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良くある質問と答え

  • Q. 献金とはどういうものですか。会費とどう違いますか。

    A.  礼拝に参集した者は神への感謝の応答として献金します。 よく「収入の10分の1が基準」と言われますが、献金は信仰に基づく自由な応答によるものであって、会費のように額を定められるものでも、まして何かの強制によるものでもありません。
    教会は経済的基盤を殆ど献金に負っています。当教会の規則では献金は教会員(洗礼を受け、教会のメンバーになった人)は自己申告によって決まった額の「月 定献金」を捧げ、教会を支えることになっています。他に礼拝の席上で捧げる「礼拝献金」、イースターやクリスマスなどの「特別献金」、またそれぞれの自由 意志によってささげる「感謝献金」があります。
  • Q 夫は、私の必要をわかっていませんが、もし私が女性と男性の違いを教えてあげれば、理解する努力をしてくれると思います。問題は、どうやって私の必要を夫に分かるように伝えられるかなのですが。

    A  まず、何をするべきでないかをお教えしましょう。私流の言い方ですが「打ちのめし戦術」は避けてください。すなわち、際限なく、責め、懇願し、叱りつ け、不満を言い、非難するという戦術です。これではご主人の注意を引くことはできません。それどころか、角材で殴りつけるようなもので、怒りを買うか、黙 らせてしまうか、またはその両方でしょう。
    「打ちのめし戦術」の代わりに、一番ご機嫌のよさそうな時間にご主人を「教育」する機会を探すのです。そのためには、適切なタイミング、セッティング、そしてマナーが必要です。では、この三つの要素を見てみましょう。

    1.タイミング
    ご主人が、よりリラックスしていて、応答しやすい時間を選びます。朝、それも仕事のプレッシャーのない土曜日が良いかもしれません。くれぐれも、彼が疲れて、空腹の時に、いらいらさせるような口調でこきおろさなければ、あなたの努力は徒労に終わらないでしょう。
    2.セッティング
    理想を言えば、一晩もしくは週末をかけて二人で出かけるように提案するのです。経済的な理由でご主人がしぶるようなら、家計をやりくりして貯金をします。 泊りがけが無理ならば、外食に行くだけでも良いでしょう。それさえも問題外とおっしゃるなら、子どもたちが何かに熱中していて、また電話にわずらわされな いような時間を選びます。一般的に言うと、心配ごとや、問題や、ストレスのある家から離れれば離れるほど実のある会話が望めます。
    3.マナー
    ご主人が、あなたの話を個人攻撃と受け取らないように計らうことが大変重要になります。けなされると防御が堅くなからです。ですからそのメカニズムを刺激 しないようにします。できる限り、暖かく、愛と優しさに富んだ雰囲気を作ります。夫の欠陥を強調するのではなく、あなた自身の必要を伝えようとしているの だということを分かってもらうのです。
    これらタイミング、セッティング、そしてマナーがあいまってチャンスが到来したら、できる限り効果的にあな たの気持ちを表現してください。どうして、夫の気持ちをつかむ方法について私がそんなに詳しいかとおっしゃるならば、以上のような方法で、家内は私にアプ ローチし、彼女の気持ちを伝えるのに成功したのですと申し上げましょう。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから
  • Q. 聖書とは何ですか。新約聖書と旧約聖書は、どう違うのですか。

    A. 他の古文書と同様に人間が記したものです。しかしわたしたちは次のように信じます。
    「旧 新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会 の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、 全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。」 (「日本基督教団信仰告白」より引用)
    わたしたちが自分自身でどれだけ正しく美しいと思えるものであっても、聖書の教えに反するものならば、わたしたちはそれを捨てます。神の言葉のみが真理であるからです。
    旧新約聖書は共に、神の救いの歴史を記しています。旧約聖書は天地創造から神の民とされた古代イスラエルの興隆、滅亡、再生の歴史を物語り、メシア預言 (神が人類に救い主を与える希望を表す)をもって閉じられます。新約聖書はメシア預言の成就として、イエス・キリストの誕生、生涯、受難、十字架の死、そ して復活と昇天、その後に聖霊によって建てられた教会(新しい神の民)の歴史を物語り、教会成立当初に生きた使徒たち(おもにキリストの十二弟子)の証言 を通して、救いの完成するキリストの再臨、終わりの日に向かっての希望を表して閉じられます。
  • 教会の礼拝は誰にでも開かれています。誰でも、どんな人でも出席してよいのです。ですから、悩みがある人、元気になりたい人はどうぞいらして下さい。そう でなくても、教会って何をしているのかな、聖書の教えってどんなことかな、と少しでも興味のある人はどうぞいらして下さい。礼拝に行ったらもうクリスチャ ンにならなければならない、などということはありません。教会は、ちょっとのぞいてみよう、という方も歓迎します。礼拝の秩序さえ重んじていただれば、ど のような思いで参加して下さってもよいのです。