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クリスチャン信仰についての質問と答え

キリスト教は、禁酒禁煙ではないのですか。

投稿者: Administrator on . Posted in クリスチャンの信仰について

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 
Q. キリスト教は、禁酒禁煙ではないのですか。

A. 「そうです」とも「違う」とも言えません。 確かに教会が禁酒禁煙を声高らかに謳った時代がありました。それにはそれぞれ理由があります。 どんな生活が神の前にふさわしいかは、それぞれ信仰と良心の自由に基づいて判断されるべきです。 キリスト者の生活態度は、神の戒めに従うことです。神はその民イスラエルに十戒を与え、それを守るように命じられました。

神はこれらすべ ての言葉を告げられた。 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神 である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の 中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わた しは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与 える。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の 間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷 も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息 日を祝福して聖別 されたのである。あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。殺してはならない。 姦淫してはならない。盗んではならない。 隣人に関して偽証してはならない。 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(「十戒」出エジプト記20:1~17)

またイエス様は守るべき戒めを次のように新しく解釈されました。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ22:37,39)
つまり守るべき戒めとは、神と人を愛することなのです。
キリスト者には上にあるような基本的な生き方がありますが、どんな生活を送るかは自由であり、多様であるとしか言えません。しかし何ごとも神の栄光を表すためでありたいものです。

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良くある質問と答え

  • 一般に教会とは建物を指していることが多いようです。「教会に行ったことがある」「教会で結婚式を挙げる」と言う時、教会の建物を指して言っているようで す。 中世の教会では神の威光を表現するために、より高い教会堂、より大きな教会堂を建設しました。この長い歴史の中で、教会イコール教会堂(建物)というよう に変わっていったのです。元々、初期教会が存在した頃、教会堂のようなものはありませんでした。 クリスチャンは個人の家で集まっていたのです。 長い歴史の中で、本来の教会の性質も変わっていきました。 キリスト教の中には様々な宗派があり、各々の宗派がそれぞれの伝統を持っています。 そして、それぞれの教会が各々の伝統に基づいて違ったことを教えています。このような事は神が計画したことではありません。 教会はある宗教的なリーダーによって築かれた、という印象を持っている方もいると思いますが、本当の教会の姿は違います。 イエスは次の様に言われました。

    16:18 ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。16:19 わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天に おいても解かれています。 (マタイの福音書16:18-19)

    聖書が教えている教会とは、イエスが建てたものです。教会の起源は神 自身にあるのです。宗教的なリーダーが建てたものでも、ある特定の人間が建てたものではありません。では教会がどのように始まり、いったいどんなものなの かを共に考えてみ見ましょう。イエスが十字架に架けられ死んで3ヶ日後に復活され、その時にイエスは弟子たちに言いました。

    24:45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、24:46 こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり 24:47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。24:48 あなたがたは、これらのことの証人です。24:49 さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさ い。(ルカの福音書24:45-49)
  • 「人間は皆罪人(つみびと)だ」と聖書は語ります。その罪とは、法律を犯す「犯罪」という意味ではないし、倫理的な「不道徳」ということでもありません。 聖書の言う罪は神様との関係においてのみ成り立つことです。神様に造られ、生かされている人間が、その神様を見上げることなく、神様の思いを無視して、自 分が主人となって歩んでいる、そのことが罪なのです。聖書における「罪」という言葉は「的外れ」という意味でもあります。神様を見失った人間は、的外れな 生き方をしてしまっているのです。その根本的な罪から、人間どうしの関係もうまくいかなくなり、「不道徳」も、そして「犯罪」と見なされる罪も生まれてく るのです。
  • Q. クリスチャンになると死が怖くない? ほんと?

    A. 恐れや怖いという感情は、人間 の肉体に生まれついた本能的なものですから、クリスチャンになったからといって、無くなるわけではありません。しかし、キリストの十字架のあがないによっ て、永遠の滅びから罪のゆるしをいただいて、天国に行く確信を持つと、死の恐れに勝利できるのです。それだけではなく、天国で神との素晴らしい交わりを持 ち、先に天国に帰った家族や友とも再会できるという希望を持つことが出来ます。キリストを信じる時に、死の恐怖から解放され、希望と自由と平安を得ること が出来るのです。
  • 家族Q 安楽死の方向への動きに異論があるのはなぜでしょう。病気の老人が尊厳をもった死を選ぼうとすることは、誰の迷惑にもならないはずです。質の伴った命がないわけですから、静かに自殺させてあげたらどうかと思うのですが。

    A  現代の文化的背景の中で、ご質問は大変重要なものですので、しばらく時間を割いてお答えしたいと思います。

    苦しく緩慢な死を迎える老人たちがいることを知っている私たちにとって、ご質問にあるような考えは大変魅力的なものではあります。静かに眠らせ、苦しみを逃れさせてあげる方が確かに人間的なことと思えます。

    し かし、その方向に進むなら、多くの人々が言語に絶する苦しみを味わい、社会が混乱に陥ることは火を見るよりも明らかです。人命を奪うという道徳的な側面も さることながら、安楽死はその性格上、なしくずしになることが避けられません。いったん、おりから這いだした蛇を捕まえることはできません。

    詳しく説明しましょう。治癒の見込みのない老人が、医師の助けによって自殺することが合法化されたとします。その後は、病気も重度の障害もない人の自殺に対して、何が歯止めになるのでしょうか。
    健康な老人であっても、もう生きるのに疲れたという人はどうでしょう。彼の自殺を許すのにかかりつけの医師からの許可証が本当に必要でしょうか。
    健康な老人が死を選べるとしたら、次にはそれほど高齢でない人の場合はどうでしょう。
    五十代の人は身投げをしてよいでしょうか。よくないとしたらその理由はなんでしょう。
    四十代の更年期の女性や、中年の多くのストレスを抱えた男性はどうでしょう。

    少し考えて見ると、自殺という決定的な事柄に年齢は何の関係もないことが分かります。うつ状態ではあっても健康な二十歳の学生が、治癒の見込みのない患者と同じように「尊厳ある死」を選ぶ権利があるということになってしまいます。

    もし安楽死が一部の人に合法化されたら、全面的合法化へのレールが敷かれたも同然です。年齢も、健康的要素も、クォリティ・オブ・ライフ(質の伴ったいのち)も条件とはなりえません。
    安楽死を積極的に押し進めているヘムロック協会という団体は、その事実をよく知っています。彼らは、全ての人には「死ぬ権利」があると強く主張しています。

    私 たちが今、まったく健全な胎児を切り刻んでごみ袋に捨てているなどと、1950年に誰が予想したでしょうか。四千万近い、いたいけな子供たちを母の胎から 引き裂くなどということを、誰が想像できたでしょう。最も弱い者たちにその様な非道を行った私たちが、どのようなグループの人たちをも殺すことができない と信じることができるでしょうか。

    歴史的に言って、安楽死という怪獣を招き入れてしまった国々は、大量虐殺という悪夢を実現してしまった のです。それこそ、ナチス・ドイツに起こったことです。そこではまず始めに病人と老人とを殺し、次に精神障害者、知的障害者、そして生まれつきの障害児を 殺害したのです。そこから「望ましくない者たち」すなわちユダヤ人、ポーランド人、ジプシー、生産活動に従事できない者、政治犯、同性愛者その他の人々を 殺害するまではほんの一歩でした。安楽死は絶滅収容所への最後の小さなステップでした。
    もしこのような狂気の虐殺が起こらなくても、「死ぬ権利」の合法化は毎年の自殺数を劇的に増すことは確実です。

    一 人一人の死は、残された者たちにとって、計り知れない悲嘆と罪責感と悲しみとを残します。死ぬ人にとって、自殺は安易な逃げ道に見えるかもしれませんが、 愛する者や多くの子供たちを含む親戚にとっては恐らく最も苦痛に満ちた経験です。どの観点から見ても引き出せる結論は同じです。しかし、カリフォルニア州 の第九連邦巡回控訴院は、家族計画協会対ケーシーの連邦最高裁の判決を引用しながら、安楽死を米国で合法化したのです。「神よ、われらを助けたまえ。」


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A