クリスチャン信仰についての質問と答え

クリスチャンになったら、仏壇はどうするの?

投稿者: Administrator on . Posted in クリスチャンの信仰について

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 
Q. クリスチャンになったら、仏壇はどうするの?

A. 信仰は個人の意思によって決められるべきものとして、日本の法律でも保証されていますが、現実には、昔からの家の宗教や伝統が根強く残って力をふるっているのは事実です。
し かし、あなたにとってまず大事なことは、あなた自身の人生を本当に自由にし、幸せにするものは何か、ということです。それを選ぶことはわがままでも家を不 幸にすることでもありません。むしろ、その逆です。あなたの子孫は、あなたがその自由と信仰を勝ち取ってくれたことをきっと喜んでくれるでしょう。勇気を 出して決断してください。神がその勇気と力をくださり、あなたの選択が正しかったことを必ず証ししてくださいます。仏壇のことは、その後で、あなたが自ず とどう処分したら良いかを見出すようになります。

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良くある質問と答え

  • 子育てQ. 自信がなく、自尊心が低い子どもたちや若者たちがこれ程までに増えてきたのはなぜなのでしょうか。

    A. ひとつには、私たちの社会が持っている、人間の価値をはかる尺度が狂っているからです。全ての人が価値ある存在とはみなされません。全ての人がありのま まに受け入れられていません。生まれながらにして誰からも認められるような資質を持った人にしか賞賛は届きません。

    この悪循環を私たち親はなんとかすべきです。私たちの文化で最も高く評価されているのは美しさです。たまたま美しく生まれついた人は誉れと尊敬を受けます。
    そうでない人は他に落度はないのにさげすまれ、拒まれます。乳幼児でさえこの価値基準にさらされます。美しい子はより可愛がられるのです。

    そ れで、第一子を産んだ後に母親がふさぎ込むのは珍しくはありません。赤ちゃんは一般的には不器量なものとわかってはいても、自分の子どもは例外だと親は思 います。どんな母親も、まぶしい笑顔、かわいいまばたき、前歯が4本そろって、血色がよい、広告に出てくるような子どもを産みたいと内心は思っているので す。
    ところが、わが子は期待はずれで、歯も髪の毛もなく、しわくちゃで泣き叫ぶだけです。成長するにつれ、親のみならず他人からも子どもは人としての価値をはかられるようになります。

    赤ちゃんコンテストの優勝者には賞金や賞品が当り前のように与えられます。魅力的な子どもは、何もなくてもすでに有利であるのに、なんという不公平な世の中でしょう。
    ジョージ・オーウェルの皮肉が思い浮かびます。「人はみな平等であるが、ある人たちはより平等なのだ」この言葉の真実性が私たちの子どもたちの人生において証明されているのは実に悲しいことです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. 聖書で言う罪は、何ですか?

    A. 創造者である真の神に背を向けて、自分中心に人生を生きることです。
    聖書の中に「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(箴言 第14章12節)」と書かれています。創り主から離れた生き方が不信仰や不従順であり、そこから人間は多くの罪を犯すようになったのです。
    ギ リシャ語で「罪」を表す言葉に「ハマルティア」というのがありますが、それは「的を外す」「誤る」「迷う」ということを意味しています。聖書の語っている 罪の根本は、真の神を無視する人生を指しています。聖書はそのような人間の姿を「羊のようにさまよい」と表現しています。
    神の御子イエス・キリストがこの地上に来られたのは、十字架で私たちのために罪の身代わりとなることにより、神との和解と、新しい神との交わりの道をイエス・キリストを信じるすべての者に与えるためでした。罪は、目に見えなくても、人生を縛り、呪いをもたらすものです。
  • 人に不快な思いを与えるようなものでさえなければ、礼拝に出席する服装の決まりは基本的にありません。ただ、礼拝に集まる信者たちは、「神様のみ前に出 る」という思いをもって集っています。礼拝にどういう服を着ていくか、ということは、「人の前でお洒落をする」ということではなくて、「神様のみ前にどの ような思いで出るか」ということなのです。
  • Q. キリスト教は、禁酒禁煙ではないのですか。

    A. 「そうです」とも「違う」とも言えません。 確かに教会が禁酒禁煙を声高らかに謳った時代がありました。それにはそれぞれ理由があります。 どんな生活が神の前にふさわしいかは、それぞれ信仰と良心の自由に基づいて判断されるべきです。 キリスト者の生活態度は、神の戒めに従うことです。神はその民イスラエルに十戒を与え、それを守るように命じられました。

    神はこれらすべ ての言葉を告げられた。 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神 である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の 中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わた しは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与 える。あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の 間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷 も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息 日を祝福して聖別 されたのである。あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。殺してはならない。 姦淫してはならない。盗んではならない。 隣人に関して偽証してはならない。 隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。」(「十戒」出エジプト記20:1~17)

    またイエス様は守るべき戒めを次のように新しく解釈されました。
    「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい。』」(マタイ22:37,39)
    つまり守るべき戒めとは、神と人を愛することなのです。
    キリスト者には上にあるような基本的な生き方がありますが、どんな生活を送るかは自由であり、多様であるとしか言えません。しかし何ごとも神の栄光を表すためでありたいものです。