない祈りは 
    すべてかなえられた
    私は あらゆる人の中で
    最も豊かに祝されたのだ。

    ◇ 様々な祈りの答え

    神は祈りをお聞きになるばかりではなく、必ずその祈りに答えられるのです。その答えは少なくとも五つあります。1)すぐその通り(叉は祈り以上)になる。 2)ノーという答え(自己中心的な、叉は不信仰な祈りに対して、ヤコブ4:3、1:5-6)。3)待ちなさいという答え(忍耐が必要なとき)。4)予期し ない別のことが答えとして返ってくる(祈りが真実であっても的がずれているとき)。5)しばしの沈黙(ヨブ記)。すべての場合において祈りは届いていま す。しかし答えは違います。あなたの場合、第一の答え以外でしょう。祈り続けていく時に必ず何らかの答えが与えられます。
    「天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に
    良いものを下さらないことがあろうか」(マタイ七・十一)。


    OMSウエストロサンゼルスホーリネス教会から
  • 日曜日は、イエス・キリストの復活を記念する日です。その日に教会は礼拝を行ってきました。そのキリスト教が社会の中心となっていったことによって、紀元 4世紀に、ローマ帝国で、日曜日を休日とすることが定められたのです。日曜日が休日だから礼拝をしているのではありません。教会がキリストの復活を記念し て日曜日に礼拝をしていたから、日曜日は休日になったのです。