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田舎の町づくり(Community Development)

地元にあるものを生かした地域づくり

投稿者: Administrator on . Posted in 田舎の町づくり(Community Development)

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星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

最近、このような記事が十勝毎日新聞に出ました。

2010年3月3日の記事

しかりべつ湖コタン大賞 管内初 29年間の実績評価 「ふるさとイベント」表彰
全国各地の地域の活力を生み出すイベントを表彰する「第14回ふるさとイベント大賞」(地域活性化センター主催)で、鹿追町の「2009しかりべつ湖コ タン」が大賞(総務大臣表彰)に選ばれた。十勝管内のイベントが大賞を受賞したのは初めて。表彰式は3日午後1時から東京の日本橋プラザビルで開かれた。

ふるさとイベント大賞は地域活性化につながるイベントを表彰して全国に紹介し、イベントのさらなる発展を応援する狙いで1996年に創設された。今回は 09年の1~12月に行われたイベントが対象で、全国から149件の応募があった。道内からの大賞受賞は、第10回(05年)の「小樽雪あかりの路」に続 いて2件目。

しかりべつ湖コタンは、毎年1~3月、結氷した然別湖の湖上に氷と雪で村をつくり、開催する厳寒期限定のイベント。毎年、アイスバーや氷上露天風呂など が出現、幻想的な空間を楽しめる。今年で29回目(今月末まで開催中)。昨年は約3万5000人の来場があった。

大賞受賞について、同コタンを主催する実行委の菅原末治委員長は「29年間、ずっと続けてきて、その成果が評価されてうれしい。来年は30回の節目でも あり、これを契機に、さらなる発展をさせながら将来も続けていきたい」と話している。(藤原剣)

上記の記事は、地域にすでにあるものを生かして、冬にある雪を与えられた自然環境として受け入れたケースだと思います。

自分に無いものに目を向けるのではなく、すでに与えられたものに目を留めて、それを生かすことが大切であると思います。

遊び心も、そして、それを観光財産として利用することが、北海道の小さい町がすべきことではないかと思いました。

アブラハム・リー@ゴスペルハウス

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良くある質問と答え

  • 子育てQ. 博士ご自身、父親としての最大のチャレンジは何でしたか。また、そこから何を学ばれましたか。

    A. 子どもの健康を保ち、教育を受けさせ、自分のことを自分でできるようにさせ、神と人とを愛するように育てることは、人生で最大のチャレンジだと思います。 その複雑さと予測できないことが多いことは、宇宙飛行の技術以上のものがあると思います。そして、クリスチャンの親が家庭で教えようとしていることと、 ちょうど反対のことを社会が教えてしまうような時代には、親の仕事はいっそう困難です。私たちは決して完全な父また母であることを求められているわけでは ありません。私たちの過ちや失敗にもかかわらず、子どもたちは普通は善良な大人に育つのであり、親に自慢する権利はありません。
    もちろん私も父親として失敗をしました。同世代の多くのお父さん方と同様、私も仕事のプレッシャーと家族の必要とのバランスを取るのに苦労しました。私が家にいなかったわけではありませんが、その時間を十分取ることは大変でした。
    私 の最初の著書「思いきってしつけましょう」が出版されたのと、第二子ライアンが与えられたのは、たまたま同じ週でした。赤ちゃんのおかげで家中がてんてこ まいになるのは普通ですが、拙著に対する反響がそれに輪をかけました。当時私は、医学部の専任教授でしたが、何千通もの手紙とありとあらゆる種類のリクエ ストが洪水のように押し寄せました。突然の反響をどう処理したら良いか途方に暮れました。ある時など、木曜日の夜にニューヨークに飛び、三日間で17のテ レビ番組と記者会見をこなし、翌週の月曜の朝に帰宅したことを思い出します。目が回るような日々でした。私にとって、いつも暗闇の中の灯台のような役目を してくれていた父は、私の事情を知って手紙をくれましたが、それが大きなきっかけになりました。
    まず、父は私の成功を祝福してくれた後で、「この世でのどれ程の成功も、家庭での失敗を埋め合わせることはできないよ。」と警告してくれました。
    子 どもたちの精神面の幸せが私の最大の責任であり、子どもたちの信仰を築き上げるただひとつの方法は、信仰生活を目で見せ、あとはひざを折って祈ることであ るということを父は思い起こさせてくれました。私が持てるエネルギーを全て仕事に注いでいたとしたら、それはとてもできないことでした。
    父の貴重なアドバイスを決して忘れたことはありません。結局、私は大学の職を退き、現在のミニストリーを始めるように導かれ、自宅にいる時間を確保できるようになりました。
    ラジオ放送を始めて、講演依頼を引き受けることをあえてやめましたので、出歩くことが減りました。拙著の販売促進のための旅行や、その他長期間家族の顔を見られなくなる種類の責任を引き受けないようにしました。
    あの時代のことを思い起こすと、子どもたちとの関わりを優先する決断をしてよかったと思います。今、息子や娘とよい関係を持っているのは、彼らが父親を必要としていたあの時期に私が家族のための時間を作ったからだったと思うのです。
    こ の回答を読んでいるお父さんの中には、あの頃の私のような立場にいる方々が多くいらっしゃるでしょう。もしあなたがその一人であるなら、ぜひ家族を第一に していただきたいと申し上げたいのです。今あなたの足元にまといつくお子さんたちは、あっという間に大きくなってしまいます。今のチャンスをみすみす逃さ ないでください。
    その代価はどんな仕事の業績や成功にも代えられません。あなたが私の年齢になった時には、家族との関わりに勝るものは人生にないことを実感なさることでしょう。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A
  • ??どうしたら神の御心は分かるのですか。天から声が聞こえて来るわけではありません。人間は、神の御心をただ推し測ることしかできないのですか。

    とても大切なご質問です。神の御心があやふやなら、神に従えません。ところが、ほとんどの方は神の御声をどうやって聞き分けたらいいか、明確には分っていません。それで、自分の気持ちや印象に頼るのですが、それは信頼できるものではなく、神の御心を知るには危険です。感情は、大変主観的です。自分の願いや出来事や、それに昨晩の睡眠時間にさえ影響されます。神の声を聞いたと早とちりした信者たちは、時に大失敗をしました。 


    ある大学生の話があります。彼は、とある夜中、ある女性と結婚すべきだという強い思いを持って目をさましました。それまでに1、2回デートをしただけの人ですが、神が「この女性だ!」と言われたように思い込んだのです。翌朝、彼は女性に電話して、自分の予感を告げました。この女性は、彼と同じようには感じなかったのですが、神には逆らえないと思いました。2人は間もなく結婚しましたが、うまくいかず、ずっと苦しみ続けています。 


    神の御心が分ったと思い込んだ人たちについての、似たような話はたくさんあります。悪魔は「光の天使」(第二コリント11章14節)として来ることを思い出してください。つまり、神の声の偽物をつくり出すという意味です。突然に受けた思いや予感を、人間が無批判かつ衝動的に受け取るようにしむけることで、悪魔は人間を混乱させ、幻滅させることができます。 


    感情や予感によって神の御心を判断するということに関して、私は南カリフォルニア大学の博士課程を終了して、博士号を授与された日のことを思い出します。教授たちに握手をしてもらい、祝福のことばをかけられ、それまでに熱心に求めてきたものをついに得てキャンパスを後にしました。その日、車で家に向かいながら、私はそれまでの人生における神の祝福を感謝し、これから御心のままに私を使ってくださいと祈りました。あの小さな、赤いフォルクスワーゲンの中で神と交わった時、主をとても近く感じました。 


    さて、とある角を曲がった時(今でもその場所を覚えています)、1年以内に誰か私の身近な人が死ぬ、という強い予感を私は持ちました。そのことが起きても、私は驚き惑うことなく、神を信じ頼り続けるようにと神がおっしゃっているように、私には思えました。 


    その突然の予感を説明できるような死とか何かを、全く予想してはいなかったので驚きました。いったい誰が死ぬのか、またどのようにその最後が来るのかなどと考えると、心臓がどきどきしました。それでも、家についた時そのことを誰にも話しませんでした。 


    1ヵ月たちましたが、どんな悲劇も、死別もありませんでした。さらに2、3ヶ月がたちまちのうちに過ぎましたが、私の家族の誰も死にませんでした。ついに、嫌な予感がしたあの日から1年過ぎましたが、何事もありませんでした。父が亡くなるまで、10年の月日が流れました。しかしそれは、フォルクスワーゲンの中の予感とは何の関係もなかったと思います。 


    それ以来、多くの方々をカウンセリングし、またその他の職業上の経験を通して、私のようなあやまった思い込みを持つ人が決して少なくないことを知りました。同じような経験が、特にそのような考えに影響されやすい直感的な方々にはよくあるようです。 


    例えば、30歳になるお母さんが、不安とうつ症状がとれないという訴えを持って私の所に来られました。お話を聞いていると、16歳の時に通っていた教会の礼拝で経験したエピソードを話されました。説教の終わる頃、彼女は、神からの驚くようなメッセージを「聞いた」というのです。「ジーニー、他の人がわたしのことを知ることができるために、あなたは死ぬ」という声です。 


    彼女は、震え上がりました。自分が絞首刑台の上に立たされ、死刑執行の縄が自分の頭の上にぶら下がっているかのように感じました。彼女はパニックに陥り、席から飛び上がり、ドアをいくつも通り抜けて教会を後にしました。すすり泣きながら走りました。人に話したら罪を犯すような気がして、誰にも言えませんでした。何年もの間、神の判決の執行がいつなされるのかと、息をひそめるように生活していました。しかし、それから10何年もたつのに、彼女は今も健康そのもののようです。

    このような例をはじめ様々な実例から、私は、自分の受けた予感を勝手に解釈するのは賢いことではないと考えるに至りました。

  • Q. 聖霊とは何ですか。

    A. 父なる神(万物の造り主)と子なる神イエス・キリスト(わたしたちの救い主)とともにあがめられ、今も見えない形で共にいて下さる神さまです。聖霊は全て のものの内に働き、また聖書の御言葉の活きた語り手として、信じる者に信仰、希望、愛をもたらしてくださいます。 聖書で「霊」という場合、心霊写真の「霊」とは違います。霊は神であり、命だからです。
  • キリスト教は二千年の歴史の中で、いくつかの流れに枝分かれしてきました。それを「教派」と言います。プロテスタントは、16世紀の「宗教改革」におい て、当時のローマ・カトリック教会から分かれた流れです。プロテスタントの中にもさらにいろいろな教派があります。教派の違いは、礼拝の仕方、教会の運営 の仕方、信仰における強調点の違いですが、キリスト教会の信仰の根本的規範は聖書であり、それに基づく信仰を言い表した古代の「信条」です。そこにおいて は基本的に一致しているので、このごろは、カトリックとプロテスタントが共同で訳した「新共同訳聖書」が生まれるなど、協力関係も進みつつあります。