夫婦関係についての質問と答え

50代を過ぎると性欲が減退するのは避けられないことですか。

投稿者: Administrator on . Posted in 夫婦関係について

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Q 50代を過ぎると性欲が減退するのは避けられないことですか。

A  年を重ねるにつれて欲求がなくなるという器質的な理由は何もありません。
肉体的な年齢よりは、性欲の場合、心の持ち方と情緒的な条件により左右されます。夫と妻が自分を年老いて魅力がないと考えるなら、年齢よりも、二次的な理由からお互いに対する関心を失います。
しかし、肉体的な観点からは更年期の男女が性的に無関心になるという根拠はありません。


ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

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良くある質問と答え

  • Q 男性が女性を必要とする以上に女性が男性を必要とするものでしょうか。一人暮らしが上手なのはどちらでしょう。

    A 傑出した社会評論家ジョージ・ギルダー氏が、「男性と結婚」という古典的な著書で、この大変興味深い問題を扱っています。
    ギ ルダー氏は、男女がお互いのために作られており、一人では不完全であることを認めます。しかし、また男性よりは女性の方が一人暮らしに長けていると結論づ けます。ギルダー氏の評価は、一番社会的に問題をかかえているのは未婚男性だと言います。未婚男性の方が、未婚女性よりもはるかにアルコール依存、薬物中 毒、前科者また脱落者になる確率が高く、賃貸住宅は借りにくく、保険会社は契約を結ぼうとせず、ローンも組みにくいのです。また、運転は荒っぽく、カッと なりやすく、衝動的です。もちろん、このパターンには例外も数限りなくありますが、未婚男性は多くの反社会的行動をとる恐れが大きいのです。また独身女性 と比べて、転職率はより高いのです。
    しかし、男性が結婚して子供を得ると彼の社会的な弱点は消えます。責任ある生活をし、勤勉に働き、将来の備えを始めます。自分の官能的欲望に負けないで、自制し、扶養家族のために犠牲を払います。
    こ の変化を昔から「放蕩三昧した」あとに「身を固める」と表現しました。もちろん私はあくまで一般的な言い方をしている訳ですが、この傾向は社会学の調査の 裏付けがあります。ですから女性には、歯止めがなく社会の脅威になりかねない夫の性的エネルギーに歯止めをかけて、家族を守り養う努力に変える力があるの です。
    この変化は、文化の繁栄のために決定的に重要です。結婚生活が崩壊したら社会は成り立たないというギルダー氏の言い分に、私も同意します。 家庭なしには女性は育児のための基盤がありません。不倫、中絶、結婚外妊娠は増え、子どもは苦しみ、薬物アルコール中毒は蔓延し、真っ当なビジネスは伸び ず、平和を好む市民が暴力と不法に取り囲まれることになります。確かに女性は男性を必要とします。しかし、それ以上に男性は女性なしにやってはいけないの です。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • 子育てQ. 最近、子どもと過ごす時間があまりとれないのですが、一緒にいられる時は大事にしたいと思っています。子どもと過ごす時間の質が、長さよりも大事だという意見に、先生は同意なさいますか。

    A.  私には、その考えの論法があやまりだと思えるのです。
    なぜ、時間の質と、長さのどちらかを選ばなければいけないのでしょうか。私たちの生活の他の場面で、そういう選択を迫られることはありません。どうして、子どもと過ごす時間についてのみ、そのように考えるのでしょう。

    例 えばの話です。あなたが、町で有数のレストランで食事をするのを楽しみにしているとします。ウェイターが持ってきたメニューを見て、あなたは、一番高級な ステーキを注文しました。ところが、出てきたのは、お皿の真ん中に、三センチ四方の小さなお肉が乗っているだけです。あなたが苦情を言うと、ウェイターは 答えます。
    「確かに小さいことは小さいですが、最高品質のビーフでございます。これ以上の味はどこでもお目にかかれないと思います。なにしろ、大 事なのは量ではなく、質でございますから。」当然ながら、あなたは憤慨します。なぜなら、食事はもちろん、多くのものは質、量ともに大事だからです。

    子どもと過ごす時間についても、同じです。子どもたちは、親と過ごす時間が必要であり、私たちは最善のものを彼らに与えるべきです。私には、「量か質か」という議論が、子どもたちにそのどちらも与えない言い訳に使われているような気がしてならないのです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. どうしてクリスチャンは、日曜日に礼拝をするの?

    A. 日曜日に行くだけではなく、 しばしば週日にも教会に行きます。礼拝は通常日曜日が中心ですので(時間はまちまちですが)神を生活の第一として礼拝し、聖書のメッセージを聞き、そのみ ことばから励ましや希望、力をいただくのです。教会によっては、日曜日以外の曜日にも礼拝が持たれています。また、聖書の学びや賛美集会、祈り会などの集 会も開かれていますので、お近くの教会にお尋ねください。
  • Q 女性が、妻(母)となることを人生の目標とすることはおかしなことですか。何か他に目標がなくてはいけませんか。

    A  全くおかしくありません。母親としての仕事は立派な仕事であり、何も恥じる必要はありません。若い女性たちが主婦となることを目指すと言っただけで、愚か者扱いされるようになったのは、ほんのここ数十年のことです。

    ある大学4年の女子生徒が卒業後のことについて相談に来たことを思い出します。様々な仕事の可能性や更に学びを続けることについても話し合いました。
    それから彼女はひと呼吸おいて、後ろをうかがってから身を乗り出し、ほとんど聞き取れない程の声で言いました。

    「本当のことを言ってもいいですか。」
    「もちろん。他に誰も聞いてはいませんよ。」
    彼女は低い声で続けました。「本当はね、仕事なんか持ちたくないの。結婚して子どもを育てるのが私の望みなの。」
    私は答えました。「何か秘密のように話さなくちゃならないことかい。君の人生じゃないか。誰に遠慮することもないよ。」
    「冗談言わないで下さい。この学校の教授や友達に聞かれたら、うわさの種にされてここにいられなくなってしまうわ。」

    信 じがたいことですが、今や子どもを産んでから数年を育児に専念することが当り前ではない時代になってしまいました。この風潮は、女性蔑視であり愚かなこと です。神を愛し、この世に貢献し役立つ子どもを育てることほど大切な仕事がこの世にあるでしょうか。何世紀もの間大切な働きとされてきた家事や育児を女性 たちが恥じるようになったことは残念至極です。

    もちろん、すべての女性が妻や母になるわけではありません。仕事にのみ生きる女性もいるで しょう。結婚するつもりのない人もいます。それはそれでいいのです。しかし、専業の母親となることを望む人がそれを公言することを(それも大学の構内で) 恥じる必要などどこにもありません。


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