夫婦関係についての質問と答え

心のこもった応答を全くしてくれない夫を持つ私のような妻

投稿者: Administrator on . Posted in 夫婦関係について

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Q 心のこもった応答を全くしてくれない夫を持つ私のような妻はどうしたらいいのでしょうか。主人はいい人ですが、女ごころの機微にはうとくて、会話を楽しむことをしません。私はもう我慢できません。

A.  妻の必要に全く答えられない種類の男性たちがいます。
女性たちが何を考えているかが分からず、これまでに誰にも「与える」ことがなかったのです。

女 性の機微が分からず、コミュニケーションできない、この種の男性たちと結婚した女性たちは、どこまでを期待できるのか、またどうやって意味ある生活を作り 出すかを決めなければなりません。そうでなければ、早く離婚するしかないでしょう。もちろん、前者の方が良いと私は思います。

ご主人が上 記のような方ならば、奥さんにできることは、女性がどのように男性とは違うのか、そして、あなたの独特な必要は何かを、責めたり怒ったりせずに、よくご主 人に説明することです。お二人の間で、改善できるところは改善し、理解可能なことは説明し、解決できることは解決し、歩み寄れる部分は交渉をすることで す。
ユニークな個性を持った、二人の不完全な人間が持ち寄った原材料で、できる限り最善の結婚生活を造りだすのです。

また、削りとれない荒さや、直せない欠点などについて最善の努力をした後には、現実を受け入れることです。精神衛生の第一原則は、変えられないものを受け入れることです。人生の状況を見て、うつ状態に陥ることは容易です。

し かし、それに屈せず、満足することを選ぶこともできます。「選択」がキーワードです。あなたは、ご主人をありのままに受け入れられますか。人が、伴侶の中 に自分の全ての願いや希望を実現することはほとんどないのです。コインの裏表のように、当然ながらあなたもご主人にとって完璧な奥様にはなれません。ご主 人があなたの情緒的な必要のすべてを満たすことができないように、あなたも、ご主人の男性としての必要を常に満たし続けることはできません。両者ともに、 人間の弱さ、欠点、いらいら、疲労、また時折おそう頭痛を現実として受け入れざるをえません。

完璧主義は、良い結婚を生みだしません。解決不可能な山のような問題を見過ごせる健康な視点が、良い結婚を生み出すのです。この解決法が、実行するにやさしいものであるとか、おっしゃるような心の叫びを簡単に取り去るなどと申し上げるつもりはありません。

しかし、誰でも遅かれ早かれ自分の手に余る困難にぶつかるものです。そこで、つぶれたり、逃げたり、腹を立てたり、その全てをすることもできます。けれども、受け入れることはそのすべてに勝るのではないでしょうか。


ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

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良くある質問と答え

  • Q. 礼拝や集会はどんなプログラムですか?

    A. 教会によって多少のプログラムの違いはありますが、大きな内容は次のようなものです。

    (1)賛美=聖歌、賛美歌、ワーシップソングなどを歌います。
    (2)祈り=神への感謝、日常生活の願いやとりなしなどを祈ります。
    (3)説教=聖書の中からの具体的なメッセージです。
    (4)献金=教会によって方法などは違いますが、献金するかどうかは自由です。
    (5)お知らせ=その教会の報告や行事などのお知らせです。
    (6)交わり=礼拝や集会後、お茶などをいただきながらのくつろいだひとときです。この時にいろんな方とも出会い、お友達になれます。

    いずれにせよ、何かを強制されることはありませんので、安心して参加してください。
  • 「良いこと」でどのようなことを考えておられるでしょうか? 教会へ行くと確かにいろいろと良いことがあります。まず、生けるまことの神様を礼拝することができるようになります。そして礼拝の中で、神様から、「わた しはあなたを愛している、あなたといつも共にいる」という語り掛けを聞くことができます。その神様の語りかけによって、苦しみや悲しみの中にあっても、慰 めと励ましを与えられて歩むことができるようになります。教会へ行くことによって得られる「良いこと」とはこのようなことです。教会へ行けば苦しみや悲し みがなくなるのではありません。突然お金が儲かったり、病気が治ったりするわけでもありません。そういう「良いこと」を期待して教会へ来ても失望に終わる でしょう。けれども教会で礼拝を守り、神様のみ言葉を聞き続けていくと、私たちの人生を本当に支え導く神様の恵みが分かるようになり、本当に喜んで生きる ことができるようになるのです。
  • 毎週日曜日に教会で行われている礼拝は、神様を拝む集いです。ゴスペルハウスでは、ゴスペル・ワーシップというジャンルの音楽をピアノやギターなどと共に 歌います。また、聖書が朗読され、その箇所が告げている神様からのメッセージを伝える説教が語られ、祈りがなされる、ということを通して、生きて働いてお られる神様との出会いの時を持つのです。最初は、説教という講演を中心とする講演会のような印象を持つかもしれませんが、出席しているうちに、講演会では ない、神様を拝む礼拝の意味が分かってくると思います。
  • Q 妻も私も引退の年に近づいています。私たちは経済的には大変祝福されてきました。いくつかの大きな会社とかなりの不動産を三人の子どもたちに残すことにな ります。多額の財産を次世代に残すことについてはどうお考えになりますか。気をつけるべき点は何でしょうか。

    A この話についての私の意見は、耳ざわりかも知れませんが、自分が観察したところと私が固く信じるところを申し上げる以外にありません。端的に言って、労さずに大金を手にすることはとても危険なことです。

    「裕 福な子供たち」と題した社会学上の研究結果がしばらく前に発表されましたが、私の懸念を裏書きするものでした。著者たちは、「多額の信託財産は通常相続者 の破滅の元である」という結論を得ました。引用された事例は説得力のあるものでした。人類史もお金の危険について証しています。男も女も金をむさぼり、殺 人を犯し、命を落としまた「永遠の命」を失いました。お金は友情を引き裂き、おごる者や力ある者は倒れました。そして数え切れぬ家庭が無残に崩壊しまし た。

    またお金ほど兄弟の仲を引き裂くものもありません。莫大な財産を相続することにより家族の中に緊張と不調和が生まれる確率は高まります。お子さんたちはあなたが残された会社をめぐって争い、決定権を委ねられた人を恨むでしょう。

    責 任ある生活をする意欲を失い、お酒やギャンブルなどの中毒症状に陥る人も出ます。このような否定的結果にはもちろん例外もあり、富と権力を上手に取り扱う 人々もいます。しかし、これはよく行っても困難な仕事で、最高度の成熟と自制心とが要求されます。「私が子孫に残す多大な財産は、愛する者たちに及ぼす危 険に見合っているだろうか」と自問すべきです。

    あなたご自身が成功するために勤勉に働き、節約し、貯蓄し、築き、額に汗して生産に従事したという 苦労を、お子さん方には味わわせたくないのかどうかをまず決めなければなりません。彼らが自分を鍛練し勤勉に働くという必要を感じず、出来合いの事業を引 き継いでその処置を誤り、乱費してしまうとしたらどうでしょう。

    私の見解が人気のあるものではないことは承知しています。人々が懸命に働く理由の 一つは、子どもたちに苦労させたくないからです。子どもを愛する余り、安楽な人生を歩ませようとします。それに、一生をつぎ込んで発展させたビジネスと築 いた富を売り飛ばして自分は消え去るというのは、どんな親にとっても愉快な選択ではないでしょう。もちろん、自分の財産をどうするかは、親が自分で決めね ばなりません。私にできるのは、ただ自分の見た通りの事実をお知らせすることです。

    私の経験では、富の相続は家族関係、自制心、信仰心また責任ある社会人としての生き方を危うくする傾向があるということです。もし相続させるなら十分に注意をし、何年もかけて準備し、祈り深くなすべきです。

    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A