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投稿者: Administrator on . Posted in 電道 E-vangelism

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最後に、神さまの創られた世界を見てください。キリストがそのために死なれたほどのものです! satellite picture 地球の人口は60億に達し、今かつて無いほどの人々が生活しているのです。

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良くある質問と答え

  • 子育てQ 息子の部屋をそっとのぞいてみて、何をしているのか確かめるのはどうでしょうか。親はそんなことをしたらいけないでしょうか。

    A 十代の子どもたちのプライバシーを冒してでも、両親が秘密に調査をしなければならないときは確かにあります。ある俳優が十代の娘が麻薬を使っていることを 発見したとき、この問題はメディアで広く話題になりました。問題がついに表面化した時、この母親は事実をつきとめる努力を怠ったことを後悔していると述べ ました。彼女は多くのトークショーに出演し、「ああいうケースの子どもたちは親に見つかった方がよい」という意味のことを語りました。プライバシーうんぬ んもさることながら、目の前で進行している犯罪行為を目をつむって見ようとしないことの方が問題です。
    息子さんのしていることを確認してくださ い。もちろん、親は自分の子供をよく知っているべきです。違法なことや自分の害になることなど全く興味がないという青年たちもいます。そういう子どもたち の部屋や私物まで調べるようにとは、私も勧めません。しかし物陰に隠れてはあやしげなことをし、おかしな友だちを集め、家の中では親を決して部屋に入れな いような子の場合は、私なら遅くならないうちに事実を確認する努力をするでしょう。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A
  • Q. クリスチャンになると死が怖くない? ほんと?

    A. 恐れや怖いという感情は、人間 の肉体に生まれついた本能的なものですから、クリスチャンになったからといって、無くなるわけではありません。しかし、キリストの十字架のあがないによっ て、永遠の滅びから罪のゆるしをいただいて、天国に行く確信を持つと、死の恐れに勝利できるのです。それだけではなく、天国で神との素晴らしい交わりを持 ち、先に天国に帰った家族や友とも再会できるという希望を持つことが出来ます。キリストを信じる時に、死の恐怖から解放され、希望と自由と平安を得ること が出来るのです。
  • 「人間は皆罪人(つみびと)だ」と聖書は語ります。その罪とは、法律を犯す「犯罪」という意味ではないし、倫理的な「不道徳」ということでもありません。 聖書の言う罪は神様との関係においてのみ成り立つことです。神様に造られ、生かされている人間が、その神様を見上げることなく、神様の思いを無視して、自 分が主人となって歩んでいる、そのことが罪なのです。聖書における「罪」という言葉は「的外れ」という意味でもあります。神様を見失った人間は、的外れな 生き方をしてしまっているのです。その根本的な罪から、人間どうしの関係もうまくいかなくなり、「不道徳」も、そして「犯罪」と見なされる罪も生まれてく るのです。
  • 「キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ1:25) とありますように、教会はからだにたとえられます。では教会の姿を次の聖句を読んで考えてみましょう。

    12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともでき ません。12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうに なりますが、12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(1コリント12:14-27)この聖句は人間のからだにたとえて教会の姿を言い 表しています。

    つまり、教会員のひとりひとりが重要な器官の役目を果たしており、どんなに小さな役目であっても、教会には必要な役目なの です。世の中では、偉い人や重要なポストに就いている人を重視します。しかし、「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなく てはならないものなのです」 と書かれてあるように、教会においては重要でないと思われる人こそ必要なのです。そして、キリストのからだは、キリストにあって、同じ考え方、同じ心の持 ち方、同じ態度を持っているのです。さらに、重要な事は「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての 部分がともに喜ぶのです」と書かれているように、苦しみと喜びを分かち合う人々の集まりだという事です。これは、イエス自身によって次の様に教えられまし た。

    13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合い なさい。13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ 13:34-35)

    イエスの愛が教会の人々の中に宿ります。 それゆえにクリスチャンはイエスが愛したように愛しなさいという命令を受けるのです。お互いに愛するとは、お互いに「深い同情心、慈愛、慈愛、謙遜、柔 和、寛容を身に着け、互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合い、主が赦してくださったように、赦しあう」ことです (コロサイ3:12-13)