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子供にテレビの番組を何でも見せるのは?

投稿者: Administrator on . Posted in 子育ってについて

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

テレビ見る子供たちQ うちの子が一緒に遊ぶ、近所のお子さんたちは、あきれるようなテレビ番組を見ています。親たちが、暴力やセックスを子どもたちに見せていることが信じられません。こういう番組を見ていると、後々どのような影響が出るのでしょうか。

A  あまりにも多くの親たちが、テレビを子どもの好き放題に見せていることは、悲しく、また理解しがたいことです
「何を見せてもいいじゃないか。」と言う方々に、私はこう聞きたいと思います。
見ず知らずの人が、あなたの家を訪ねてきて、「お疲れのようですね。一日二日、お子さんたちの面倒を見てあげましょうか。」と言ったとします。「やあ、ありがたい、ぜひ、頼みます」と答える人は、まずいないでしょう。
これは、「子どものテレビを考える会」代表のペギー・チャレン女史が使った例です。彼女の言いたいことは明らかです。

子 どもたちをテレビの前に座らせる時、私たちは彼らを見ず知らずの他人の手に任せているのです。子どもに自由にテレビを見せることによる危険性は、ますます 大きくなりつつあります。テレビでの暴力が、後になってしばしば子どもや十代の若者による暴力となって現われることは、数多く実証されてきています。

中でも、レナード・D・アロン博士の研究は、大変に説得力のあるものです。
複数の子どもたちを、まず8歳、次に19歳、最後に30歳の時に調査しました。国は、米国、豪州、フィンランド、イスラエル、ポーランドにまたがりました。結果は、どこでも同じでした。
8歳の時に暴力番組をひんぱんに見ていた子ども程、30歳の時に犯罪者となっていた確率が高く、飲酒時の行動は節度を欠いていました。

親は、子どもたちのテレビを見る時間と番組の内容を規制しなくてはいけません。さもないと、恐ろしい結果になるかもしれません。


FROM ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

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良くある質問と答え

  • Q. クリスチャンになると死が怖くない? ほんと?

    A. 恐れや怖いという感情は、人間 の肉体に生まれついた本能的なものですから、クリスチャンになったからといって、無くなるわけではありません。しかし、キリストの十字架のあがないによっ て、永遠の滅びから罪のゆるしをいただいて、天国に行く確信を持つと、死の恐れに勝利できるのです。それだけではなく、天国で神との素晴らしい交わりを持 ち、先に天国に帰った家族や友とも再会できるという希望を持つことが出来ます。キリストを信じる時に、死の恐怖から解放され、希望と自由と平安を得ること が出来るのです。
  • Q.祈っても祈ってもなかなか答えられません。次第に祈ることがおっくうになってしまいました。祈りは答えられるのでしょうか。答えられない祈りを繰り返して、どんな意味があるのでしょうか。(三十代男性、会社員)

    A.  古代から現代にいたるまで、人間は変わりなく何らかの力ある存在に自らの願い事、祈りをぶつけてきました。しかし、そのとおりにならず、事が悪いほうに 進むと、その人は呪われているとか、何かの祟りであるとよく考えられてきました。それはどなたに祈るのかを本当の意味で知らないからです。

    ◇ 祈りは聞かれるのか?

    祈りは科学的説明を越えた神との深くそして豊かな対話です。ところが現代人は科学的説明と矛盾する祈りの世界を軽視します。祈ってもその通りにならない苛 立ちの中で、祈りの大切さを見失い、この時代の傾向に染まっていくなら、それは実に悲しむべきことです。しかし、もしキリストを信じその名によって祈るの なら、必ずその祈りは聞かれます。聖書はそのことを約束しています(ヨハネ十四・十三)。ただし聞かれるということと、祈りの通りに成ることとを混同して はなりません。ニューヨーク大学にあるリハビリテーション研究所の壁にかかっている、ある一人の患者の詩の一部を紹介いたしましょう。

    大事を成そうとして
    力を与えてほしいと神に求めたのに、
    慎み深く、従順であるようにと 
    弱さを授かった。
    より偉大なことができるように 
    健康を求めたのに、
    よりよきことができるようにと
    病弱を与えられた。

    幸せになろうとして 富を求めたのに、
    賢明であるようにと 貧困を授かった。
    世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに、
    神の前に跪くようにと 弱さを授かった。
    人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに、
    あらゆることを喜べるように 命を授かった。

    求めたものは 一つとして 与えられなかったが
    願いはすべて聞き届けられた。
    神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、 
    心の中の言い表せない祈りは 
    すべてかなえられた
    私は あらゆる人の中で
    最も豊かに祝されたのだ。

    ◇ 様々な祈りの答え

    神は祈りをお聞きになるばかりではなく、必ずその祈りに答えられるのです。その答えは少なくとも五つあります。1)すぐその通り(叉は祈り以上)になる。 2)ノーという答え(自己中心的な、叉は不信仰な祈りに対して、ヤコブ4:3、1:5-6)。3)待ちなさいという答え(忍耐が必要なとき)。4)予期し ない別のことが答えとして返ってくる(祈りが真実であっても的がずれているとき)。5)しばしの沈黙(ヨブ記)。すべての場合において祈りは届いていま す。しかし答えは違います。あなたの場合、第一の答え以外でしょう。祈り続けていく時に必ず何らかの答えが与えられます。
    「天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に
    良いものを下さらないことがあろうか」(マタイ七・十一)。


    OMSウエストロサンゼルスホーリネス教会から
  • Q 妻として、博士のおっしゃる「男女の違いが」私たち夫婦にどれほど当てはまるか気になります。夫が私をどれほど必要としているかを、私自身が十分把握していないのでしょうか。

    A  恐らくそうだと思います。性的な欲求を除けば、男性が女性に自分の必要を告げることは大変まれです。男性自身が自分の行動形態を自分で分かっていないのか もしれません。簡単に言えば、夫が自信を持つためには、妻の助けが必要なのです。彼は自信がないように見えないもしれません。男は自分の不安をを隠すのが 上手なのです。一般的に夫は妻に「尊敬されている」ことを確認したいのです。それは、妻が夫に「愛されている」のを確かめたいのと同じようなことです。

    女性のこの重要な役割について、私の友人であるE.V.ヒル博士のよい実例があります。博士は、ロサンゼルスにあるバプテスト教会の黒人牧師です。ヒル博士 は数年前に奥さんを癌でなくしました。その葬儀で、良妻のジェーンにいかに助けられたかを彼は語ったのですが、私はたいへん心を動かされました。

    若 い頃、彼は牧師として生計を立てるのに苦労しました。彼は妻の反対を押し切り、なけなしのお金をはたいてガソリンスタンドの経営に乗り出したのです。夫に はこの事業を監督する時間も技量もないと彼女は感じていました。そして結果はその通りになりました。やがてスタンドは破産し、彼は無一文になりました。若 い牧師にとってこれは人生の危機でした。重要な企てに失敗したのですから、妻に「だから言ったでしょ」となじられても仕方がなかったのです。

    しかし、ジェーンは、夫の弱味を本能的に知っていました。それで、彼がスタンドはだめだったと電話で告げたとき、彼女の答は「いいのよ」の一言でした。

    彼 はその晩、帰宅する時、先見の明のない夫の投資に妻がふくれつらをしているだろうと覚悟していました。ところが、彼女は夫のそばに腰を降ろしてこう言った のです。「ねえ、私、計算してみたのよ。あなたは煙草も吸わない、お酒も飲まない、もし両方ともやっていたなら、今回なくしたお金はとっくになくなってい たはずよ。そう考えれば今回のことは差し引きゼロよ。忘れましょう。」妻の態度によっては、夫の自尊心は跡形もなく砕け散っていたかもしれません。特に失 敗と恥の日には、男性の自我は、驚く程もろいのです。ですから、先生は妻から「あなたを信じているわ。」という言葉を聞く必要がありました。そして彼女は 確かにそのメッセージを伝たのです。

    ガソリンスタンドの失敗から間もなくのことです。彼が帰宅すると家が暗いのです。玄関を入ると、妻がキャンド ル・ディナーを用意していました。「奥様、いったい今日は、何の日でしたかね。」と彼はおどけて見せました。「何となくムードを出してみたくて。」と ジェーンは答えました。夫もそれには大賛成で、洗面所へ手を洗いに入りました。電気をつけようとしましたが、つきません。寝室に入って別のスイッチに触り ましたが暗闇のままです。若い牧師は食堂に戻って、停電かと聞いたところ、妻は泣き出しました。「あなたは精一杯働いてくれているし、私もがんばったけど 先月の電気代は払えなかったのよ。キャンドル・ディナーにしたら、あなたに知られないでいられると思って・・・」今は亡き妻の言葉を語るヒル博士の声は震 えていました。

    「もし妻に『こんなめにあったのは生まれて初めてよ。電気を切られるなんて考えたこともなかったわ。』と言われていたら、私はすっ かり自信を失い、やる気をなくしていたでしょう。ところが、妻は、『電気はそのうちつくわ。今晩はキャンドルを楽しみましょうよ。』と言ってくれたので す。」ジェーン・ヒルさんは素晴らしい方です。

    彼女の多くの賜物や特質の中で、私が一番感心したのは、夫を励まし支える妻の役目をよく自覚してい たことです。現在E.V.ヒル博士は、影響力のある指導者です。彼が自信を得、それを保つために妻の助けが必要だったなどと誰が信じられるでしょうか。し かし、男とはそういうものなのです。われわれ男性は、特に若いうちは、自信がなくて悩むのです。私自身がそうでした。妻シャーリーのお陰で私は一人前にな れたのです。何度も繰り返し言ってきたことですが、自信に欠ける私を彼女が信じてくれ尊敬してくれたために、私は外で競いあい、努力し、冒険をすることが できました。

    私が何かを成し遂げたとするならその多くは、「私がついているからね」といってくれた妻の愛と献身との賜物です。あなたもご主人のために同じことができます。彼の必要を満たしてあげなさい。その効果は私が保証します。

    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. 献金とはどういうものですか。会費とどう違いますか。

    A.  礼拝に参集した者は神への感謝の応答として献金します。 よく「収入の10分の1が基準」と言われますが、献金は信仰に基づく自由な応答によるものであって、会費のように額を定められるものでも、まして何かの強制によるものでもありません。
    教会は経済的基盤を殆ど献金に負っています。当教会の規則では献金は教会員(洗礼を受け、教会のメンバーになった人)は自己申告によって決まった額の「月 定献金」を捧げ、教会を支えることになっています。他に礼拝の席上で捧げる「礼拝献金」、イースターやクリスマスなどの「特別献金」、またそれぞれの自由 意志によってささげる「感謝献金」があります。