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電道(E-vangelism)

魅力あるウェブページ

投稿者: Administrator on . Posted in 電道 E-vangelism

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

1.1 電道ウェブサイトと未信者との接点

未信者は、検索時に"神"、"聖書"、"キリスト"といった言葉は大抵使わないので、クリスチャンのウェブページを訪れる機会は皆無に等しいのです。JDD 出版社のJim Danielsは「人がインターネットを使用する一番の理由は、自分の求めている情報を得る為である。」と言う。ですから、自分が探しているのとは違っ た、たまたま検索に引っ掛かったようなウェブページに無駄な時間を費やしたりしません。ヘミングウェイも言っているように、"釣りをする時は、釣り針に付 けるのは魚が好みそうなものであって、釣り人の好むものではない。" ですから、読者が興味ありそうなトピックで彼らを引き込み、ウェブページを通して彼 らに飢え渇きを感じさせ、福音がそれに対する答えだということを示してみて下さい。

誰にでも、色々調べた結果としての短いウェブページを書く事ができます。そして、そのウェブページを福音を含んだものへと発展させてください。例えば、私た ちはハレー彗星についての記事をウェブページに載せたところ、一日に千人もの人がアクセスしてきました。その記事では、大まかなハレー彗星に関する情報、 写真を載せ、彗星が地球に影響を及ぼす危険性があるかということについて議論しました。私たちは、危険性があるにしても、ないにしても備えをしておくべき ではないかと提案しました(そしてどのようにするべきか、もです)。5~10%の人たちは、彗星のことだけに興味をもってアクセスしてきたのに関わらず、 続いているページまでも読み進んでくれたのです。また、ダイアナ妃に対する記事もたくさんの人がアクセスしてきました。

ですから、新聞のトップ記事になっているような内容を考慮に入れてください。新聞を読んで、確実に数日は人々の話題に上るようなものに目を留めてください。 必ずしも、クリスチャンの見方で記事を書かなくても良いのです。ただ、自分のウェブページへのリンクを付けて置くことが大切です。例えば、毎日そのページ にアクセスしてくる人が千人いて、その内の1%の人があなたの貼ったリンクを通して、あなたのウェブページを見るとしたら、1ヶ月に、300人のアクセス が、そのたった1ページのためにあることになります。そのようなページを作成したら、すぐに検索エンジンに登録しましょう。

参考文献&ウェブページ(英語)

Beyond the Fringe - Reaching people outside the church Nick Pollard著, IVP社, ISBN 0851116485)  世俗的な話題と福音を関連づけるための概念について

 

1.2 魅力的なウェブサイト作り

あなたの趣味や専門分野、興味あることなどについてのウェブページを作成してみましょう。車の修理や刺繍、音楽、スポーツ、映画、本について、など何でも良 いのです。あなたと共通の分野に興味をもっている人たちがきっとたくさんいることでしょう。はやっている映画、音楽、有名人について書くこともお薦めしま す。ウェブページを作成するとき、ひとつのテーマや項目に絞り、それに基づき構築することもできますが、雑誌のように、色んな項目を含むウェブページを作 ることもできます。

・ 何ページにも渡るような、ウェブページを作成しなくてもいいのです。大きなウェブページを維持促進していくのは大変な事です。ですから、まずは小さなウェ ブページ作成をから始めてください。時間に限りのある人は、無理な試みは避け、時間の浪費や"インターネット中毒"に気をつけてください。人にはおのお の、負うべき自分自身の重荷があるのです(ガラテヤ 6:5)。 インターネットの利点は、いつでもあなたの時間があるときにミニストリーができるという ことです。もちろん、インターネットは、人と面と向かってするミニストリーに取って代わるべきではありません。

もし、あなたが福音を説明するようなものを書いたことがなければ、既存のウェブページへのリンクを貼る事も可能です。注意事項として、以下のことを参考にして下さい。

・ 宗教、教会臭いもの、難しい言い回しを使うことは避ける。

・ 偏見、誤解(神は気難しく、遠く離れていて気まぐれな存在、他)を取り除いてください。 ・ (キリスト教は気軽な信仰ではないことを踏まえて)神は、寛大で愛にあふれる方であることを語る。

・ クリスチャンというのは、規則に縛られ、教会に通い、自力でがんばっている人たちではなく、神さまとの交わりを持つ人たちの事であり、宗教に囚われた人たちではないことを強調する。

・ ほかの信仰(善行により救われる)とは違い、無償(憐れみによる。"憐れみ"はクリスチャン専門用語ですので、使用は避けてください。)で与えられるが、従ってゆくには、人生すべてを委ねる必要がある。

・ "神"という言葉を使用するとき、その他(多神教や他宗教)の神々との混乱を避ける。 ・ 福音はすべての人々のためである。西洋人だけのものではない。

日本語参考:

変える力 証、福音、問題解決、クリスチャンの成長など

参考ウェブページ(英語)

How to Share the Gospel Clearly 福音をわかりやすく伝えるには…明確な動機、内容、条件、招きが必要

 

Who is Jesus? キリストとは誰か

Acts International 福音、回復、デボーション、オンラインカード、エンターテイメントが満載

John 3:16 キリストの十字架のビデオ。ロードに時間がかかる

Daily Wisdom デボーション

また、他の人が作ったウェブページへのリンク集を作成するのも良いでしょう(もちろん、あなたの伝道ウェブページへのリンクも含めてください)。時折、その リンク先が有効かどうか(移転していないか、又は内容が変わってはいないか)チェックしてください。もし、あなたがリンクをたくさん貼っているなら、定期 的にあなたの代わりにチェックしてくれる無料のリンクチェック(NetMechanic)有り。

インターネットの複雑なぺ―ジ構造の中で、読者が迷子になってしまわないように、インデックスを付けたフレームを左端につける、または、"マウスの右のボタ ンを押すとこのページに戻ります"などのオプションを付けても良いでしょう。あなたのウェブページに関連したページへのリンクを貼った場合は、リンク先の インデックスページではなく、特定のページへのリンクを設定するといいでしょう。

常に最新版と入れ替えるようなウェブページを作成した場合、読者のブラウザにアクセスするたびに目次を更新するような設定にするよう指示してください。

参考(日本語)

リンクチェッカーのリスト

参考ウェブページ(英語)

Community Wire Service 内容豊富なリンク集の中に、伝道ウェブページへのリンクを戦略的に組み込んでいる

ニュ―ス、観光

最 近のニュースについてのコメントを書いたり、あなたの住んでいる街、国について書いたりするのも良いでしょう。そして、ページの最後に、"これが、わたし のたったひとつの楽しみ、または人生の目的ではないのです。わたしが抱えていた疑問や問題に答えをくれたものについてのページは・・・・"と付け加え、リ ンクを付けると良いでしょう。

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良くある質問と答え

  • 人に不快な思いを与えるようなものでさえなければ、礼拝に出席する服装の決まりは基本的にありません。ただ、礼拝に集まる信者たちは、「神様のみ前に出 る」という思いをもって集っています。礼拝にどういう服を着ていくか、ということは、「人の前でお洒落をする」ということではなくて、「神様のみ前にどの ような思いで出るか」ということなのです。
  • 子育てQ. 最近、子どもと過ごす時間があまりとれないのですが、一緒にいられる時は大事にしたいと思っています。子どもと過ごす時間の質が、長さよりも大事だという意見に、先生は同意なさいますか。

    A.  私には、その考えの論法があやまりだと思えるのです。
    なぜ、時間の質と、長さのどちらかを選ばなければいけないのでしょうか。私たちの生活の他の場面で、そういう選択を迫られることはありません。どうして、子どもと過ごす時間についてのみ、そのように考えるのでしょう。

    例 えばの話です。あなたが、町で有数のレストランで食事をするのを楽しみにしているとします。ウェイターが持ってきたメニューを見て、あなたは、一番高級な ステーキを注文しました。ところが、出てきたのは、お皿の真ん中に、三センチ四方の小さなお肉が乗っているだけです。あなたが苦情を言うと、ウェイターは 答えます。
    「確かに小さいことは小さいですが、最高品質のビーフでございます。これ以上の味はどこでもお目にかかれないと思います。なにしろ、大 事なのは量ではなく、質でございますから。」当然ながら、あなたは憤慨します。なぜなら、食事はもちろん、多くのものは質、量ともに大事だからです。

    子どもと過ごす時間についても、同じです。子どもたちは、親と過ごす時間が必要であり、私たちは最善のものを彼らに与えるべきです。私には、「量か質か」という議論が、子どもたちにそのどちらも与えない言い訳に使われているような気がしてならないのです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q 男性が女性を必要とする以上に女性が男性を必要とするものでしょうか。一人暮らしが上手なのはどちらでしょう。

    A 傑出した社会評論家ジョージ・ギルダー氏が、「男性と結婚」という古典的な著書で、この大変興味深い問題を扱っています。
    ギ ルダー氏は、男女がお互いのために作られており、一人では不完全であることを認めます。しかし、また男性よりは女性の方が一人暮らしに長けていると結論づ けます。ギルダー氏の評価は、一番社会的に問題をかかえているのは未婚男性だと言います。未婚男性の方が、未婚女性よりもはるかにアルコール依存、薬物中 毒、前科者また脱落者になる確率が高く、賃貸住宅は借りにくく、保険会社は契約を結ぼうとせず、ローンも組みにくいのです。また、運転は荒っぽく、カッと なりやすく、衝動的です。もちろん、このパターンには例外も数限りなくありますが、未婚男性は多くの反社会的行動をとる恐れが大きいのです。また独身女性 と比べて、転職率はより高いのです。
    しかし、男性が結婚して子供を得ると彼の社会的な弱点は消えます。責任ある生活をし、勤勉に働き、将来の備えを始めます。自分の官能的欲望に負けないで、自制し、扶養家族のために犠牲を払います。
    こ の変化を昔から「放蕩三昧した」あとに「身を固める」と表現しました。もちろん私はあくまで一般的な言い方をしている訳ですが、この傾向は社会学の調査の 裏付けがあります。ですから女性には、歯止めがなく社会の脅威になりかねない夫の性的エネルギーに歯止めをかけて、家族を守り養う努力に変える力があるの です。
    この変化は、文化の繁栄のために決定的に重要です。結婚生活が崩壊したら社会は成り立たないというギルダー氏の言い分に、私も同意します。 家庭なしには女性は育児のための基盤がありません。不倫、中絶、結婚外妊娠は増え、子どもは苦しみ、薬物アルコール中毒は蔓延し、真っ当なビジネスは伸び ず、平和を好む市民が暴力と不法に取り囲まれることになります。確かに女性は男性を必要とします。しかし、それ以上に男性は女性なしにやってはいけないの です。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. 家内安全や商売繁盛を願う宗教はご利益宗教なのであって、キリスト教はそういうものとは違う、と聞いたことがあります。それでは、自分の幸せを願うことはいけないことなのでしょうか。(四十代、主婦)

    A.  家庭を持ち、大切な子供を育てる責任を持つ親として、健康や経済的安定を願うことは、自然なことであり、当然とも言えます。おそらく、自分の幸せを願わない人などいないとすら言えます。キリスト教はこれらを否定するのでしょうか。

    ◇ キリスト教はご利益宗教?

    キリスト教は聖書のメッセージを土台としていますので、聖書が何といっているかが答えとなります。ところがその聖書は、一方では「自分の命を救おうと思う 者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ 十六・二十五)とあり、自己否定の道が示されております。しかし他方では「祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」(マタイ二十一・二十 二)ともあります。
    これらのみ言葉は矛盾するように見えますが、どちらも最終的には幸せが与えられるという点で、重なるところがあります。聖書 はある意味で本当の幸せがどこにあるかを伝える書物です。ある敬虔な牧師は、「キリスト教は、究極的には真の意味でのご利益宗教だ」と言いましたが、わた しも同感です。しかし、一般的に考えられているご利益宗教とは、多くの点で異なります。

    ◇ ご利益信仰と人格的信仰

    信 仰者の在り方という側面から比較してみましょう。いわゆるご利益宗教においては、世界の中心に自分がいます。自分にとっての利益を願い、良いと思えない 病、貧困、災害等を避けることを願います。ご利益があるならどの神でも構いません。しかし、聖書は自分を中心とした信仰の在り方そのものに疑問を投げか け、さらに警鐘を鳴らしています。ご利益信仰に潜むこの自己中心性そのものが、実は大きな不幸の第一歩なのです。
    それに対して聖書で伝えられて いる信仰の在り方はよく「人格的信仰」と呼ばれます。それは自分ではなく神を中心としていくことであり、神との人格的信頼関係を人生の軸としていくことな のです。病気や貧困などから守られることも祈ると同時に、そういった苦難を神からの訓練として、受けとめることを学びます。神中心とは自分の利益のために 神を利用するという生き方との決別をいみしています。

    ◇ 真の幸せはどこに?

    幸せを求めることは人間として自然なこと です。しかし、何が本当の幸せなのか、また人生から幸せを奪うものが何か知らないゆえ、多くの人は表面的には豊かになった社会のなかでもがいているので す。ヒルティーは「私は病気で幸福な人をたくさん見てきた。私は貧しくて幸福な人もたくさん見てきた。しかし心が罪で腐っていて幸福な人には会ったことが ない」と言いました。聖書は、罪こそ幸せを奪うものであると教えています。罪とは、神ではなく自分を中心として生きて行くその在り方(Being) を指し、罪の行ない (Doing) はその結果なのです。すなわち、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。ご利益信仰そのものの内に潜む罪こそ幸せを奪うものなのです。

    何が幸せなのかは人間には分かりません。これが私の幸せだと思ってつかんだとしてもその瞬間に空しく消えていきます。真の幸せは追い求めて掴むものではなく、神の前に罪を悔い改めへり下る時、神がそっと与えて下さるものなのです。


    OMSウエストロサンゼルスホーリネス教会のQ&Aから