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ひげぱぱ日誌 Author:ひげぱぱ 昭和32年、東京タワーが着工した年に生まれる。「三丁目の夕日」を見て、これが僕の生まれた時代だったんだな~としみじみと思った。1989年脱サラ後、塾、英会話教室を経営、現在はIT関係の会社を経営している。二男二女の父。
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良くある質問と答え

  • Q 心のこもった応答を全くしてくれない夫を持つ私のような妻はどうしたらいいのでしょうか。主人はいい人ですが、女ごころの機微にはうとくて、会話を楽しむことをしません。私はもう我慢できません。

    A.  妻の必要に全く答えられない種類の男性たちがいます。
    女性たちが何を考えているかが分からず、これまでに誰にも「与える」ことがなかったのです。

    女 性の機微が分からず、コミュニケーションできない、この種の男性たちと結婚した女性たちは、どこまでを期待できるのか、またどうやって意味ある生活を作り 出すかを決めなければなりません。そうでなければ、早く離婚するしかないでしょう。もちろん、前者の方が良いと私は思います。

    ご主人が上 記のような方ならば、奥さんにできることは、女性がどのように男性とは違うのか、そして、あなたの独特な必要は何かを、責めたり怒ったりせずに、よくご主 人に説明することです。お二人の間で、改善できるところは改善し、理解可能なことは説明し、解決できることは解決し、歩み寄れる部分は交渉をすることで す。
    ユニークな個性を持った、二人の不完全な人間が持ち寄った原材料で、できる限り最善の結婚生活を造りだすのです。

    また、削りとれない荒さや、直せない欠点などについて最善の努力をした後には、現実を受け入れることです。精神衛生の第一原則は、変えられないものを受け入れることです。人生の状況を見て、うつ状態に陥ることは容易です。

    し かし、それに屈せず、満足することを選ぶこともできます。「選択」がキーワードです。あなたは、ご主人をありのままに受け入れられますか。人が、伴侶の中 に自分の全ての願いや希望を実現することはほとんどないのです。コインの裏表のように、当然ながらあなたもご主人にとって完璧な奥様にはなれません。ご主 人があなたの情緒的な必要のすべてを満たすことができないように、あなたも、ご主人の男性としての必要を常に満たし続けることはできません。両者ともに、 人間の弱さ、欠点、いらいら、疲労、また時折おそう頭痛を現実として受け入れざるをえません。

    完璧主義は、良い結婚を生みだしません。解決不可能な山のような問題を見過ごせる健康な視点が、良い結婚を生み出すのです。この解決法が、実行するにやさしいものであるとか、おっしゃるような心の叫びを簡単に取り去るなどと申し上げるつもりはありません。

    しかし、誰でも遅かれ早かれ自分の手に余る困難にぶつかるものです。そこで、つぶれたり、逃げたり、腹を立てたり、その全てをすることもできます。けれども、受け入れることはそのすべてに勝るのではないでしょうか。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. クリスチャンになると死が怖くない? ほんと?

    A. 恐れや怖いという感情は、人間 の肉体に生まれついた本能的なものですから、クリスチャンになったからといって、無くなるわけではありません。しかし、キリストの十字架のあがないによっ て、永遠の滅びから罪のゆるしをいただいて、天国に行く確信を持つと、死の恐れに勝利できるのです。それだけではなく、天国で神との素晴らしい交わりを持 ち、先に天国に帰った家族や友とも再会できるという希望を持つことが出来ます。キリストを信じる時に、死の恐怖から解放され、希望と自由と平安を得ること が出来るのです。
  • Q. プロテスタントとカトリックは、どう違うのですか?キリスト教の 派閥ですか。一致することはないのですか。

    A. 宗教改革以後、教会はローマカトリック教会と、ルター派、及び無数のプロテスタント諸教派とに分裂し、それぞれの伝統を形成し今日にまで至っていま す。(もう少し正確な説明が必要ですが、今日は省略しておきます。)いかに真理のためとは言え、本来一つであるはずのキリストの体なる教会が事実上、分断 されているのは、決して本来的ではなく、教会は一つのものであると信じられるべきです。このような中で、20世紀からエキュメニカル(教会一致)運動が起 こり始め、教派の壁を超えた対話や協力関係の模索が続けられています。また1999年にはカトリック教会とルター派との間で「義認の教理に関する共同宣 言」が交わされ、大きな前進を見せています。

  • 子育てQ 私も家内も、最近信仰を持つようになったのですが、子育てには失敗したなと思っています。今は、成人した子どもたちの事で、親として後悔することが多いのです。親として、今からできる事は、何かありますか。

    A. 随分と自分を責めておいでになりますね。
    母親、また父親として失敗したという、なんらかの後悔の念や苦い思い出を抱いていない方は、恐らくないだろうと思います。

    子 供は、とても複雑な生きものですから、完全な人間がいないように、完全な親もいません。日常生活の悩みは尽きません。誰でも、疲れ果てて平静を失います し、体調や気分の上下によって、言うべきでない事を口走ってしまったり、模範的とは言えない言動をしてしまうことがあります。感情的に子どもにあたってし まって、しばらくたって振り返ると、自分の愚かさに気付く事もあります。

    そういう失敗は誰にもあります。完璧な仕事をする人はいないのです。ですから、私たちは神の前に、こう祈るのです。

    「神さま、あなたは私の不完全さをご存じです。子育てに関してだけでなく、他のことでも同じです。精一杯やってみましたが、それでも足りませんでした。
    イエス・キリストが、五つのパンと二匹の魚をとって何倍にも増やして下さった奇跡のように、今、私の小さな手の努力を取り、祝福してください。
    足りなかったところを、あなたが補ってください。私が満たすことができなかったものを、あなたが満たしてください。
    偉大な御手で、子どもたちを包み、ご自身のもとに導いてください。
    彼らが人生の岐路に立つ時に、導きを与えてください。
    私は、ベストを尽しましたから、子どもたちも、私も、また親として私のしたことも、全てあなたに委ねます。全て、あなたのものです。」

    親としての仕事が終わった方にとっても、そういう祈りは神様に受け入れられると思います。
    あなたの手の届かないところにある事柄について、罪意識を持ち続けるのは、神様のみ心ではありません。過ぎた事は、過ぎた事です。くよくよするのはやめましょう。結果は神に委ねて、手を離しましょう。そうしたら、神の助けの手を実感する事ができるでしょう。

    「私 は、すでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・ イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」(新約聖書:ピリピ人への手紙3章13~14節)


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから