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息子の部屋をそっとのぞいてみるのは?

投稿者: Administrator on . Posted in 子育ってについて

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星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 
子育てQ 息子の部屋をそっとのぞいてみて、何をしているのか確かめるのはどうでしょうか。親はそんなことをしたらいけないでしょうか。

A 十代の子どもたちのプライバシーを冒してでも、両親が秘密に調査をしなければならないときは確かにあります。ある俳優が十代の娘が麻薬を使っていることを 発見したとき、この問題はメディアで広く話題になりました。問題がついに表面化した時、この母親は事実をつきとめる努力を怠ったことを後悔していると述べ ました。彼女は多くのトークショーに出演し、「ああいうケースの子どもたちは親に見つかった方がよい」という意味のことを語りました。プライバシーうんぬ んもさることながら、目の前で進行している犯罪行為を目をつむって見ようとしないことの方が問題です。
息子さんのしていることを確認してくださ い。もちろん、親は自分の子供をよく知っているべきです。違法なことや自分の害になることなど全く興味がないという青年たちもいます。そういう子どもたち の部屋や私物まで調べるようにとは、私も勧めません。しかし物陰に隠れてはあやしげなことをし、おかしな友だちを集め、家の中では親を決して部屋に入れな いような子の場合は、私なら遅くならないうちに事実を確認する努力をするでしょう。


From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

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良くある質問と答え

  • 家族Q 老齢化に伴う肉体的な変化について教えていただけますか。

    A 全ての器官が同じレベル、また、同じ早さで衰える訳ではありません。老化には決まった順序があります。通常、すなわち病気がなにも無い時、老化のきざしは以下の順序で現れます。

    ま ず衰えるのは、まず人と外界をつなぐ感覚器官です。目の水晶体が収縮して焦点を合わせることができなくなるため、景色にも本にも焦点の合う遠近両用眼鏡を かける必要が出てきます。白内障になるとさらに視覚が衰える場合があります。三半規管が衰えると音の伝導がにぶり、若い頃のようには耳が聞こえなくなりま す。まず高い音が聞こえにくくなり、次第に低い部分に移ります。口と舌の味覚が衰えると、食物の味が落ちます。食べる楽しみがなくなります。嗅覚が落ちる ことも、味覚の変化の一因です。食事の喜びの多くは、快い香りによるからです。肌が荒れ固くなると、触覚が弱ります。このように五感がすべて弱くなり、情 報を捕えて脳に送る能力は減少します。

    次に運動機能、すなわち体を動かす力の変化です。まず指が動かなくなり、次に手の機敏さが衰え、手首、ひじ、そして肩に来ます。機能の衰えは外部から体の内側へと進みます。それで、老人の震える文字は年を表わすのです。

    そ れから循環機能に変化が訪れます。心臓内部と周囲についた脂肪のために、同じことをするにもより労力がいります。運動のあと、通常の脈拍に戻るまでにより 時間がかかります。動脈がしだいに硬化することも、心臓の負担の元です。コレステロールが動脈に溜まり血流を圧縮するので、心臓発作、脳卒中、その他の心 臓血管系の病気に結び付きます。加えて、自律神経系統が体を規則正しく機能させなくなり、血行の悪さなどの問題を起こします。生殖能力も、女性では45才 程度で、男性の場合は50才か60才で無くなります。生命を生み出すという尊い働きも終ります。

    要約すると、老化の過程に起きる重大変化は以下の通りです。第一に感覚器官が衰え、次に運動機能が衰えます。すなわち体を動かす能力です。さらに高齢になると精神的な機敏さが衰えるでしょう。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • Q. 神はどんな方?どうやって知ることが出来る?

    A. ほんとうの神は、人間が木や石で作ったものではありません。人格を持たれる生きた方です。聖書は、まことの神は
    (1)天地万物の創造者
    (2)目に見えない霊なる存在者
    (3)罪を憎まれる聖い神
    (4)愛なる神
    であると語っています。この神が、罪人である私たちを罪から救い出し、永遠のいのちと豊かな人生を与えるために、イエス・キリストを十字架につけて私たちの救いの道をつくってくださったのです。
    誰でも、自分の罪を告白して悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じるなら、この神のゆるしと限りない素晴らしい永遠の愛を受けとることが出来ます。
    神を知る道は、聖書のみことばと心からのキリストへの信仰です。神を知るための修行や訓練、功績は必要ありません。
  • Q. 聖書とは何ですか。新約聖書と旧約聖書は、どう違うのですか。

    A. 他の古文書と同様に人間が記したものです。しかしわたしたちは次のように信じます。
    「旧 新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会 の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、 全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。」 (「日本基督教団信仰告白」より引用)
    わたしたちが自分自身でどれだけ正しく美しいと思えるものであっても、聖書の教えに反するものならば、わたしたちはそれを捨てます。神の言葉のみが真理であるからです。
    旧新約聖書は共に、神の救いの歴史を記しています。旧約聖書は天地創造から神の民とされた古代イスラエルの興隆、滅亡、再生の歴史を物語り、メシア預言 (神が人類に救い主を与える希望を表す)をもって閉じられます。新約聖書はメシア預言の成就として、イエス・キリストの誕生、生涯、受難、十字架の死、そ して復活と昇天、その後に聖霊によって建てられた教会(新しい神の民)の歴史を物語り、教会成立当初に生きた使徒たち(おもにキリストの十二弟子)の証言 を通して、救いの完成するキリストの再臨、終わりの日に向かっての希望を表して閉じられます。
  • 中絶は自由?

    Q 博士の中絶に対する考えは極端だという人たちがいます。近親相姦やレイプや生まれてくる子が障害児である時でさえ、中絶は許されないと言われるからです。そういう立場を取られる理由は何ですか。

    A  文字どおり母親の命がかかっているという稀な場合にのみ、人間は発達過程にある胎児の命を奪う権威を持つと私は思います。

    その理由は、次の単純な質問に基づいています。「母親の子宮にいる赤ちゃんと、産道を30センチばかり下りた赤ちゃんとどんな基本的違いがあるのでしょう。」もしあるなら、それは何でしょう。人の誕生のどの時点で、神は子供を人間であると宣言されるのでしょう。

    赤ちゃんが母体から離れることには、単なる原形質から永遠の魂を持った人間への変化を説明する、何か特別神秘的なものがあるのでしょうか。私はないと思います。子宮内の赤ちゃんも、数分後にこの世に生まれる赤ちゃんも、確かに神様は同じ愛をもってご覧になるのです。
    両者の唯一の違いは、人の目に見えるか見えないかです。

    こ の前提を受け入れるなら、産前であれ産後であれ、子どもを殺すことは同じように人の道に反します。肉体上の問題、知的な障害、また妊娠の理由はこの際関係 がありません。思いがけない障害をもって生まれた子をその場で殺すようにとは、中絶賛成派の急先峰であっても言いません。
    実際に、人並みの知的能力を持たないであろう新生児や、数週間しか生きられないであろう新生児を殺したら、当局から殺人の責任を問われます。子どもの状況がどれほど厳しくても、私たちには自然の流れに任せるという道徳的また法律的責任があります。

    同じように、私たちは、レイプや近親相姦による妊娠だったからと言って、たった昨日生まれたばかりの子を殺すことはしません。一旦生まれたなら、ことさらに命を奪うことは考えられないことです。
    そ れならば、母の子宮にいるからといって、なぜ「標的」にされるのでしょう。確かに、法律は生まれていない子と生まれた子とに違った立場を認めますが、その 場合は法律が悪いのです。このような区別をするべき生物学的、また道徳的な理由はありません。私たちがまだ会っていない小さな犠牲者の死ぬ過程を見なくて すむ時にのみ、胎児の虐殺は受け入れられるべきかに見えるだけなのです。

    ですから、欠陥があったり障害を持つ子どもの命を断つべきだとい う議論のすべては、以上の理解に照らして検討されなければなりません。「どっちみち死ぬんだから。」「生かしておいても本人が苦しむだけだ。」「親が苦し むだけだ。」「真っ当な人生を送る見込みは、まずない。」「関係者みなにとって、これがベストの選択だ。」など様々な言い分がありますが、この世に生を受 けた赤ちゃんに適用しようとすると、こういう言い訳が間違っていることは明らかです。

    新生児にシアン化合物を与えるべき正当な理由はありません。しかし、その数時間前、妊婦の陣痛がまだ始まっていない時なら、その同じ欠陥のある胎児、または誤って妊娠に至った胎児をばらばらにしてもかまわないと考える人たちがいます。


    私 は、その主張は断固として誤りだと思います。こういう見解は、哲学的また神学的に述べることは易しくても、実際問題として直面させられる親にとっては別問 題だということは分かります。特に気にかかるのは、レイプによる子を妊娠している女性です。言語に絶するうめきと苦しみとがあるでしょう。
    しか し、そのような母親でも、もし無事出産し、自分で育てるか養子に出したならば、決してその決断を後悔することがないことを私は確信します。生まれていない 子どもにとって正しく道徳的なことは、両親にとっても結局はベストなのです。私の意見に反感を覚えるする人はいるでしょうが、これは私が信じていることで す。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A