注目ニュース

ゴスペルハウスが提供している「今日もバイブルしましょう!」サイトのシステム全体のアクセス数が、8,000,000を超えました。

このサイトの目的は、毎日1章ずつ聖書をともに読むことをお勧めし、そこに互いに投稿しあうことを目指しています。

「今日もバイブルしましょう!」のサイトは、http://www.bible-today.com/ です。

テントメーカー(tentmakers)

なぜパウロは天幕を作ったのか?Part 7

投稿者: Administrator on . Posted in テントメーカー Tentmaker

この記事の評価: 0 / 5

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

いったいパウロはなぜ働いたのか?

第2コリントにおいて、パウロは非難のさなかにあった彼のメッセージと会話的な説教を弁護しています。そしてまたコリント人の質問にも答えています。しかし 9:3で彼は以前の最も厳しい非難を受けた使徒職と自分の手で働く事に関して弁護を始めています。古代のほとんどの著者が(またほとんどの聖書記者も)そ うであるように、パウロも最重要の話題を彼の手紙の真ん中に書いています。彼はその手紙の真ん中で、福音のために権利を捨てるということを弁護していま す。パウロはこれは私を調べる人に対する私の弁護だと言っています。私たちはパウロがその手で働いた3つの理由を考えたいと思います。

信頼のため。彼は二度(第1コリント9:12、第2コリント6:3)彼が働くのは、異邦人にとって彼のメッセージの動機が疑いとならないように、福音の妨げとならないようにだといっています。パウ ロのセルフサポートはかれが本物だという事を実証しました。彼は経済的なサポートを受け取っていませんでした。いやむしろ、多大な犠牲を必要としました! 彼は、国中を歩き回りながら、聴衆から搾取しているような非良心的な演説家と思われる事はありませんでした。彼は「すべての人に対して自由である」ために 誰からもお金を受け取りませんでした。彼はどんな金持ちの後援者からも恩恵を受けていなかったし、また政治的派閥からも、裕福な個人からも、コリントの分 派からも何も受けていませんでした。この町において、この事はどんなに輝かしいポリシー出ある事が証明された事でしょう!

アイデンティティーのため。パウロは、人々を勝ち取る目的のために彼らの文化に適応するために仕事をしました。彼はユダヤ人にはユダヤ人として、ギリシャ人 (教養のある異邦人)には高い教育を受けた、3カ国語を話す、3つの分化を持っている、上流のローマ市民としてアプローチをしました。しかし彼がまず焦点 を置いていたのは、「弱い人々」、貧しい人、教育を受けていない人、身分の低い人、そして教養の無い人々でした。(彼らは野蛮人ではありませんでしたが、 みなギリシャ語を話す人々ではありませんでした。奥地から来た田舎の人々や部族の人々、また多くの外国人も含まれていました。日雇い労働者も少しいました が、そのほとんどは奴隷の人々でした。)

パウロの社会的な身分と教育は、 どこに行っても上流階級の人々からの尊敬を集めました。(明らかに、彼のぼろぼろの服もそれを隠すことは出来ませんでした。)アテネでは、彼はこの大学都 市の哲学者から広場で話すことをお願いされました。エペソでは、地元のアジア人の支配者達でさえ彼の友達になりました。ローマの総督フェストもパウロ、博 学が気を狂わせているといいました。

しかしパウロにとっては労働者と同じ になることのほうがもっと難しかったのです。ですから彼はその手で仕事をして自分の生活費を稼ぎました。(第1コリント9:19~)彼は彼らと同じ物を着、 同じように生活をしなければなりませんでした。そこには「ふりをする」ということがあってはなりませんでした。彼と彼のチームは完全に彼らの労働によって 生活していたのです。(ピリピ3:7-9はパウロが彼の財産を失ったことを示していませんか?)

どうして教育を受けていたパウロがなぜ、社会的にも経済的ににも低いところに位置していた職人と一緒にされることを選んだのでしょうか。なぜならローマ帝国 のほとんどの人々は低いクラスの人々だったからです。70から80パーセントの人々は奴隷でした!さらには、教養の無い人達こそ、パウロにとってギリシャ 語を話さない田舎の人々や、奥地の部族への接点だったのです。パウロが労働者と自分を同じ者とみなしたことは偽者ではありませんでした。賃金は低いもので した。しばしば彼は空腹で、寒さにふるえ、ぼろぼろの服しか着れませんでした。このモデルはパウロだけのオリジナルではありません。彼は、私達と同じにな るためにすべてのものをお捨てになったイエス様の真似をしたのです。パウロは第2コリント8:9、ピリピ2:5-11、第1コリント11:1でこのことを思い 起こさせてくれます。

モデリングのため。パウロは書いています。「苦労し、骨折って、私たちはあなたがたに迷惑をかけないため、そしてあなたがたに見本を示すために昼も夜も働きました。」(第1テサロニケ3:8)

第一に、パウロは改宗者に福音を生きることがどんなことかを示しました。教会でだけではなく、職場において!彼らはクリスチャンという人々を見たことがあり ませんでした。彼らの誘惑に満ちた、不道徳な、偶像礼拝の文化にあって清い生活をどのように生きればよいかということは、口で教えるだけでは十分ではあり ませんでした。パウロがこの同じ汚い環境の中で神を敬う生活をできたということによって、彼は尊敬を得ました。(第1デサロニケ4:1~)

第二に、パウロは聖書的な仕事の倫理の 模範となりました。(第2テサロニケ3:6-15)改宗した泥棒や、偶像礼拝者や、酔っ払いは、家族のために忠実に働く者、必要のある人に気前よく与える者 に変えられていきました。(第1コリント6:10、エペソ4:28、テモテ5:8)変えられた浮浪者が外部のものに与えたインパクトを考えてみなさい!パウ ロは仕事について多くを書きました。それ無しには、神を敬う改宗者も、健康な家族も、独立した教会も、生産的な社会も有り得ませんでした。

第三に、パウロは平信徒の伝道者の働き 方を決定する模範を示したのです。(第1テサロニケ1:5-8)改宗者は直ちに彼らの社会的におかれた場所において変えられた生活と新しい希望について質問してくる人々に答えることによって伝道するフルタイムの、無償の伝道者になりました。すべての改宗者は、敵の領域への新しい最前線になりました。彼らは、 親戚や、友達や隣人や、職場の同僚をキリストに勝ち取ってしまうまでは性急に自分たちの環境を変えてはいけませんでした。(第1コリント7:17-24)

パウロは行き当たりばったりの伝道はしませんでした。彼は注意深く戦略を立て、「賢い建築家のように」固い土台を据えていったのです。(第1コリント3:10-15)テントメーキングは彼の計画になくてはならない部分でした。

スポンサーサイト:

良くある質問と答え

  • キリスト教は、イエス・キリストを神の子、救い主と信じ、キリストの父である神様を礼拝する宗教です。旧約聖書と新約聖書とからなる「聖書」を信仰の源泉 としています。 イエスをキリスト(その意味は救い主)と信じた弟子たちの群れが教会として歩みだし、約2千年の歴史を持っています。世界的に見れば、最も多くの信者のい る、世界最大の宗教です。
  • Q 妻として、博士のおっしゃる「男女の違いが」私たち夫婦にどれほど当てはまるか気になります。夫が私をどれほど必要としているかを、私自身が十分把握していないのでしょうか。

    A  恐らくそうだと思います。性的な欲求を除けば、男性が女性に自分の必要を告げることは大変まれです。男性自身が自分の行動形態を自分で分かっていないのか もしれません。簡単に言えば、夫が自信を持つためには、妻の助けが必要なのです。彼は自信がないように見えないもしれません。男は自分の不安をを隠すのが 上手なのです。一般的に夫は妻に「尊敬されている」ことを確認したいのです。それは、妻が夫に「愛されている」のを確かめたいのと同じようなことです。

    女性のこの重要な役割について、私の友人であるE.V.ヒル博士のよい実例があります。博士は、ロサンゼルスにあるバプテスト教会の黒人牧師です。ヒル博士 は数年前に奥さんを癌でなくしました。その葬儀で、良妻のジェーンにいかに助けられたかを彼は語ったのですが、私はたいへん心を動かされました。

    若 い頃、彼は牧師として生計を立てるのに苦労しました。彼は妻の反対を押し切り、なけなしのお金をはたいてガソリンスタンドの経営に乗り出したのです。夫に はこの事業を監督する時間も技量もないと彼女は感じていました。そして結果はその通りになりました。やがてスタンドは破産し、彼は無一文になりました。若 い牧師にとってこれは人生の危機でした。重要な企てに失敗したのですから、妻に「だから言ったでしょ」となじられても仕方がなかったのです。

    しかし、ジェーンは、夫の弱味を本能的に知っていました。それで、彼がスタンドはだめだったと電話で告げたとき、彼女の答は「いいのよ」の一言でした。

    彼 はその晩、帰宅する時、先見の明のない夫の投資に妻がふくれつらをしているだろうと覚悟していました。ところが、彼女は夫のそばに腰を降ろしてこう言った のです。「ねえ、私、計算してみたのよ。あなたは煙草も吸わない、お酒も飲まない、もし両方ともやっていたなら、今回なくしたお金はとっくになくなってい たはずよ。そう考えれば今回のことは差し引きゼロよ。忘れましょう。」妻の態度によっては、夫の自尊心は跡形もなく砕け散っていたかもしれません。特に失 敗と恥の日には、男性の自我は、驚く程もろいのです。ですから、先生は妻から「あなたを信じているわ。」という言葉を聞く必要がありました。そして彼女は 確かにそのメッセージを伝たのです。

    ガソリンスタンドの失敗から間もなくのことです。彼が帰宅すると家が暗いのです。玄関を入ると、妻がキャンド ル・ディナーを用意していました。「奥様、いったい今日は、何の日でしたかね。」と彼はおどけて見せました。「何となくムードを出してみたくて。」と ジェーンは答えました。夫もそれには大賛成で、洗面所へ手を洗いに入りました。電気をつけようとしましたが、つきません。寝室に入って別のスイッチに触り ましたが暗闇のままです。若い牧師は食堂に戻って、停電かと聞いたところ、妻は泣き出しました。「あなたは精一杯働いてくれているし、私もがんばったけど 先月の電気代は払えなかったのよ。キャンドル・ディナーにしたら、あなたに知られないでいられると思って・・・」今は亡き妻の言葉を語るヒル博士の声は震 えていました。

    「もし妻に『こんなめにあったのは生まれて初めてよ。電気を切られるなんて考えたこともなかったわ。』と言われていたら、私はすっ かり自信を失い、やる気をなくしていたでしょう。ところが、妻は、『電気はそのうちつくわ。今晩はキャンドルを楽しみましょうよ。』と言ってくれたので す。」ジェーン・ヒルさんは素晴らしい方です。

    彼女の多くの賜物や特質の中で、私が一番感心したのは、夫を励まし支える妻の役目をよく自覚してい たことです。現在E.V.ヒル博士は、影響力のある指導者です。彼が自信を得、それを保つために妻の助けが必要だったなどと誰が信じられるでしょうか。し かし、男とはそういうものなのです。われわれ男性は、特に若いうちは、自信がなくて悩むのです。私自身がそうでした。妻シャーリーのお陰で私は一人前にな れたのです。何度も繰り返し言ってきたことですが、自信に欠ける私を彼女が信じてくれ尊敬してくれたために、私は外で競いあい、努力し、冒険をすることが できました。

    私が何かを成し遂げたとするならその多くは、「私がついているからね」といってくれた妻の愛と献身との賜物です。あなたもご主人のために同じことができます。彼の必要を満たしてあげなさい。その効果は私が保証します。

    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • 教会の礼拝は誰にでも開かれています。誰でも、どんな人でも出席してよいのです。ですから、悩みがある人、元気になりたい人はどうぞいらして下さい。そう でなくても、教会って何をしているのかな、聖書の教えってどんなことかな、と少しでも興味のある人はどうぞいらして下さい。礼拝に行ったらもうクリスチャ ンにならなければならない、などということはありません。教会は、ちょっとのぞいてみよう、という方も歓迎します。礼拝の秩序さえ重んじていただれば、ど のような思いで参加して下さってもよいのです。
  • 悔い改めてイエスの死と復活に預かるバプテスマを受けたものは、精霊を神の賜物として受けた、と上に書きました。 バプテスマは、言わば神と礼拝者が契約を交わす結婚式のようなものです。人はイエスを主と信じ、救い主として信じて、イエスの名によってバプテスマを受け るのです。 神がこれを認めてその人と契約を結ぶのです。その契約の証印が聖霊なのです(エペソ1:13)。 サルこれらのユダヤ人たちは、42節で述べられているように、 クリスチャンとして3つの重要なことを行なっていました。(1)使徒たちの教え(つまりイエスの教え)を忠実に守ることです。 教会の人々は、イエスに忠実に従う人々です。主の契約に預かる人は神の教えを学び、日々その教えに従って生きていきます。 (2)神に祈ることです。天地万物を創造した神がすべてを支配していることを信じ、その神の栄光が輝き、神の教えが教会内で実践され、またより多くの人々 が神を知るように祈るのです。 (3)パンを裂くとは、主の晩餐を受けることを指しています。主の晩餐はバプテスマと同様に非常に重要なので、しっかりと理解しておきましょう。 主の晩餐はイエスによって制定されました。 ぶどう

    22:14 さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。22:15 イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。22:16 あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」22:17 そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。22:18 あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚え てこれを行ないなさい。」22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。(ルカの福音書22:14-20)

    イ エスの死を覚え、イエスの復活を覚える機会が、主の晩餐によって与えられています。クリスチャンは、主の晩餐のパンを受ける時、教会をイエスのからだ(こ の概念は次に説明します)として覚え、教会内での人間関係を吟味します。また、晩餐のぶどうの実のジュースを飲む時、 クリスチャンは神の救いの業と慈悲を思い起こし、神との契約を新たなる心を持って受けます。そして、主の晩餐は主イエス・キリストが復活された週の初めの 日(日曜日)に、主の復活を覚えてクリスチャンが受けられるものです。このように、教会とは罪ある者が悔い改め、イエスの名によるバプテスマをうけて神の 子供とされる人々の集まりです。そして、聖霊で満たされたクリスチャンたちが、神を唯一の神とあがめ、神の国民とされた人たちの集まりが教会です。そこに は神の御国、神の支配、神の権威があるのです。神の権威がなければ、教会自体に権威はありません。ですから、人間によって作られた伝統や規則などはない、 人々の集まりが教会なのです。もし規則、決まりがあるとすれば、神が制定したものだけです。