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国際交流(International Exchange)

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2008年の第6回国際キャンプinうらほろ Administrator 5304

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良くある質問と答え

  • 子育てQ. 父親として、子どもが10代のうちにしておかなければならないこととは何ですか。

    A. 「少年をふさわしい男性に結びつけなさい。そうすればめったに道を誤ることはない。」とある人が言いました。これは真実だと思います。

    父と息子が、趣味や興味あることを一緒にするなら、反抗期も比較的平穏に過ぎるでしょう。一緒に経験したことは生涯の思い出となります。

    ダ ン・フォーゲルバーグ作詞の歌を思い出します。主人公と年老いた父親はともに音楽好きでした。題名は「バンド・リーダー(父親のこと)」。そのメッセージ には、私も深く共感させられます。息子は「ぼくを育ててくれたお父さん、大きな優しい手で」と歌います。「父の歌は、今もぼくの心に~」息子自身が、「バ ンド・リーダーの生きた遺産」になったのです。この男性が、老いた父親を訪ねる時、生涯つちかった親子の愛情が二人の間に行きかうのを見ることができるの ではないでしょうか。
    神さまが父親を創造なさった時に意図していたのは、きっとそういう光景だったに違いありません。

    ご質問に ストレートに答えて見ましょう。あなたは、感じやすい息子さんとの間にどんな共通の興味を育てていますか。息子と車の修理をする父親もいます。ある人はプ ラモデルを組み立て、木工細工をします。私は父とハンティングや釣りを楽しみました。早朝、森の中へ一緒に入っていったあの幸せな日々のことはどのような ことばでも言い表すことはできません。私のために時間をとってくれた父に向かって、どうして腹を立てることができたでしょう。野原で楽しみ、笑いあって帰 宅しながら素晴らしい会話の時を持ちました。

    私は自分の息子とも同じ様な関係を保とうと努力しました。自由に話しあえる親子関係を築く機会は、積極的に作り出さねばなりません。
    それはどのような犠牲を払っても達成する価値のあるゴールです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • 家族Q 安楽死の方向への動きに異論があるのはなぜでしょう。病気の老人が尊厳をもった死を選ぼうとすることは、誰の迷惑にもならないはずです。質の伴った命がないわけですから、静かに自殺させてあげたらどうかと思うのですが。

    A  現代の文化的背景の中で、ご質問は大変重要なものですので、しばらく時間を割いてお答えしたいと思います。

    苦しく緩慢な死を迎える老人たちがいることを知っている私たちにとって、ご質問にあるような考えは大変魅力的なものではあります。静かに眠らせ、苦しみを逃れさせてあげる方が確かに人間的なことと思えます。

    し かし、その方向に進むなら、多くの人々が言語に絶する苦しみを味わい、社会が混乱に陥ることは火を見るよりも明らかです。人命を奪うという道徳的な側面も さることながら、安楽死はその性格上、なしくずしになることが避けられません。いったん、おりから這いだした蛇を捕まえることはできません。

    詳しく説明しましょう。治癒の見込みのない老人が、医師の助けによって自殺することが合法化されたとします。その後は、病気も重度の障害もない人の自殺に対して、何が歯止めになるのでしょうか。
    健康な老人であっても、もう生きるのに疲れたという人はどうでしょう。彼の自殺を許すのにかかりつけの医師からの許可証が本当に必要でしょうか。
    健康な老人が死を選べるとしたら、次にはそれほど高齢でない人の場合はどうでしょう。
    五十代の人は身投げをしてよいでしょうか。よくないとしたらその理由はなんでしょう。
    四十代の更年期の女性や、中年の多くのストレスを抱えた男性はどうでしょう。

    少し考えて見ると、自殺という決定的な事柄に年齢は何の関係もないことが分かります。うつ状態ではあっても健康な二十歳の学生が、治癒の見込みのない患者と同じように「尊厳ある死」を選ぶ権利があるということになってしまいます。

    もし安楽死が一部の人に合法化されたら、全面的合法化へのレールが敷かれたも同然です。年齢も、健康的要素も、クォリティ・オブ・ライフ(質の伴ったいのち)も条件とはなりえません。
    安楽死を積極的に押し進めているヘムロック協会という団体は、その事実をよく知っています。彼らは、全ての人には「死ぬ権利」があると強く主張しています。

    私 たちが今、まったく健全な胎児を切り刻んでごみ袋に捨てているなどと、1950年に誰が予想したでしょうか。四千万近い、いたいけな子供たちを母の胎から 引き裂くなどということを、誰が想像できたでしょう。最も弱い者たちにその様な非道を行った私たちが、どのようなグループの人たちをも殺すことができない と信じることができるでしょうか。

    歴史的に言って、安楽死という怪獣を招き入れてしまった国々は、大量虐殺という悪夢を実現してしまった のです。それこそ、ナチス・ドイツに起こったことです。そこではまず始めに病人と老人とを殺し、次に精神障害者、知的障害者、そして生まれつきの障害児を 殺害したのです。そこから「望ましくない者たち」すなわちユダヤ人、ポーランド人、ジプシー、生産活動に従事できない者、政治犯、同性愛者その他の人々を 殺害するまではほんの一歩でした。安楽死は絶滅収容所への最後の小さなステップでした。
    もしこのような狂気の虐殺が起こらなくても、「死ぬ権利」の合法化は毎年の自殺数を劇的に増すことは確実です。

    一 人一人の死は、残された者たちにとって、計り知れない悲嘆と罪責感と悲しみとを残します。死ぬ人にとって、自殺は安易な逃げ道に見えるかもしれませんが、 愛する者や多くの子供たちを含む親戚にとっては恐らく最も苦痛に満ちた経験です。どの観点から見ても引き出せる結論は同じです。しかし、カリフォルニア州 の第九連邦巡回控訴院は、家族計画協会対ケーシーの連邦最高裁の判決を引用しながら、安楽死を米国で合法化したのです。「神よ、われらを助けたまえ。」


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • 「人間は皆罪人(つみびと)だ」と聖書は語ります。その罪とは、法律を犯す「犯罪」という意味ではないし、倫理的な「不道徳」ということでもありません。 聖書の言う罪は神様との関係においてのみ成り立つことです。神様に造られ、生かされている人間が、その神様を見上げることなく、神様の思いを無視して、自 分が主人となって歩んでいる、そのことが罪なのです。聖書における「罪」という言葉は「的外れ」という意味でもあります。神様を見失った人間は、的外れな 生き方をしてしまっているのです。その根本的な罪から、人間どうしの関係もうまくいかなくなり、「不道徳」も、そして「犯罪」と見なされる罪も生まれてく るのです。
  • 先に愛については既に触れました。しかし、神の愛、隣人愛は教会の特質として欠かすことが出来ません。そこで、もう一度愛について考えてみましょう。教会 の人々は、神を愛し、隣人を愛す人々です。イエスは何が一番大切かと質問された時に次の様に答えました。 12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつです か。」12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:28-31)

    一 番大切なことは、神を愛し、自分自身のように隣人を愛すことです。愛といいますとロマンチックな愛を考えがちですが、愛すために人は神から与えられている すべてを尽くすことを求められます。つまり、心(純真な思いや願い)、思い(感情や感覚)、知性(理論的な考え)、力(理知的な力と意志や肉体的な力)を 尽くして愛します。神の教えを理解し、心からその教えに従うことです。時には、理知的な力と意志や肉体的な力も必要でしょう。さらに、「人は自分自身のよ うに隣人を愛すべきだ」とイエスは言います。このことは自分自身も愛すことを裏付けています。これは、自分中心的な愛ではありません。むしろ、自分自身へ の愛は、神によって創造された確信と、神によって愛されているという確信からくるものです。同じ理由で、神によって創造された隣人を愛します。