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教会についての質問と答え

教会の始まり

投稿者: Administrator on . Posted in 教会について

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 
弟子たちは、イエスの教えと復活の事実を伝える証人として任命されました。 「都で留まっていなさい」とありますが、この都とはエルサレムを指しています。 イエスのこの命令どおりに弟子たちはエルサレムに留まり、神からの賜物である力を待っていました。

1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示され た。1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっていま す。1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの 証人となります。(使徒行伝1:3-8)

弟子たちはイエスの命令に従い、エルサレムで待っていました。この時、イエスが言われたように、 弟子たちは聖霊で満たされたのです。そして、弟子の一人、ペテロがエルサレムに集まっていたユダヤ人たちの前で、イエスの死と復活について語り始めます。 ここで書かれている記録が、教会の初めであり、始まりだったのです。 

2:22 イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれ ました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。

2:23 あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。

2:24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。……。

2:32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。

2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。……。 

2: 36 ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」 

2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか。」と言った。   

2:38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。 そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。 

2:39 なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたちならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

2:40 ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい。」と言って彼らに勧めた。

2:41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日三千人ほどが弟子に加人々えられた。

2:42 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

(使徒行伝2:22-42)

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良くある質問と答え

  • Q. クリスチャンになると死が怖くない? ほんと?

    A. 恐れや怖いという感情は、人間 の肉体に生まれついた本能的なものですから、クリスチャンになったからといって、無くなるわけではありません。しかし、キリストの十字架のあがないによっ て、永遠の滅びから罪のゆるしをいただいて、天国に行く確信を持つと、死の恐れに勝利できるのです。それだけではなく、天国で神との素晴らしい交わりを持 ち、先に天国に帰った家族や友とも再会できるという希望を持つことが出来ます。キリストを信じる時に、死の恐怖から解放され、希望と自由と平安を得ること が出来るのです。
  • 結婚の相手Q ふさわしい結婚相手を見つけるための実際的なアドバイスをいただけませんか。正しい選択をしたいのですが、単にルックスや人柄だけで決めたいとは思いません。最終的な決断をする前に考えるべきポイントは何ですか。

    A  いくつかのポイントをあげてみましょう。
    私 が13歳の時、教会学校の先生が印象に残るアドバイスをくれました。「『この人でも』という程度の人ではなく『この人でなければ』という人を見つけなさ い。」このアドバイスは真実です。熱く燃えている二人の結婚生活にも困難はつきものです。愛という土台のない結婚生活は墓場です。
    あなたが我慢できないと思う性格を持った相手と結婚すべきではありません。
    結 婚してから相手を変えようと思うかもしれませんが、おそらく失敗するでしょう。性格や行動は人格の深いところに幼い時に刻まれたものであり、変えるのは至 難の技です。深く浸透したパターンを変えるには、堅固なダムを築き、運河を堀り、新しい方向に川を持って行かねばなりません。
    長い目で見て、その努力は報われないことが多いのです。ですから、お付き合いしている間に発見した嫌な性格は、一生の悩みの種となると思った方が良いのです。

    例えば毎日晩酌をする人が、結婚したからといって断酒することはないでしょう。例えば、お金の使い方が荒いとか、不衛生だとか、イライラすると乱暴を働くとか、極度にわがままであるとかいった傾向はみな赤信号です。今の傾向は、結婚後も続きます。

    もちろん欠点のない人はいません。欠点がない人しか結婚できないなどと言っているのではありません。要点は、彼(彼女)のおかしな行動を一生我慢できます かと聞いているのです。結婚とは一生のものですから。できないなら、式の後で相手を変えられるという見込みはしない方がよいでしょう。式の前は目をしっか り開き、終わったら半分閉じるといいのです。
    衝動的に結婚しない!
    深い思慮と祈りなしにこの決定的な決断をすることは人生を台なしにする早道です。人と人とが知り合い、絆を結び始めるには時間がかかります。
    お付き合いの時期は互いに自分を相手に知らせるよりも隠す傾向にあることを覚えておくとよいでしょう。相手を自分に引き付けるためには、良いところばかりを見せたがります。がっかりさせるようなことは秘密にします。
    だから多くの新婚さんは一年目に驚くのです。ですから、少なくとも一年はおいて仮面の下にある素顔に迫る努力をすべきです。
    あなたが真剣なクリスチャンであるなら、不信者と「つりあわないくびき」をおわないでください。
    い つか相手を主に導こうと思うでしょう。そうなることもあります。しかし、それに期待するのは良く言って危険、悪く言えばむこうみずです。言い替えると、こ のように自問してみてください。「夫(妻)が私と同じ信仰を持ってくれることは自分にとってどれほど重要なのか」と。もし、聖書が言っているように、これ は議論の余地のない問題であると思うならば、あなたの結婚のための最優先条件にすべきです。
    式前に同棲をしないこと。
    その理由はいくつもあります。
    第一に、それは不道徳で神の定めに反します。
    第 二に、同棲は二人の関係を壊し、しばしば離婚の元になります。過去50年間の調査データによれば、同棲経験のある夫婦は、同棲経験のない夫婦に比べて 50%離婚の確率が高くなります。同棲経験者はまた、結婚生活の満足度がより低く、不安定になります。その理由は、研究結果によると「同棲者たちは後に なって自分自身の道徳基準を破ったことを後悔し、早まったと思っても後戻りできないと感じた」のです。
    それ以上に、結婚の絆という主題にのっとって言えば、式の前の時点では不適当なレベルの性的接触を「盗み食い」したのであり、互いへの献身度も未確認状態のまま、既成事実だけが出来てしまったのです。
    こうして見ると、神の戒めに従うことは単に正しいだけではなく、誰にとっても最も安全な道であると言えます。
    未成年の結婚はリスクが大きいのです。
    17歳前に結婚する人たちの離婚率は、20代まで待った人達の2倍です。家庭を運営するには、自己犠牲、安定、自制心といった成熟さを必要とします。焦ることは禁物です。
    最 後に、変わらない愛情の秘訣を教えましょう。一言で言って安定した結婚生活には、最後までやりとげようという鉄の意志力が必要なのです。結婚という道を選 ぶなら、生涯の伴侶とする決意で臨みなさい。どんなに腹が立っても、別れるという脅迫をしてはいけません。離婚の可能性さえ考えてはなりません。
    最後まで愛を貫く決意をした者にとっては途中棄権はありえないのです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから
  • Q. 教会は楽しいところですか?

    A. もし世の中の楽しみのようなことを期待されるならば、場違いだと感じるかも知れません。教会には、年齢や性別、国籍を越えて、いろいろな方々が来られています。神による不思議な平安や暖かさが満ちていま すので、何回か来られるならば、この世の中には無い、素晴らしい喜びが神によって与えられることに気づくでしょう。その時には、教会に来ることが何よりも 楽しくなります。考えていないで、一度勇気を出して足を運んでください。
  • 一般に教会とは建物を指していることが多いようです。「教会に行ったことがある」「教会で結婚式を挙げる」と言う時、教会の建物を指して言っているようで す。 中世の教会では神の威光を表現するために、より高い教会堂、より大きな教会堂を建設しました。この長い歴史の中で、教会イコール教会堂(建物)というよう に変わっていったのです。元々、初期教会が存在した頃、教会堂のようなものはありませんでした。 クリスチャンは個人の家で集まっていたのです。 長い歴史の中で、本来の教会の性質も変わっていきました。 キリスト教の中には様々な宗派があり、各々の宗派がそれぞれの伝統を持っています。 そして、それぞれの教会が各々の伝統に基づいて違ったことを教えています。このような事は神が計画したことではありません。 教会はある宗教的なリーダーによって築かれた、という印象を持っている方もいると思いますが、本当の教会の姿は違います。 イエスは次の様に言われました。

    16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。16:19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天に おいても解かれています。 (マタイの福音書16:18-19)

    聖書が教えている教会とは、イエスが建てたものです。教会の起源は神 自身にあるのです。宗教的なリーダーが建てたものでも、ある特定の人間が建てたものではありません。では教会がどのように始まり、いったいどんなものなの かを共に考えてみ見ましょう。イエスが十字架に架けられ死んで3ヶ日後に復活され、その時にイエスは弟子たちに言いました。

    24:45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり 24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。24:48 あなたがたは、これらのことの証人です。24:49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさ い。(ルカの福音書24:45-49)