協力教会の一つで、神奈川県にある働き人を訓練する素晴らしい教会です。SKYPEでの学ぶ聖書のクラスも多数ありますので、ご参加できる方は参加してください。


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良くある質問と答え

  • 先に愛については既に触れました。しかし、神の愛、隣人愛は教会の特質として欠かすことが出来ません。そこで、もう一度愛について考えてみましょう。教会 の人々は、神を愛し、隣人を愛す人々です。イエスは何が一番大切かと質問された時に次の様に答えました。 12:28 律法学者がひとり来て、その議論を聞いていたが、イエスがみごとに答えられたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番たいせつです か。」12:29 イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。12:30 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』12:31 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:28-31)

    一 番大切なことは、神を愛し、自分自身のように隣人を愛すことです。愛といいますとロマンチックな愛を考えがちですが、愛すために人は神から与えられている すべてを尽くすことを求められます。つまり、心(純真な思いや願い)、思い(感情や感覚)、知性(理論的な考え)、力(理知的な力と意志や肉体的な力)を 尽くして愛します。神の教えを理解し、心からその教えに従うことです。時には、理知的な力と意志や肉体的な力も必要でしょう。さらに、「人は自分自身のよ うに隣人を愛すべきだ」とイエスは言います。このことは自分自身も愛すことを裏付けています。これは、自分中心的な愛ではありません。むしろ、自分自身へ の愛は、神によって創造された確信と、神によって愛されているという確信からくるものです。同じ理由で、神によって創造された隣人を愛します。
  • 「人間は皆罪人(つみびと)だ」と聖書は語ります。その罪とは、法律を犯す「犯罪」という意味ではないし、倫理的な「不道徳」ということでもありません。 聖書の言う罪は神様との関係においてのみ成り立つことです。神様に造られ、生かされている人間が、その神様を見上げることなく、神様の思いを無視して、自 分が主人となって歩んでいる、そのことが罪なのです。聖書における「罪」という言葉は「的外れ」という意味でもあります。神様を見失った人間は、的外れな 生き方をしてしまっているのです。その根本的な罪から、人間どうしの関係もうまくいかなくなり、「不道徳」も、そして「犯罪」と見なされる罪も生まれてく るのです。
  • Q. あるクリスチャンより、祈りが大切であると言われました。祈りとはどのようなものですか。

    A. 祈りとは見えない神さまと心と言葉をつなげることです。人間関係が会話で成り立っているように、祈りはわたしたちと天の父なる神とを結びあわせ、交わりを 深くするものです。わたしたちの祈りがどのようなものであれ、神さまは注意深く耳をそばだてて聴いていられます。またわたしたちは本当に祈るべき言葉を知 らない者です。主イエスキリストは、わたしたちに「主の祈り」を教えてくださいました。
  • ユダヤ人たちは、イエスについての死と復活のことばを聞き、自分たちが神の子であるイエス・キリストを十字架につけたという事実を知る時に、彼らは心を打 たれ 「私たちは何て事をしてしまったのだろう。何をすれば神に赦されるのだろう。このままでは神の怒りは私たちに来てしまう」 と途方にくれてしまいました。そこで彼らはペテロに「私たちはどうしたらよいでしょうか」と尋ねました。 ところが、ペテロの答えは予想外に簡単であったのです。ペテロは38節で非常に重要なことを3つ言います。

    (1)悔い改めるとは、生 き方の方向を変えると言う意味です。自分中心の生き方、人が作った善悪の基準による生き方、また人間の作った宗教による生き方から、神の教えに従っていく 生き方に変えるのです。人は「自分が一番かわいいもの」ですが、このような生き方から改めて、神を心から愛し、その教えに従い、隣人を自分自身のように愛 せるように方向転換するのです。 これが悔い改めです。

    (2)イエスの名によってバプテスマを受けるのです。バプテスマは信仰告白した者の全身が、水の中に浸され、象徴的にイエスともに死に、またその全身が水からあがる時、イエスとともによみがえさせられるのです。その結果

    (3)バプテスマを受けたものは、神の霊である聖霊を、神の賜物として受けるのです。