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子どもをしつける親が、最も犯しやすい過ち

投稿者: Administrator on . Posted in 子育ってについて

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子育てQ 子どもをしつける親が、最も犯しやすい過ちとは、どのようなものでしょうか。

A .  私の見てきているところ、それは、親が怒りによって子どもをコントロールしようとすることだろうと思います。
どんな年齢層を対象にしても、怒りで人を動かそうというのは最も非効率的な方法です。それなのに、多くの大人たちは子どもをしつけるのに、自分の感情的な言動に頼ろうとします。

ある先生が、全国ネットのテレビ番組で言っていました。

「教師であることには誇りを持っています。でも毎日子どもたちを教えるのは嫌で仕方がありません。生徒たちは全く言うことを聞かないので、教室の秩序を保つために、私は絶えず怒っていなければなりません。」

明けても暮れても、嫌みで怒りっぽい先生を演じつ続けなければならないとは、何ともご苦労なことと言わねばなりません。

しかし多くの先生方や親たちはそれ以外の指導の仕方を知らないのです。これは、疲れるやり方であり、そして効果がありません。自分自身がどういう風に人から動かされるかを考えてみたら分かり易いでしょう。

今晩帰宅途中に60キロオーバーのスピード違反をしてしまったとしましょう。街角に警官が立っていますが、彼にはあなたを捕まえる方法がないとします。パ トカーも白バイも持っていません。肩章も拳銃も違反切符もありません。できることは、ただ街角に立ってスピード違反をしているあなたに向かってののしるこ とだけです。警官がこぶしを振り上げるのを見てあなたは減速するでしょうか?もちろんしません。そばを通り過ぎながら手を振って挨拶するかもしれません ね。怒ったからといって、警官は何もすることは出来ません。漫画のような話です。

一方、バックミラーの中に黒と白の車が頭上に赤いランプ を回しながら近づいてくるのを見ることほど、スピード狂のドライバーをおとなしくさせるものはありません。路肩に停車すると、威厳があり、礼儀正しい警官 が運転席に近づいてきます。2メートルもあろうかという大男で、ローン・レンジャーの様な声をし、銃身をごく短く切った散弾銃を両腰に下げています。彼は 丁寧ながら毅然とした態度で、「お急ぎのところ恐縮ですが、レーダーよると制限速度40キロのところを、100キロで走っておられたようですね。免許証を 拝見します。」と言います。
警官は革表紙の召喚状を開いてあなたの方に顔を寄せます。彼は敵意を表したり、非難をしたりはしないのに、あなたは即座に求めに応じます。まごまごしながら、気に入らない自分の写真のついた免許証を財布の中から取り出します。
な ぜあなたの手は汗ばみ、口はカラカラなのでしょう。どうして心臓は喉から飛び出しそうなほど脈打っているのでしょう。それは、警官がしようとしている手続 きが不愉快極まりないからです。あなたのこれからの運転癖を劇的に変えてしまうのは、警官のこの一連の行動なのです。怒りではなく、懲らしめの行いが行動 を直すのです。

実は、大人の怒りは子どもの心に破壊的な軽蔑心を引き起こすと私は信じます。子どもには、私たちの怒りは、事態をどうに も出来ない無能さと映るのです。正しいことを教えようとするのですが、効果がないのでやたらと手を振り回し、涙を流さんばかりにして実行もしない脅迫を繰 り返すのです。
お聞きしますが、あなたご自身はそんな風に感情的な方法で法律を守らせようとする裁判官がいたとしたら、尊敬なさるでしょうか。答えを待つまでもありません。ですから、法律の世界は意図的に、客観的で、合理的で、威厳に満ちたものとされているのです。

私は、親たちや先生方が正当な感情を子どもたちから隠すようにと言っているのではありません。あるいは、全てをうちにしまい込んだ、応答をしない、面白味 のない、ロボットの様な人間になれと言っているのでもありません。子どもたちが侮辱的な態度を取ったり、不従順になることはありますし、私どもがいら立つ のは、無理のない場合はあります。そういう場合は、むしろ怒りを表現するべきです。そうでなければ、偽善者でしょう。

私のポイントは、怒りがしばしば子どもたちの、行儀を直すための道具として意識的に使われるということです。しかしこれは効果がないばかりか、子どもの信頼を失うことにもなるのです。


ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

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良くある質問と答え

  • Q 女性が、妻(母)となることを人生の目標とすることはおかしなことですか。何か他に目標がなくてはいけませんか。

    A  全くおかしくありません。母親としての仕事は立派な仕事であり、何も恥じる必要はありません。若い女性たちが主婦となることを目指すと言っただけで、愚か者扱いされるようになったのは、ほんのここ数十年のことです。

    ある大学4年の女子生徒が卒業後のことについて相談に来たことを思い出します。様々な仕事の可能性や更に学びを続けることについても話し合いました。
    それから彼女はひと呼吸おいて、後ろをうかがってから身を乗り出し、ほとんど聞き取れない程の声で言いました。

    「本当のことを言ってもいいですか。」
    「もちろん。他に誰も聞いてはいませんよ。」
    彼女は低い声で続けました。「本当はね、仕事なんか持ちたくないの。結婚して子どもを育てるのが私の望みなの。」
    私は答えました。「何か秘密のように話さなくちゃならないことかい。君の人生じゃないか。誰に遠慮することもないよ。」
    「冗談言わないで下さい。この学校の教授や友達に聞かれたら、うわさの種にされてここにいられなくなってしまうわ。」

    信 じがたいことですが、今や子どもを産んでから数年を育児に専念することが当り前ではない時代になってしまいました。この風潮は、女性蔑視であり愚かなこと です。神を愛し、この世に貢献し役立つ子どもを育てることほど大切な仕事がこの世にあるでしょうか。何世紀もの間大切な働きとされてきた家事や育児を女性 たちが恥じるようになったことは残念至極です。

    もちろん、すべての女性が妻や母になるわけではありません。仕事にのみ生きる女性もいるで しょう。結婚するつもりのない人もいます。それはそれでいいのです。しかし、専業の母親となることを望む人がそれを公言することを(それも大学の構内で) 恥じる必要などどこにもありません。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • Q. 聖書ってどんな本?

    A. 聖書とは、旧約聖書39巻と新約聖書27巻、計66巻が一 つにまとめられた本です。「聖書(Bible)」という言葉は、ギリシャ語の「ビブロス(本)」から来ています。約1600年の間 (B.C.1500~A.D.100)に、40人以上の人々(王様、学者、農夫、漁師、医者など)が、神に導かれて記した不思議な書物です。
    聖書の中には、神から人間に対するみこころが文書のかたちで啓示されています。天地創造からイスラエル民族の歴史、初代キリスト教の歩みや、この世界の未来に対する預言などが書かれています。その中心的主題は「イエス・キリストによる救い」です。
    毎年世界で一番多く印刷され、世界でもっとも多くの言語に翻訳され、世界中の国々で読まれているのが聖書です。
  • 洗礼とは、キリスト信者となり、教会の一員に加えられるための儀式です。洗礼は、聖餐(せいさん)と並んで、主イエス・キリストご自身がお命じになった、 神様の救いのしるしです。それを聖礼典(せいれいてん)と言います。洗礼を受けることによって、私たちの罪の赦しのために身代わりになって十字架にかかっ て死んで下さったキリストの救いにあずかり、キリストの復活によって打ち立てられた新しい命に生きる者となり、礼拝を守りつつ生涯を歩むキリスト者(クリ スチャン)となるのです。教会が言い表している信仰を自分も信じ、受け入れることを表明する「信仰告白」をした人に洗礼が授けられます。
  • 子育てQ 子どもをしつける親が、最も犯しやすい過ちとは、どのようなものでしょうか。

    A .  私の見てきているところ、それは、親が怒りによって子どもをコントロールしようとすることだろうと思います。
    どんな年齢層を対象にしても、怒りで人を動かそうというのは最も非効率的な方法です。それなのに、多くの大人たちは子どもをしつけるのに、自分の感情的な言動に頼ろうとします。

    ある先生が、全国ネットのテレビ番組で言っていました。

    「教師であることには誇りを持っています。でも毎日子どもたちを教えるのは嫌で仕方がありません。生徒たちは全く言うことを聞かないので、教室の秩序を保つために、私は絶えず怒っていなければなりません。」

    明けても暮れても、嫌みで怒りっぽい先生を演じつ続けなければならないとは、何ともご苦労なことと言わねばなりません。

    しかし多くの先生方や親たちはそれ以外の指導の仕方を知らないのです。これは、疲れるやり方であり、そして効果がありません。自分自身がどういう風に人から動かされるかを考えてみたら分かり易いでしょう。

    今晩帰宅途中に60キロオーバーのスピード違反をしてしまったとしましょう。街角に警官が立っていますが、彼にはあなたを捕まえる方法がないとします。パ トカーも白バイも持っていません。肩章も拳銃も違反切符もありません。できることは、ただ街角に立ってスピード違反をしているあなたに向かってののしるこ とだけです。警官がこぶしを振り上げるのを見てあなたは減速するでしょうか?もちろんしません。そばを通り過ぎながら手を振って挨拶するかもしれません ね。怒ったからといって、警官は何もすることは出来ません。漫画のような話です。

    一方、バックミラーの中に黒と白の車が頭上に赤いランプ を回しながら近づいてくるのを見ることほど、スピード狂のドライバーをおとなしくさせるものはありません。路肩に停車すると、威厳があり、礼儀正しい警官 が運転席に近づいてきます。2メートルもあろうかという大男で、ローン・レンジャーの様な声をし、銃身をごく短く切った散弾銃を両腰に下げています。彼は 丁寧ながら毅然とした態度で、「お急ぎのところ恐縮ですが、レーダーよると制限速度40キロのところを、100キロで走っておられたようですね。免許証を 拝見します。」と言います。
    警官は革表紙の召喚状を開いてあなたの方に顔を寄せます。彼は敵意を表したり、非難をしたりはしないのに、あなたは即座に求めに応じます。まごまごしながら、気に入らない自分の写真のついた免許証を財布の中から取り出します。
    な ぜあなたの手は汗ばみ、口はカラカラなのでしょう。どうして心臓は喉から飛び出しそうなほど脈打っているのでしょう。それは、警官がしようとしている手続 きが不愉快極まりないからです。あなたのこれからの運転癖を劇的に変えてしまうのは、警官のこの一連の行動なのです。怒りではなく、懲らしめの行いが行動 を直すのです。

    実は、大人の怒りは子どもの心に破壊的な軽蔑心を引き起こすと私は信じます。子どもには、私たちの怒りは、事態をどうに も出来ない無能さと映るのです。正しいことを教えようとするのですが、効果がないのでやたらと手を振り回し、涙を流さんばかりにして実行もしない脅迫を繰 り返すのです。
    お聞きしますが、あなたご自身はそんな風に感情的な方法で法律を守らせようとする裁判官がいたとしたら、尊敬なさるでしょうか。答えを待つまでもありません。ですから、法律の世界は意図的に、客観的で、合理的で、威厳に満ちたものとされているのです。

    私は、親たちや先生方が正当な感情を子どもたちから隠すようにと言っているのではありません。あるいは、全てをうちにしまい込んだ、応答をしない、面白味 のない、ロボットの様な人間になれと言っているのでもありません。子どもたちが侮辱的な態度を取ったり、不従順になることはありますし、私どもがいら立つ のは、無理のない場合はあります。そういう場合は、むしろ怒りを表現するべきです。そうでなければ、偽善者でしょう。

    私のポイントは、怒りがしばしば子どもたちの、行儀を直すための道具として意識的に使われるということです。しかしこれは効果がないばかりか、子どもの信頼を失うことにもなるのです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから