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ゴスペルハウスのロゴ

投稿者: Administrator on .

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ゴスペルハウスのロゴが作られました。サムエルがデザインをしてくれました。

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サムエルによると、このロゴの意味は、

「下の青い波線は、聖霊様の風を表しています。 また、良い知らせである福音が全世界の人々に風に乗って届くことを象徴してい ます。 そして家の中心にあるハートの形をした窓は、多くの人がここに来て、心の窓が キリストによって開かれることをイメージしました。」

これからのゴスペルハウスの働きに用いられることを期待しています。

ゴスペルハウス
アブラハム・リー

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良くある質問と答え

  • 弟子たちは、イエスの教えと復活の事実を伝える証人として任命されました。 「都で留まっていなさい」とありますが、この都とはエルサレムを指しています。 イエスのこの命令どおりに弟子たちはエルサレムに留まり、神からの賜物である力を待っていました。

    1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示され た。1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっていま す。1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの 証人となります。(使徒行伝1:3-8)

    弟子たちはイエスの命令に従い、エルサレムで待っていました。この時、イエスが言われたように、 弟子たちは聖霊で満たされたのです。そして、弟子の一人、ペテロがエルサレムに集まっていたユダヤ人たちの前で、イエスの死と復活について語り始めます。 ここで書かれている記録が、教会の初めであり、始まりだったのです。 

    2:22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれ ました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。

    2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。

    2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。……。

    2:32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

    2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。……。 

    2: 36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」 

    2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。   

    2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。 そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。 

    2:39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたちならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

    2:40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。

    2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日三千人ほどが弟子に加人々えられた。

    2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

    (使徒行伝2:22-42)
  • 先に愛については既に触れました。しかし、神の愛、隣人愛は教会の特質として欠かすことが出来ません。そこで、もう一度愛について考えてみましょう。教会 の人々は、神を愛し、隣人を愛す人々です。イエスは何が一番大切かと質問された時に次の様に答えました。 12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつです か。」12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:28-31)

    一 番大切なことは、神を愛し、自分自身のように隣人を愛すことです。愛といいますとロマンチックな愛を考えがちですが、愛すために人は神から与えられている すべてを尽くすことを求められます。つまり、心(純真な思いや願い)、思い(感情や感覚)、知性(理論的な考え)、力(理知的な力と意志や肉体的な力)を 尽くして愛します。神の教えを理解し、心からその教えに従うことです。時には、理知的な力と意志や肉体的な力も必要でしょう。さらに、「人は自分自身のよ うに隣人を愛すべきだ」とイエスは言います。このことは自分自身も愛すことを裏付けています。これは、自分中心的な愛ではありません。むしろ、自分自身へ の愛は、神によって創造された確信と、神によって愛されているという確信からくるものです。同じ理由で、神によって創造された隣人を愛します。
  • 子育てQ. 自信がなく、自尊心が低い子どもたちや若者たちがこれ程までに増えてきたのはなぜなのでしょうか。

    A. ひとつには、私たちの社会が持っている、人間の価値をはかる尺度が狂っているからです。全ての人が価値ある存在とはみなされません。全ての人がありのま まに受け入れられていません。生まれながらにして誰からも認められるような資質を持った人にしか賞賛は届きません。

    この悪循環を私たち親はなんとかすべきです。私たちの文化で最も高く評価されているのは美しさです。たまたま美しく生まれついた人は誉れと尊敬を受けます。
    そうでない人は他に落度はないのにさげすまれ、拒まれます。乳幼児でさえこの価値基準にさらされます。美しい子はより可愛がられるのです。

    そ れで、第一子を産んだ後に母親がふさぎ込むのは珍しくはありません。赤ちゃんは一般的には不器量なものとわかってはいても、自分の子どもは例外だと親は思 います。どんな母親も、まぶしい笑顔、かわいいまばたき、前歯が4本そろって、血色がよい、広告に出てくるような子どもを産みたいと内心は思っているので す。
    ところが、わが子は期待はずれで、歯も髪の毛もなく、しわくちゃで泣き叫ぶだけです。成長するにつれ、親のみならず他人からも子どもは人としての価値をはかられるようになります。

    赤ちゃんコンテストの優勝者には賞金や賞品が当り前のように与えられます。魅力的な子どもは、何もなくてもすでに有利であるのに、なんという不公平な世の中でしょう。
    ジョージ・オーウェルの皮肉が思い浮かびます。「人はみな平等であるが、ある人たちはより平等なのだ」この言葉の真実性が私たちの子どもたちの人生において証明されているのは実に悲しいことです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • ユダヤ人たちは、イエスについての死と復活のことばを聞き、自分たちが神の子であるイエス・キリストを十字架につけたという事実を知る時に、彼らは心を打 たれ 「私たちは何て事をしてしまったのだろう。何をすれば神に赦されるのだろう。このままでは神の怒りは私たちに来てしまう」 と途方にくれてしまいました。そこで彼らはペテロに「私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ねました。 ところが、ペテロの答えは予想外に簡単であったのです。ペテロは38節で非常に重要なことを3つ言います。

    (1)悔い改めるとは、生 き方の方向を変えると言う意味です。自分中心の生き方、人が作った善悪の基準による生き方、また人間の作った宗教による生き方から、神の教えに従っていく 生き方に変えるのです。人は「自分が一番かわいいもの」ですが、このような生き方から改めて、神を心から愛し、その教えに従い、隣人を自分自身のように愛 せるように方向転換するのです。 これが悔い改めです。

    (2)イエスの名によってバプテスマを受けるのです。バプテスマは信仰告白した者の全身が、水の中に浸され、象徴的にイエスともに死に、またその全身が水からあがる時、イエスとともによみがえさせられるのです。その結果

    (3)バプテスマを受けたものは、神の霊である聖霊を、神の賜物として受けるのです。