注目ニュース

ゴスペルハウスが提供している「今日もバイブルしましょう!」サイトのシステム全体のアクセス数が、8,000,000を超えました。

このサイトの目的は、毎日1章ずつ聖書をともに読むことをお勧めし、そこに互いに投稿しあうことを目指しています。

「今日もバイブルしましょう!」のサイトは、http://www.bible-today.com/ です。

国際交流(International Exchange)

2008年の第6回国際キャンプinうらほろ

投稿者: Administrator on . Posted in 国際交流(International Exchange)

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

第6回国際キャンプの写真集

スポンサーサイト:

有限会社アムス
新しい経営の方法を創造し、ITと語学のサービスを提供する有限会社アムス

良くある質問と答え

  • 子育てQ. うちの中学生の息子は勉強に関して、だらしがありません。宿題は忘れるし、提出物の期限も守りません。どうしたらよいでしょう。

    A.  教育コンサルタントのチェリー・フラー女史が、学校での問題行動の原因で一番多いものをあげていますが、それはあなたの息子さんのケースによく当てはまります。

    彼女によれば、それは怠け心でも勉強の仕方がまずいのでもないのです。主な原因は息子さんのように、整理能力が著しく欠けていることです。フラー女史によれば、生徒のノートを見ると、その成績がほぼ分かります。
    優秀な生徒のノートは、プリントや宿題を入れる仕切りページやフォルダーがきれいに並んでいます。
    成績が劣る生徒のノートは、普通めちゃくちゃで、全く使われていないかもしれません。
    生まれつきだらしがない子もいますが、ほとんどの生徒は、よりよい整理の仕方を身につけることができます。この技術は小学校で教えるべきだというのが、フラー女史の意見です。

    中 学校へ入るや否や、何人もの先生方が違った教科書、問題集、プリントを配り、またいろいろな教科の宿題を出します。ものを整理する訓練を受けなかった生徒 に、それら細かな事柄を整理し、また取り出せるように期待するのは無理なことです。子供の学校生活を有意義なものにしたいなら、そのために不可欠な手段を 教える必要があります。

    また、お子さんがADD(注意力欠如症)か、整理をすることが難しい、何らかの気質的な特徴を持っているかどう か確かめるために、診察を受けた方がよいかもしれません。その結果を見た上で、担任や保健の先生と相談して、もう少しきちんとした学校生活ができる方法を 考えてみてください。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. 礼拝や集会はどんなプログラムですか?

    A. 教会によって多少のプログラムの違いはありますが、大きな内容は次のようなものです。

    (1)賛美=聖歌、賛美歌、ワーシップソングなどを歌います。
    (2)祈り=神への感謝、日常生活の願いやとりなしなどを祈ります。
    (3)説教=聖書の中からの具体的なメッセージです。
    (4)献金=教会によって方法などは違いますが、献金するかどうかは自由です。
    (5)お知らせ=その教会の報告や行事などのお知らせです。
    (6)交わり=礼拝や集会後、お茶などをいただきながらのくつろいだひとときです。この時にいろんな方とも出会い、お友達になれます。

    いずれにせよ、何かを強制されることはありませんので、安心して参加してください。
  • Q. クリスチャンになったらお酒やタバコは、やめなくてはいけない?

    A. クリスチャンになることは、「キリストへの信仰によって、罪のゆるしと永遠のいのちを受ける」という人間にとっての根本的な問題ですが、お酒やたばこ、パチンコなどは、その人の生活倫理や道徳の問題です。
    根 本的な生き方に、キリストによる新しい価値観と力を得るならば、その人の倫理や道徳も変えられていくことは事実ですが、お酒やたばこを止めることがクリス チャンになる条件ではありません。また、教会に行き始めたとたんに、すぐにそれらが無くなるわけでもないでしょう。それは、あなたがクリスチャンになった 後で、「心から止めたくなるかどうか」にかかっていることです。
    神は、あなたが願いを持つならば、不思議な力を与えてくださる方です。
  • Q. 家内安全や商売繁盛を願う宗教はご利益宗教なのであって、キリスト教はそういうものとは違う、と聞いたことがあります。それでは、自分の幸せを願うことはいけないことなのでしょうか。(四十代、主婦)

    A.  家庭を持ち、大切な子供を育てる責任を持つ親として、健康や経済的安定を願うことは、自然なことであり、当然とも言えます。おそらく、自分の幸せを願わない人などいないとすら言えます。キリスト教はこれらを否定するのでしょうか。

    ◇ キリスト教はご利益宗教?

    キリスト教は聖書のメッセージを土台としていますので、聖書が何といっているかが答えとなります。ところがその聖書は、一方では「自分の命を救おうと思う 者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ 十六・二十五)とあり、自己否定の道が示されております。しかし他方では「祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」(マタイ二十一・二十 二)ともあります。
    これらのみ言葉は矛盾するように見えますが、どちらも最終的には幸せが与えられるという点で、重なるところがあります。聖書 はある意味で本当の幸せがどこにあるかを伝える書物です。ある敬虔な牧師は、「キリスト教は、究極的には真の意味でのご利益宗教だ」と言いましたが、わた しも同感です。しかし、一般的に考えられているご利益宗教とは、多くの点で異なります。

    ◇ ご利益信仰と人格的信仰

    信 仰者の在り方という側面から比較してみましょう。いわゆるご利益宗教においては、世界の中心に自分がいます。自分にとっての利益を願い、良いと思えない 病、貧困、災害等を避けることを願います。ご利益があるならどの神でも構いません。しかし、聖書は自分を中心とした信仰の在り方そのものに疑問を投げか け、さらに警鐘を鳴らしています。ご利益信仰に潜むこの自己中心性そのものが、実は大きな不幸の第一歩なのです。
    それに対して聖書で伝えられて いる信仰の在り方はよく「人格的信仰」と呼ばれます。それは自分ではなく神を中心としていくことであり、神との人格的信頼関係を人生の軸としていくことな のです。病気や貧困などから守られることも祈ると同時に、そういった苦難を神からの訓練として、受けとめることを学びます。神中心とは自分の利益のために 神を利用するという生き方との決別をいみしています。

    ◇ 真の幸せはどこに?

    幸せを求めることは人間として自然なこと です。しかし、何が本当の幸せなのか、また人生から幸せを奪うものが何か知らないゆえ、多くの人は表面的には豊かになった社会のなかでもがいているので す。ヒルティーは「私は病気で幸福な人をたくさん見てきた。私は貧しくて幸福な人もたくさん見てきた。しかし心が罪で腐っていて幸福な人には会ったことが ない」と言いました。聖書は、罪こそ幸せを奪うものであると教えています。罪とは、神ではなく自分を中心として生きて行くその在り方(Being) を指し、罪の行ない (Doing) はその結果なのです。すなわち、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。ご利益信仰そのものの内に潜む罪こそ幸せを奪うものなのです。

    何が幸せなのかは人間には分かりません。これが私の幸せだと思ってつかんだとしてもその瞬間に空しく消えていきます。真の幸せは追い求めて掴むものではなく、神の前に罪を悔い改めへり下る時、神がそっと与えて下さるものなのです。


    OMSウエストロサンゼルスホーリネス教会のQ&Aから