救いの確信
霊的成長の第1段階:クリスチャンの少年期 : 救いの確信
福音の確信は、生まれた赤ちゃんのにお母さんがいることにより、自分のお母さんを認識し、その愛の中で育っていくように、クリスチャンも、ヨハネ1:12のように、私たちが神の子供となる特権を持っていることを確信することです。
その為には、以下の御言葉による確信が必要です。
1.神の愛
●重要な御言葉:
(御言葉を通して、神さまがその人の人生をどのように見ておられるか知ることができるように手助けする。)
ヨハネ10章10節 (イエスさまの言葉)"わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
" 創世記1章27節 "神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。"
その他 Iヨハネ4章8節 Iヨハネ3章1節
・聖書は、神さまが私たちを愛していると教えている。 ・神さまは、私たちが人生を最大限に生き、神さまの愛、幸せ、平安、人生の目的、満たしを経験して欲しいと願っておられる。 ・神さまは、人がご自身と親しい交わりを持ち、愛を経験するために、ご自身のかたちに創造された。 ・けれども、神さまは人を自動的に神さまに応答するロボットや操り人形のようには造られず、意志と自由を持つように造られた。
2.人間の問題
●重要な御言葉:
ローマ3章23節 "すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ[ない]"
ローマ6章23節 "罪から来る報酬は死です。"
へブル9章27節 "人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている"
その他 イザヤ53章6節、 イザヤ59章1-2節 ローマ3章10-12節.、 ローマ5章12節 IIテサロニケ1章8-9節、ヤコブ2章10節
・神さまの命令を守るか、神さまから離れて生きるかの選択で、人間は神さまに背いて生きることを選んで きました。私たちは、神さまに背を向けてきました。 ・その結果は、聖く完全であられる神さまと、罪深く不完全な人間と間が断絶されました。 ・聖書は、全ての人が罪を犯したと言っています。私たちは例外無く、神さまを悲しませる思いや行動をし てきたのです。 ・罪とは、基本的に私たちの思いが神さまの思いと異なることです。神さまに対する反抗や無関心も罪です。 ・この断絶は霊的な死を意味します。私たちは死後、さばかれ、永遠の霊的な死に定められるのです。 ・全ての人は、沈みそうなボートに乗り合わせているようなもので、自分たちを救うことはできないのです。 ・私たちの意見ではなく、神さまの意見が重きをなすのです。ですから、私たちは聖書の中に答えを求めな くてはならないのです。
3.神の解決策
●重要な御言葉:
Iペテロ3章18節 "キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。"
ローマ5章8節 "しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対する愛を明らかにしておられます。"
その他 ヨハネ3章16節 ヨハネ14章6節 IIペテロ3章9節
・ 私たちが神さまに背を向けたという事実に関わらず、神さまは私たちを愛し続け、個人的にご自身を知って欲しいと願っておられます。 ・どんなの努力しても人は不完全であり、彼らは完全にはなれない上、神さまと人間の橋渡しとなるような完全さを得ることはできないのです。 ・聖書はイエス・キリストは神であり、また同時に人でもあると言っています。 ・キリストが自ら進んで、十字架上で死んだとき、彼は私たちの身代わりに死んだのです。彼は私たちが赦されることができるように、罪の裁きから私たちを 贖ってくださったのです。 ・キリストを通して、神さまは"わたしがあなたを愛していることを知って欲しい。"と言っておられます。 ・キリストだけが、神さまとわたしたちの深い溝の橋渡しとなることができるのです。 ・他の宗教は、人が不完全と真の満たしの溝を埋めることができることを証明しようとしています。キリスト教は、神さまだけがその橋渡しを与えることを信じ ている点で他の宗教と異なっています。
4.人間の応答
●重要な御言葉:
ヨハネ3章16節 "神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。"
ヨハネ5章24節 (イエスさまの言葉)"わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わした方を信じるものは、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。"
その他 ヨハネ1章2節、エペソ2章8-9節、ヨハネの黙示3章20節
・キリストは、神さまの側へ渡ることを可能にしました。けれども、私たちは自動的に渡れるわけではありません。 ・私たちは、キリストがしてくださったことを信じる行動を起こさなければなりません。祈りにおいて、(1)自分の罪を認め、(2)キリストがしてくださったことのために赦しを求め、(3)キリストに人生のすべてを任せる。 ・キリストを信じるとは、信頼し、全てを委ねることです。キリストが私たちの身代わりとなって死んだことを受け入れ、彼に私たちの人生を支配させることです。 ・贈り物は無料ですが、私たちが手を伸ばし、受け取らない限り、わたしたちのものにはなりません。キリストにある永遠のいのちは、神さまからの贈り物です。正しい応答は、それを受け入れて受け取ることです。
救いのための祈り
も し、あなたが福音を分かち合った人が自分の罪を悔い改め、キリストの救いに信頼する用意が出来ているようでしたら、一緒に救いのための祈りをすることを提 案してみてください。祈る前に、何を祈りに含めるか話し合ってください(重要な点を書き出すのも良いでしょう)。まず、相手に何を含めたいか聞いて、その 後であなたが他の点を提案してください。以下に救いのための祈りの例を記しておきます。
"主よ、わたしが罪人であり、あなたの赦しが必要であることを認めます。あなたの赦しなしでは、あなたのさばきと永遠の死に直面しなくてはならないことを 知りました。あなたがわたしを愛し、ひとり子であるイエス・キリストをわたしの罪のために送ってくださったことによって、そのことを示してくださいまし た。わたしはこのことだけがあなたとの関係を正してくれることに信頼します。わたしの人生をあなたの手に委ねます。あなたがわたしの内に生きて働いてくだ さい。わたしは、自分がこのことに値しないことを知っています。心からあなたに感謝します。"
キリストが私たちにこられたのは、私たちを神のみもとに導くためでした。 このように祈ることにより、私たちの心にキリストが来てくださり、私たちを神の家族に属するようにしてくださいます。