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デボーションの第六ステップ 実践

投稿者: Administrator on . Posted in バイブルしましょう! Daily Devotion

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第六ステップ 実践

実践を尊ぶ理由

神のみ言葉は、知識のために与えられたものではなく、私たちの人生と生活のために与えられたものです。私たちはみ言葉への従順を実践して、成長していきます。私たちは、デボーションにより、神に聞き従う者、神の主権を崇める者、神に栄光を帰する者として成長していくのです。

御言葉を通して神さまは私たちの心に「思い」を与え、導きを与えてくださいます。この導きを実践する時、「思い」は「行動」となります。 「行動」の積み重ねは「習慣」となり、やがて「性格」になります。デボーションを通して、実践を積み重ねる時、私たちの品性はキリストに似た者へと練られていきます。

実践の勧め

そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似て いる。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は 皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ 7:24~27)

主イエスは山上の説教をなさいましたが、その結論部分を引用しました。「そこで」と結論に入ります。大事なことが語られます。ここでは、「聞いて 行う者」と「聞くだけで行わない者」との対比がなされていることは明瞭です。主イエスの言葉を聞いてどうするか、それが重要です。

信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。(ヤコブ 2:17)

適用において示されたことを実践することが重要なことは言うまでもありません。このデボーションの方法で一番の重要ポイントは、この実践にあり ます。デボーションの関する本が沢山販売されています。その多くは、信仰の先輩が聖句を黙想した内容が書かれています。それらを読んで、私たちの心が燃 え、「恵まれる」経験をするのですが、それで終わってしまうことが多いのです。それでは不十分なのです。エマオ途上の弟子たちのように、心が燃やされた後、何をするのか、それが大切なのです。

そこで、デボーションが終わったら、今日は何を為すべきか、優先順位をつけます。神が示されたことを行うのが最優先です。そして実践します。このようにして私たちは神第一の生活をするように訓練されるのです。
忙しい、忙しい人たちへ

私たちには為すべきことが多く、多くの人が忙しく毎日を過ごしています。ゆとりある生活とは無縁の生活になります。しかし、私たちが本当に為すべ き事柄は多くはありません。信仰者としては、神さまが今日行いなさいと言われたことをすれば十分です。私たちが神中心の生活をするなら、当然の帰結です。 それ以上のことをする必要はありません。デボーションは忙しいあなたにゆとりを与えるのです。

 

(このガイドは、http://hola.la.coocan.jp/devotion/dev_index.htmlの牧師堀江明夫による「御言葉に生かされる恵み」からのもので、許可を得て転載したものです。)

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良くある質問と答え

  • Q. 三位一体とは何ですか。キリスト教は唯一の神ではないのですか。

    A. 今も教会の「神認識」を根幹をなす、最も重要な教理です。 万物の造り主である父なる神と、子なる神であるわたしたちの救い主イエス・キリスト、そして今も共にいる慰め主なる聖霊はそれぞれ固有の人格(ペルソナ) であり、共に交わり、一つとなっている、ということです。これは神を分析した結果 、判ったものではなく、聖霊と聖書に導かれた教会が信仰の告白として言い表したものであり、わたしたちはその信仰を受け継いでいます。
  • 子育てQ 親が性教育をしようとするとき一番助けになるのは何でしょう。

    A.  結婚前の純潔と生涯続く互いへの忠誠の大切さを強く信じるキリスト教会こそが、同じ信念を分かち合う親たちの助けになるべきです。

    こ のような倫理観の歪んだ時代に、伝統的な道徳を見い出せるところは他にありません。キリスト教会の持っている信仰を最もよく体現しているのは教会そのもの です。今日のように聖書的道徳が攻撃されて、この働きを担おうとする教会が少ないことは残念です。一部の私立校では親の望むような性教育の助けが与えられ ます。
    しかし、そこでも時に全く無視されたり、不適当な扱いをされることがあります。それで必要な情報を与えるために公立校などでは不幸なことに親の意思に反する、行き過ぎた「性教育」が、時には幼稚園からなされることがあります。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. 聖書で言う罪は、何ですか?

    A. 創造者である真の神に背を向けて、自分中心に人生を生きることです。
    聖書の中に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(箴言 第14章12節)」と書かれています。創り主から離れた生き方が不信仰や不従順であり、そこから人間は多くの罪を犯すようになったのです。
    ギ リシャ語で「罪」を表す言葉に「ハマルティア」というのがありますが、それは「的を外す」「誤る」「迷う」ということを意味しています。聖書の語っている 罪の根本は、真の神を無視する人生を指しています。聖書はそのような人間の姿を「羊のようにさまよい」と表現しています。
    神の御子イエス・キリストがこの地上に来られたのは、十字架で私たちのために罪の身代わりとなることにより、神との和解と、新しい神との交わりの道をイエス・キリストを信じるすべての者に与えるためでした。罪は、目に見えなくても、人生を縛り、呪いをもたらすものです。
  • 子育てQ 私も家内も、最近信仰を持つようになったのですが、子育てには失敗したなと思っています。今は、成人した子どもたちの事で、親として後悔することが多いのです。親として、今からできる事は、何かありますか。

    A. 随分と自分を責めておいでになりますね。
    母親、また父親として失敗したという、なんらかの後悔の念や苦い思い出を抱いていない方は、恐らくないだろうと思います。

    子 供は、とても複雑な生きものですから、完全な人間がいないように、完全な親もいません。日常生活の悩みは尽きません。誰でも、疲れ果てて平静を失います し、体調や気分の上下によって、言うべきでない事を口走ってしまったり、模範的とは言えない言動をしてしまうことがあります。感情的に子どもにあたってし まって、しばらくたって振り返ると、自分の愚かさに気付く事もあります。

    そういう失敗は誰にもあります。完璧な仕事をする人はいないのです。ですから、私たちは神の前に、こう祈るのです。

    「神さま、あなたは私の不完全さをご存じです。子育てに関してだけでなく、他のことでも同じです。精一杯やってみましたが、それでも足りませんでした。
    イエス・キリストが、五つのパンと二匹の魚をとって何倍にも増やして下さった奇跡のように、今、私の小さな手の努力を取り、祝福してください。
    足りなかったところを、あなたが補ってください。私が満たすことができなかったものを、あなたが満たしてください。
    偉大な御手で、子どもたちを包み、ご自身のもとに導いてください。
    彼らが人生の岐路に立つ時に、導きを与えてください。
    私は、ベストを尽しましたから、子どもたちも、私も、また親として私のしたことも、全てあなたに委ねます。全て、あなたのものです。」

    親としての仕事が終わった方にとっても、そういう祈りは神様に受け入れられると思います。
    あなたの手の届かないところにある事柄について、罪意識を持ち続けるのは、神様のみ心ではありません。過ぎた事は、過ぎた事です。くよくよするのはやめましょう。結果は神に委ねて、手を離しましょう。そうしたら、神の助けの手を実感する事ができるでしょう。

    「私 は、すでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・ イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(新約聖書:ピリピ人への手紙3章13~14節)


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから