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子どもと過ごす時間の質が、長さよりも大事?

投稿者: Administrator on . Posted in 子育ってについて

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

子育てQ. 最近、子どもと過ごす時間があまりとれないのですが、一緒にいられる時は大事にしたいと思っています。子どもと過ごす時間の質が、長さよりも大事だという意見に、先生は同意なさいますか。

A.  私には、その考えの論法があやまりだと思えるのです。
なぜ、時間の質と、長さのどちらかを選ばなければいけないのでしょうか。私たちの生活の他の場面で、そういう選択を迫られることはありません。どうして、子どもと過ごす時間についてのみ、そのように考えるのでしょう。

例 えばの話です。あなたが、町で有数のレストランで食事をするのを楽しみにしているとします。ウェイターが持ってきたメニューを見て、あなたは、一番高級な ステーキを注文しました。ところが、出てきたのは、お皿の真ん中に、三センチ四方の小さなお肉が乗っているだけです。あなたが苦情を言うと、ウェイターは 答えます。
「確かに小さいことは小さいですが、最高品質のビーフでございます。これ以上の味はどこでもお目にかかれないと思います。なにしろ、大 事なのは量ではなく、質でございますから。」当然ながら、あなたは憤慨します。なぜなら、食事はもちろん、多くのものは質、量ともに大事だからです。

子どもと過ごす時間についても、同じです。子どもたちは、親と過ごす時間が必要であり、私たちは最善のものを彼らに与えるべきです。私には、「量か質か」という議論が、子どもたちにそのどちらも与えない言い訳に使われているような気がしてならないのです。


ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

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良くある質問と答え

  • 毎週日曜日に教会で行われている礼拝は、神様を拝む集いです。ゴスペルハウスでは、ゴスペル・ワーシップというジャンルの音楽をピアノやギターなどと共に 歌います。また、聖書が朗読され、その箇所が告げている神様からのメッセージを伝える説教が語られ、祈りがなされる、ということを通して、生きて働いてお られる神様との出会いの時を持つのです。最初は、説教という講演を中心とする講演会のような印象を持つかもしれませんが、出席しているうちに、講演会では ない、神様を拝む礼拝の意味が分かってくると思います。
  • Q 夫は過去3ヶ月、別の女性と暮らしています。もし彼が彼女のところから私のところへ帰ってきて「赦してほしい」と言ってきたらどうしたらいいでしょうか。両手を開いて受け入れ、浮気などなかったかのようにしたらいいのですか。

    A  もちろんご主人を受け入れてあげてください。それが私の書き表わしてきた全ての本の趣旨です。
    し かし、これからのことについてご主人とじっくりと話し合うことを強く勧めます。事を急ぐべきではありません。「すぐに、夫婦に関するカウンセリングを受け る」という約束を書面にしてもらいなさい。何週間も延ばしてはいけません。自分を変えようという真剣な努力をしない限り、古い習慣は残るのです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから
  • 「キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ1:25) とありますように、教会はからだにたとえられます。では教会の姿を次の聖句を読んで考えてみましょう。

    12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともでき ません。12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうに なりますが、12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(1コリント12:14-27)この聖句は人間のからだにたとえて教会の姿を言い 表しています。

    つまり、教会員のひとりひとりが重要な器官の役目を果たしており、どんなに小さな役目であっても、教会には必要な役目なの です。世の中では、偉い人や重要なポストに就いている人を重視します。しかし、「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなく てはならないものなのです」 と書かれてあるように、教会においては重要でないと思われる人こそ必要なのです。そして、キリストのからだは、キリストにあって、同じ考え方、同じ心の持 ち方、同じ態度を持っているのです。さらに、重要な事は「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての 部分がともに喜ぶのです」と書かれているように、苦しみと喜びを分かち合う人々の集まりだという事です。これは、イエス自身によって次の様に教えられまし た。

    13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合い なさい。13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ 13:34-35)

    イエスの愛が教会の人々の中に宿ります。 それゆえにクリスチャンはイエスが愛したように愛しなさいという命令を受けるのです。お互いに愛するとは、お互いに「深い同情心、慈愛、慈愛、謙遜、柔 和、寛容を身に着け、互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合い、主が赦してくださったように、赦しあう」ことです (コロサイ3:12-13)
  • Q. 本当に神は居られるのですか?

    A. はい、おられます。聖書には「初めに、神が天と 地を創造した。(創世記第1章1節)」と書かれています。神が私たち人間や、すべての自然界を創造されました。自然の神秘やコンピューターよりも精密な人 間の体が偶然に出来たと思われますか?神は存在され、あなたや私を愛してくださっています。