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電道(E-vangelism)

ウェブページの特性 Part2

投稿者: Administrator on . Posted in 電道 E-vangelism

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ウェブページの特性 Part2

参考ウェブページ(英語)

証を書くときのチェック項目

  • 未信者向けに書いている事を忘れずに
  • 未信者の人生の見方に強調を置く
  • 信じる前後の興味を引くようなことを書く
  • 読者があなたを知っている感じがするように、あなたについての情報も含める
  • どのように起こったのか思い描くことができるように、ある程度の細かい状況説明もする
  • キリスト教専門用語は使わない
  • 教会っぽく、説教じみた書き方はしない
  • 読者はクリスチャンの信仰について何も知らないことを仮定とする
  • 正直に(大袈裟な書き方、または自分にはまったく問題はない、といった書き方はしない)
  • 人々がクリスチャンに対して抱いている誤解を解くように努める
  • 生き生きとした(雑誌のような)書き方をする
  • 物事の順序を追って書かなくても良い
  • 会話文を取り入れる
  • クリスチャンというのは、毎日の神さまとの交わりである
  • 読み返し、校正、改善、書き直しなどを何度かする
  • できれば、証を書いた本人の写真を載せる

参考(日本語):

ゴスペルハウス 霊的成長 証を書く方法

D:基本的な福音について ・・・ 簡潔に適切な言葉で説明してください。

E:弁証論 ・・・ 信仰に関する疑問に対する答えを提供する

F:(伝道的な)聖書研究

タイプ別の聖書研究の場を提供する。(読者がまず聖書について何も知らないことを前提にし、専門用語は使わないように心がけてください。)

G:教会のウェブページ

ほ とんどの場合、教会のインフォメーションに過ぎませんが、未信者が助けを求める為に見る可能性もあります。作家でありElectronic Ministriesの主事であるJohn C Lewisは、「私たちの教会には、教会紹介のウェブページを見て訪れた人がたくさんいます。そのなかで、少なくとも1人の人が救われています。」と言っ ています。ですから、未信者の人を迎え入れ、興味を引くような呼び物や情報を載せたページにしましょう。

教会のウェブページを作る際の提案

・ 未信者にも解り易い言葉を使う(クリスチャン用語は避ける)

・ 子供向けオンラインのゲームなどを付け、教会学校の行事を宣伝する。

・ ユーモラスな絵を使い、気持ちをほぐす

・ インターネット上のコンクール/競争

・ 教会の年間行事、特別なイベント (カレンダープログラムはhttp://www.calendars.net/http://www.mattkruse.com/scripts/calendar/で入手可)

・ コミュニティー(地域社会)ニュース、活動 これを加えると地域の未信者からのアクセスが増えるでしょう。地域団体との橋渡しになり、掲示板に彼らの情報を載せるなどの工夫をするのも良いでしょう。 彼ら自身のウェブページがなかったなら、きっと喜ばれるでしょう。もし、ウェブページを持っていた場合、そこへのリンクを付けてあげましょう。 例えば、First Baptist Tallasseeの教会ウェブページでは信者に限らず未信者に関する多種に渡る情報を満載し、フレームを賢く使っています。もし、利用価値ある情報を地域単位で、また国際的な情報を注意深く選別するなら、未信者でさえもたくさんアクセスしてくるでしょう。

・ 問題解決 未信者はよく、抱えている問題の解決を求めて教会を探します。いくつかの教会は、よくある問題に関する解決案、牧師によるカウンセリング(インターネット上、またはEmailを通して)を提供しています。

・ 説教要約、聖書研究 大きな教会ウェブページでは、よく説教要約を載せています。Josh Hunt牧師は問題や人々の求めに関する説教題材を選び、それについて聖書の答えを示すことを薦めています。 聖書研究は伝道的な形式をとるといいでしょう。Emailを利用した相互的に進行してゆく聖書研究は調べたり、質問したりする機会がたくさんある上、匿名でも参加できるので恐れを抱かせることなく聖書の学びをすることができます。

・ 伝道: 教会ウェブページの中に特に伝道的な場所一般的な興味に対するもの、一般的な事に対するクリスチャンの物の見方、証、基本的な福音について、弁証論、(伝道的な)聖書研究なども設けてください。未信者向けに書かれた教会会員の証などを含めると良いでしょう。 証はインデックスからリンクできるように、人目を引くキャッチ・フレーズ("人生の意義の発見"、"人生を無駄にすごすな!"など)を付けてください。単独でも成り立ち、検索エンジンを通して直接人が訪れるようなページにしてください。 もし、あなたに時間と資料がなければ、既存の伝道ウェブサイトへリンクを付けると良いでしょう。

"現代人"に伝道するには

・ 本の紹介 伝道的な本、キリスト教の本のウェブページ、またはインターネット上の本屋へのリンクを提供する。

・ インターネット上の雑誌: 雑誌形式にすると、いろんな種類の記事(クリスチャン関連に限らず)を載せる事ができます。ライフスタイル、ガーデニング、など読者の興味を引きそうな記事を載せてください。

・ 宣伝:   教会のURLを教会の印刷物、掲示板などに載せてください。ドメイン名の覚えやすいURLを付け、検索エンジン(クリスチャン・世俗検索エンジン、教 会ディレクトリ)に登録してください。登録の際には、すべてのページを個別に登録してください。各ページに注意深くタイトル、叙述、タグを付け、単独で成 り立つようにデザインしてください。(詳しくは、"検索エンジン"を参照してください)

'RealNames' is an alternate system of searching for a web-site、RealNames導入価値を検討

・ ウェブページの管理 ウェブページの管理は作成者に任されていますが、作成者がそのページに関連したすべてのことをしなくてもよいのです。教会内で、賜物のある人に彼らの時間 の赦す限り、Emailを通しての読者へのアドバイス、読者との交流などを手伝って貰うと良いでしょう。作成者の代わりに、ウェブページを更新してくれる ソフトウェアも出ています。

ウェブページに限らず、インターネットでの伝道は、退職した人、障害を持つ人、内気な人などが教会外で伝道活動をすること支援します。

ウェブデザイナーでもあるJohn Collins牧師は、Westover Hills 教会のウェブページを次の理由で賞賛しています。

1. 新鮮でたくさんの情報を載せている

2. 構造がわかりやすいので、読者がウェブページ内で勝手がわかる

3. ウェブデザインチームは、ただ読者を引き込むプロというだけでなく、メッセージを伝える為に程よい程度の技術を使って、やり過ぎよりも、ちょっと足りないくらいの方が良いを、モットーにしているようです。

参考ウェブページ(英語)

Willow Creek:

John Bell's Gallery 伝道ウェブページ用グラフィックス、美しい風景など

既 存のウェブサイトのほとんどは、基本的な福音についてと弁証論ですが、これらは既に求めている人やキリスト教についてもっと知りたいと思っている人にしか 影響をあたえることができません。ですから、その他のタイプのウェブページをキリスト教についてほとんど知らない人のために作っていくことが必要なので す。参照までに、Willow Creekによる未信者がキリスト教についてどう思うかのタイプ分けは、

A. 皮肉屋 ・・・ 信じない人、それを態度でも表しているタイプ

B. 疑り深い人 ・・・ 信じない人、けれども喜んで聞くタイプ

C. 傍観者 ・・・ 特に興味を示さないタイプ

D. 求める人 ・・・ 真実を捜し求めているタイプ

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良くある質問と答え

  • キリスト教は二千年の歴史の中で、いくつかの流れに枝分かれしてきました。それを「教派」と言います。プロテスタントは、16世紀の「宗教改革」におい て、当時のローマ・カトリック教会から分かれた流れです。プロテスタントの中にもさらにいろいろな教派があります。教派の違いは、礼拝の仕方、教会の運営 の仕方、信仰における強調点の違いですが、キリスト教会の信仰の根本的規範は聖書であり、それに基づく信仰を言い表した古代の「信条」です。そこにおいて は基本的に一致しているので、このごろは、カトリックとプロテスタントが共同で訳した「新共同訳聖書」が生まれるなど、協力関係も進みつつあります。
  • 子育て

    Q 家族のことを考えたら、忙しすぎることがよくないことは分かります。でも、私たちの教会は平日もほとんど毎晩何かの活動をしています。夫も私もそのうちの 多くの働きのリーダーシップを取るように頼まれたり、または期待されます。 正直に言って、牧師から依頼されたことを断わると、罪意識を覚えます。結果的に、家族の時間はなくなってしまいます。この矛盾をどうしたら解決できるで しょう。

    A そのジレンマは私にも分かります。私ども夫婦も、結婚して最初の10年間は同じ葛藤を経験しました。
    まだ若かった私は、当時教会から頼まれることは何でも引き受ける義務があるかのように感じました。教会学校の校長、成人クラスの教師、教会の役員などを務 め、その他、何か特別な必要がある時は何でも引き受けていました。妻も、子供聖歌隊の指導、婦人会の役員など教会活動に深く関わっていました。私は博士過 程の最終段階にあり、仕事面での責任も膨大でした。息もつけない状態で、家には私と遊びたい盛りの娘がいるのに、ある時は17日間も夜の会合が続いたこと を思い出します。

    それ自体は重要な仕事であっても、それを引き受けるには判断力と常識とを働かせるようにと、主は私に望んでおられることが少しずつ分かってきました。一人 の人間ができることには当然限界があります。クリスチャンとしての義務、仕事、レクリエーション、社会的責任そして意味ある家庭生活などをバランスよく計 画する必要があることが分かりました。この問題を整理するのに役立った聖書のことばは以下の二つです。

    第一は、マタイの福音書14章13~14節にあります。「イエスはこのこと(バプテスマのヨハネの死)を聞かれると、舟でそこを去り、自分だけで寂しい所 に行かれた。すると、群衆がそれと聞いて、町々から、歩いてイエスのあとを追った。イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれん で、彼らの病気を直された。」

    この時、イエスはいとこであり友であるバプテスマのヨハネの死をいたみ悲しんでいたに違いありません。「自分だけで寂しい所に」行く必要があったのです。 それでも群衆は主の居場所を知り、いやしの御手を求めて来たのです。喪中であっても、イエスは人々をあわれみ、その必要を満たされました。このことから私 の出した結論は、私たちも困難や不都合にめげず自分を犠牲にするべき時があるということです。また別の時には何千もの人々がいやしを求めてイエスに押し寄 せました。みことばを語られた後、主は弟子たちと舟に乗り込み、その場を去りました。マルコの福音書4章36節によれば「弟子たちは、群衆をあとに残し、 舟にのっておられるままで、イエスをお連れした。」疑いなく、その日の群衆には癌、盲目、身体の障害、その他あらゆる不幸を背負った人々がいたはずです。 主は彼らすべてをいやすために徹夜することもできたでしょうが、明らかに体力の限界に達して、休む必要を感じたのです。主と弟子たちが湖にこぎ出したと き、病人たちを岸辺に置き去りにしたのです。似たような出来事がマタイの福音書14章23節にも記されています。「群衆を帰したあとで、祈るために、ひと りで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。」自分を与えるべき時もあれば、なすべき大切な仕事はあっても、一人になり、祈り、日 常の雑事から逃れるべき時があります。

    イエスのしたような休憩とリフレッシュの時を確保しない人は、やりたいこともうまく進まないようになります。例えて言うなら、庭のスプリンクラーの蛇口を 多く作りすぎたようなものです。どの蛇口からも不十分な水量しか出ません。もうひとつの例をあげましょう。ぶどうを栽培する人は、枯れ枝を刈り込むだけで はなく、実のなる枝さえいくらかは刈り取ることをご存じですか。収穫量をいくらか犠牲にしても、質の良いぶどうを得ようとするのです。同じように、私たち も休みなく動き回ることをやめて、働きの全体的な質を良くするようにすべきです。

    他にもうひとつ、気をつけるべきことがあります。バランスを維持すべきだといって、教会内での責任を避ける言い訳にするべきではありません。牧師たちは 「大部分の奉仕がほんの数人の肩に負わされ、他の人は何もしようとしない。」と嘆きます。これでは困ります。ひとつの極端から、反対の極端に飛躍しないよ うに、常識を働かせましょう。

    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • 中絶は自由?

    Q 博士の中絶に対する考えは極端だという人たちがいます。近親相姦やレイプや生まれてくる子が障害児である時でさえ、中絶は許されないと言われるからです。そういう立場を取られる理由は何ですか。

    A  文字どおり母親の命がかかっているという稀な場合にのみ、人間は発達過程にある胎児の命を奪う権威を持つと私は思います。

    その理由は、次の単純な質問に基づいています。「母親の子宮にいる赤ちゃんと、産道を30センチばかり下りた赤ちゃんとどんな基本的違いがあるのでしょう。」もしあるなら、それは何でしょう。人の誕生のどの時点で、神は子供を人間であると宣言されるのでしょう。

    赤ちゃんが母体から離れることには、単なる原形質から永遠の魂を持った人間への変化を説明する、何か特別神秘的なものがあるのでしょうか。私はないと思います。子宮内の赤ちゃんも、数分後にこの世に生まれる赤ちゃんも、確かに神様は同じ愛をもってご覧になるのです。
    両者の唯一の違いは、人の目に見えるか見えないかです。

    こ の前提を受け入れるなら、産前であれ産後であれ、子どもを殺すことは同じように人の道に反します。肉体上の問題、知的な障害、また妊娠の理由はこの際関係 がありません。思いがけない障害をもって生まれた子をその場で殺すようにとは、中絶賛成派の急先峰であっても言いません。
    実際に、人並みの知的能力を持たないであろう新生児や、数週間しか生きられないであろう新生児を殺したら、当局から殺人の責任を問われます。子どもの状況がどれほど厳しくても、私たちには自然の流れに任せるという道徳的また法律的責任があります。

    同じように、私たちは、レイプや近親相姦による妊娠だったからと言って、たった昨日生まれたばかりの子を殺すことはしません。一旦生まれたなら、ことさらに命を奪うことは考えられないことです。
    そ れならば、母の子宮にいるからといって、なぜ「標的」にされるのでしょう。確かに、法律は生まれていない子と生まれた子とに違った立場を認めますが、その 場合は法律が悪いのです。このような区別をするべき生物学的、また道徳的な理由はありません。私たちがまだ会っていない小さな犠牲者の死ぬ過程を見なくて すむ時にのみ、胎児の虐殺は受け入れられるべきかに見えるだけなのです。

    ですから、欠陥があったり障害を持つ子どもの命を断つべきだとい う議論のすべては、以上の理解に照らして検討されなければなりません。「どっちみち死ぬんだから。」「生かしておいても本人が苦しむだけだ。」「親が苦し むだけだ。」「真っ当な人生を送る見込みは、まずない。」「関係者みなにとって、これがベストの選択だ。」など様々な言い分がありますが、この世に生を受 けた赤ちゃんに適用しようとすると、こういう言い訳が間違っていることは明らかです。

    新生児にシアン化合物を与えるべき正当な理由はありません。しかし、その数時間前、妊婦の陣痛がまだ始まっていない時なら、その同じ欠陥のある胎児、または誤って妊娠に至った胎児をばらばらにしてもかまわないと考える人たちがいます。


    私 は、その主張は断固として誤りだと思います。こういう見解は、哲学的また神学的に述べることは易しくても、実際問題として直面させられる親にとっては別問 題だということは分かります。特に気にかかるのは、レイプによる子を妊娠している女性です。言語に絶するうめきと苦しみとがあるでしょう。
    しか し、そのような母親でも、もし無事出産し、自分で育てるか養子に出したならば、決してその決断を後悔することがないことを私は確信します。生まれていない 子どもにとって正しく道徳的なことは、両親にとっても結局はベストなのです。私の意見に反感を覚えるする人はいるでしょうが、これは私が信じていることで す。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • Q. あるクリスチャンより、祈りが大切であると言われました。祈りとはどのようなものですか。

    A. 祈りとは見えない神さまと心と言葉をつなげることです。人間関係が会話で成り立っているように、祈りはわたしたちと天の父なる神とを結びあわせ、交わりを 深くするものです。わたしたちの祈りがどのようなものであれ、神さまは注意深く耳をそばだてて聴いていられます。またわたしたちは本当に祈るべき言葉を知 らない者です。主イエスキリストは、わたしたちに「主の祈り」を教えてくださいました。