クリスチャンになると死が怖くない?

投稿者: Administrator on .

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Q. クリスチャンになると死が怖くない? ほんと?

A. 恐れや怖いという感情は、人間 の肉体に生まれついた本能的なものですから、クリスチャンになったからといって、無くなるわけではありません。しかし、キリストの十字架のあがないによっ て、永遠の滅びから罪のゆるしをいただいて、天国に行く確信を持つと、死の恐れに勝利できるのです。それだけではなく、天国で神との素晴らしい交わりを持 ち、先に天国に帰った家族や友とも再会できるという希望を持つことが出来ます。キリストを信じる時に、死の恐怖から解放され、希望と自由と平安を得ること が出来るのです。

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良くある質問と答え

  • キリスト教は二千年の歴史の中で、いくつかの流れに枝分かれしてきました。それを「教派」と言います。プロテスタントは、16世紀の「宗教改革」におい て、当時のローマ・カトリック教会から分かれた流れです。プロテスタントの中にもさらにいろいろな教派があります。教派の違いは、礼拝の仕方、教会の運営 の仕方、信仰における強調点の違いですが、キリスト教会の信仰の根本的規範は聖書であり、それに基づく信仰を言い表した古代の「信条」です。そこにおいて は基本的に一致しているので、このごろは、カトリックとプロテスタントが共同で訳した「新共同訳聖書」が生まれるなど、協力関係も進みつつあります。
  • 子育てQ. 自信がなく、自尊心が低い子どもたちや若者たちがこれ程までに増えてきたのはなぜなのでしょうか。

    A. ひとつには、私たちの社会が持っている、人間の価値をはかる尺度が狂っているからです。全ての人が価値ある存在とはみなされません。全ての人がありのま まに受け入れられていません。生まれながらにして誰からも認められるような資質を持った人にしか賞賛は届きません。

    この悪循環を私たち親はなんとかすべきです。私たちの文化で最も高く評価されているのは美しさです。たまたま美しく生まれついた人は誉れと尊敬を受けます。
    そうでない人は他に落度はないのにさげすまれ、拒まれます。乳幼児でさえこの価値基準にさらされます。美しい子はより可愛がられるのです。

    そ れで、第一子を産んだ後に母親がふさぎ込むのは珍しくはありません。赤ちゃんは一般的には不器量なものとわかってはいても、自分の子どもは例外だと親は思 います。どんな母親も、まぶしい笑顔、かわいいまばたき、前歯が4本そろって、血色がよい、広告に出てくるような子どもを産みたいと内心は思っているので す。
    ところが、わが子は期待はずれで、歯も髪の毛もなく、しわくちゃで泣き叫ぶだけです。成長するにつれ、親のみならず他人からも子どもは人としての価値をはかられるようになります。

    赤ちゃんコンテストの優勝者には賞金や賞品が当り前のように与えられます。魅力的な子どもは、何もなくてもすでに有利であるのに、なんという不公平な世の中でしょう。
    ジョージ・オーウェルの皮肉が思い浮かびます。「人はみな平等であるが、ある人たちはより平等なのだ」この言葉の真実性が私たちの子どもたちの人生において証明されているのは実に悲しいことです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q テレビが引き起こす悪影響を考えたら、子どもが大きくなるまでいっそのことテレビなどなくしてしまったらよいとは思われませんか。

    A  あるご家庭では、おっしゃる通りのことを行いました。そのような勇気は立派と言う他ありません。

    しかし私は、テレビをつけても、それに支配されずにいることは可能と考えます。私の提案は、家族全体でテレビについて話し合ってみることです。
    何が悪いのか、どうしたら良いか、子どもたちがどうしたら番組の良し悪しを判別することを学べるかなどです。

    もう一つは、ご両親がお子さんたちと一緒にテレビを見ることです。見ていることを理解させようとするだけではなく、家族としての楽しい団らんの一つとしてです。

    正しいアプロ一チを用いれば、テレビは、教育やディスカッションの大変有益な道具となりえるのです。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • 子育てQ. 博士ご自身、父親としての最大のチャレンジは何でしたか。また、そこから何を学ばれましたか。

    A. 子どもの健康を保ち、教育を受けさせ、自分のことを自分でできるようにさせ、神と人とを愛するように育てることは、人生で最大のチャレンジだと思います。 その複雑さと予測できないことが多いことは、宇宙飛行の技術以上のものがあると思います。そして、クリスチャンの親が家庭で教えようとしていることと、 ちょうど反対のことを社会が教えてしまうような時代には、親の仕事はいっそう困難です。私たちは決して完全な父また母であることを求められているわけでは ありません。私たちの過ちや失敗にもかかわらず、子どもたちは普通は善良な大人に育つのであり、親に自慢する権利はありません。
    もちろん私も父親として失敗をしました。同世代の多くのお父さん方と同様、私も仕事のプレッシャーと家族の必要とのバランスを取るのに苦労しました。私が家にいなかったわけではありませんが、その時間を十分取ることは大変でした。
    私 の最初の著書「思いきってしつけましょう」が出版されたのと、第二子ライアンが与えられたのは、たまたま同じ週でした。赤ちゃんのおかげで家中がてんてこ まいになるのは普通ですが、拙著に対する反響がそれに輪をかけました。当時私は、医学部の専任教授でしたが、何千通もの手紙とありとあらゆる種類のリクエ ストが洪水のように押し寄せました。突然の反響をどう処理したら良いか途方に暮れました。ある時など、木曜日の夜にニューヨークに飛び、三日間で17のテ レビ番組と記者会見をこなし、翌週の月曜の朝に帰宅したことを思い出します。目が回るような日々でした。私にとって、いつも暗闇の中の灯台のような役目を してくれていた父は、私の事情を知って手紙をくれましたが、それが大きなきっかけになりました。
    まず、父は私の成功を祝福してくれた後で、「この世でのどれ程の成功も、家庭での失敗を埋め合わせることはできないよ。」と警告してくれました。
    子 どもたちの精神面の幸せが私の最大の責任であり、子どもたちの信仰を築き上げるただひとつの方法は、信仰生活を目で見せ、あとはひざを折って祈ることであ るということを父は思い起こさせてくれました。私が持てるエネルギーを全て仕事に注いでいたとしたら、それはとてもできないことでした。
    父の貴重なアドバイスを決して忘れたことはありません。結局、私は大学の職を退き、現在のミニストリーを始めるように導かれ、自宅にいる時間を確保できるようになりました。
    ラジオ放送を始めて、講演依頼を引き受けることをあえてやめましたので、出歩くことが減りました。拙著の販売促進のための旅行や、その他長期間家族の顔を見られなくなる種類の責任を引き受けないようにしました。
    あの時代のことを思い起こすと、子どもたちとの関わりを優先する決断をしてよかったと思います。今、息子や娘とよい関係を持っているのは、彼らが父親を必要としていたあの時期に私が家族のための時間を作ったからだったと思うのです。
    こ の回答を読んでいるお父さんの中には、あの頃の私のような立場にいる方々が多くいらっしゃるでしょう。もしあなたがその一人であるなら、ぜひ家族を第一に していただきたいと申し上げたいのです。今あなたの足元にまといつくお子さんたちは、あっという間に大きくなってしまいます。今のチャンスをみすみす逃さ ないでください。
    その代価はどんな仕事の業績や成功にも代えられません。あなたが私の年齢になった時には、家族との関わりに勝るものは人生にないことを実感なさることでしょう。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A