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子供のしつけの方法

投稿者: Administrator on . Posted in 子育ってについて

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 
しつけQ. 私の友人の子どもたちのことですが、今まで見たこともないようなしつけの悪さで、そばにいられると話もできません。なんとかしつけの手助けをしたいのですが、どうしたら友人を傷つけずに良いアドバイスができるでしょうか。

A.  誰かの行動や性格について傷や欠点を指摘するには、ヤマアラシが愛しあうようにすべきです。すなわち相手を傷つけないように、細心の注意を払うのです。 そうでないと、友人を失うことになります。まして、親としての間違いを指摘することは、さらに危険が伴います。全くの善意から、相手の子どものことを考え て注意したとしても、注意した方が反対にとばっちりを受けるのがおちです。
ですから、いかに必要を感じたとしても、私は人様の子どもについて頼まれもしないアドバイスはしないようにしています。どうしても聞き心地のよくないことを相手に対して言わなければならないとしたら、まず彼女との友情を築くための時間をとる努力をすることを勧めます。
注意深く信頼関係を築いたあとで初めて、あなたはやさしくアドバイスする権利を手にすることができます。このやり方に近道はありません。


From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

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良くある質問と答え

  • 「キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ1:25) とありますように、教会はからだにたとえられます。では教会の姿を次の聖句を読んで考えてみましょう。

    12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともでき ません。12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうに なりますが、12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(1コリント12:14-27)この聖句は人間のからだにたとえて教会の姿を言い 表しています。

    つまり、教会員のひとりひとりが重要な器官の役目を果たしており、どんなに小さな役目であっても、教会には必要な役目なの です。世の中では、偉い人や重要なポストに就いている人を重視します。しかし、「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなく てはならないものなのです」 と書かれてあるように、教会においては重要でないと思われる人こそ必要なのです。そして、キリストのからだは、キリストにあって、同じ考え方、同じ心の持 ち方、同じ態度を持っているのです。さらに、重要な事は「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての 部分がともに喜ぶのです」と書かれているように、苦しみと喜びを分かち合う人々の集まりだという事です。これは、イエス自身によって次の様に教えられまし た。

    13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合い なさい。13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ 13:34-35)

    イエスの愛が教会の人々の中に宿ります。 それゆえにクリスチャンはイエスが愛したように愛しなさいという命令を受けるのです。お互いに愛するとは、お互いに「深い同情心、慈愛、慈愛、謙遜、柔 和、寛容を身に着け、互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合い、主が赦してくださったように、赦しあう」ことです (コロサイ3:12-13)
  • Q. 献金とはどういうものですか。会費とどう違いますか。

    A.  礼拝に参集した者は神への感謝の応答として献金します。 よく「収入の10分の1が基準」と言われますが、献金は信仰に基づく自由な応答によるものであって、会費のように額を定められるものでも、まして何かの強制によるものでもありません。
    教会は経済的基盤を殆ど献金に負っています。当教会の規則では献金は教会員(洗礼を受け、教会のメンバーになった人)は自己申告によって決まった額の「月 定献金」を捧げ、教会を支えることになっています。他に礼拝の席上で捧げる「礼拝献金」、イースターやクリスマスなどの「特別献金」、またそれぞれの自由 意志によってささげる「感謝献金」があります。
  • Q. クリスチャンってどんな人ですか?

    A. クリスチャンとは、イエス・キリストを救い 主と信じた人です。その呼び名は、1世紀のローマ帝国時代に、キリストの弟子たちがローマ皇帝ではなく、キリストのみを唯一の「主」と告白したためにつけ られたあだ名、「クリスティアノス(キリストに属する者)」に由来しています。後に、それがクリスチャンへの迫害につながって行きます。
    誰でも、イエス・キリストを人生の主として本気で信じ、受け入れるならば、今日からでもクリスチャンになれます。キリストを信じて、あなたも勝利の生活を歩んでみませんか?
  • Q. 三位一体とは何ですか。キリスト教は唯一の神ではないのですか。

    A. 今も教会の「神認識」を根幹をなす、最も重要な教理です。 万物の造り主である父なる神と、子なる神であるわたしたちの救い主イエス・キリスト、そして今も共にいる慰め主なる聖霊はそれぞれ固有の人格(ペルソナ) であり、共に交わり、一つとなっている、ということです。これは神を分析した結果 、判ったものではなく、聖霊と聖書に導かれた教会が信仰の告白として言い表したものであり、わたしたちはその信仰を受け継いでいます。