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このサイトの目的は、毎日1章ずつ聖書をともに読むことをお勧めし、そこに互いに投稿しあうことを目指しています。

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今日もバイブルしましょう!(Bible Today)

バイブルしましょう! Daily Devotion

バイブルしましょう! Daily Devotion
表示数
タイトル 投稿者 参照数
確信の重要性 Administrator 11358
救いの確信 Administrator 11100
あなたの証を分かち合う Administrator 16576
QTのフォーマット Administrator 11378
QTを方法 (2) Administrator 13257
QTの方法 Administrator 14779
デボーションの第六ステップ 実践 Administrator 13434
デボーションの第三ステップ 適用 Administrator 37582
デボーション:静聴の方法 Administrator 17183
デボーションの第二ステップ 静聴 Administrator 13788
デボーションの第一ステップ:礼拝(神の前に出る) Administrator 15539
堀江明夫先生の証:デボーションについて2003年 Administrator 11504
堀江明夫先生の証:デボーションについて1997年 Administrator 15291
実例(『幸いな人』 2003年2月号から引用) Administrator 14251
受けた恵みの証の仕方 Administrator 32214
恵みの分かち合い Administrator 12076
デボーションの七つのステップ Administrator 12866
デボーションをして得られる三つ益 Administrator 13760
デボーションとは何か? Administrator 10709
ある人のデボーションノート 例3 Administrator 26648
ある人のデボーションノート 例2 Administrator 26029
デボーションのサンプル その1 Administrator 31361
システム全体のアクセス数が、百万を超えました! Administrator 9192
今日もバイブルしましょう!について Administrator 14576

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良くある質問と答え

  • Q 男性が女性を必要とする以上に女性が男性を必要とするものでしょうか。一人暮らしが上手なのはどちらでしょう。

    A 傑出した社会評論家ジョージ・ギルダー氏が、「男性と結婚」という古典的な著書で、この大変興味深い問題を扱っています。
    ギ ルダー氏は、男女がお互いのために作られており、一人では不完全であることを認めます。しかし、また男性よりは女性の方が一人暮らしに長けていると結論づ けます。ギルダー氏の評価は、一番社会的に問題をかかえているのは未婚男性だと言います。未婚男性の方が、未婚女性よりもはるかにアルコール依存、薬物中 毒、前科者また脱落者になる確率が高く、賃貸住宅は借りにくく、保険会社は契約を結ぼうとせず、ローンも組みにくいのです。また、運転は荒っぽく、カッと なりやすく、衝動的です。もちろん、このパターンには例外も数限りなくありますが、未婚男性は多くの反社会的行動をとる恐れが大きいのです。また独身女性 と比べて、転職率はより高いのです。
    しかし、男性が結婚して子供を得ると彼の社会的な弱点は消えます。責任ある生活をし、勤勉に働き、将来の備えを始めます。自分の官能的欲望に負けないで、自制し、扶養家族のために犠牲を払います。
    こ の変化を昔から「放蕩三昧した」あとに「身を固める」と表現しました。もちろん私はあくまで一般的な言い方をしている訳ですが、この傾向は社会学の調査の 裏付けがあります。ですから女性には、歯止めがなく社会の脅威になりかねない夫の性的エネルギーに歯止めをかけて、家族を守り養う努力に変える力があるの です。
    この変化は、文化の繁栄のために決定的に重要です。結婚生活が崩壊したら社会は成り立たないというギルダー氏の言い分に、私も同意します。 家庭なしには女性は育児のための基盤がありません。不倫、中絶、結婚外妊娠は増え、子どもは苦しみ、薬物アルコール中毒は蔓延し、真っ当なビジネスは伸び ず、平和を好む市民が暴力と不法に取り囲まれることになります。確かに女性は男性を必要とします。しかし、それ以上に男性は女性なしにやってはいけないの です。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • 子育てQ 16歳の息子がどうも薬物を使っているようなのです。前とは様子がだいぶ変わり、友だちも見慣れない子ばかりが集まります。薬物使用者の症状のうちでよく見られるものは何ですか。どういう点に気をつけたらいいのでしょう。

    A.  ご質問に完璧に答えようとしたら一冊の本を書かねばなりません。なぜなら出回っている麻薬の数は余りにも多く、それぞれが特有の症状を表すからです。
    しかし、息子さんについて気をつけるべき8つのよくある身体的また情緒的な症状があります。

    1. まぶたと鼻の炎症が起きます。服用する麻薬により、瞳孔が極度に広くなるか逆に狭くなります。
    2. エネルギーが極端に変化します。ものぐさく、陰鬱で、ひきこもるか、騒々しく、ヒステリックで、興奮してピクピクします。
    3. 食欲が急変します。大食になるか、少食になり、体重が減ることもあります。
    4. 性格が急変します。いらいらし、注意散漫になり、途方にくれるか、攻撃的で、疑い深く、爆発しやすくなります。
    5. しばしば体臭や口臭がします。清潔と言う言葉など忘れたようになります。
    6. 消化器官がやられます。下痢、吐き気がしたり、戻したりします。頭痛がし、物が二重に見えたりもします。肉体的な変化の中では、肌のはりがなくなり、姿勢が悪くなることも含まれます。
    7. 一般的には、腕に注射針のあとがあることは重要な兆候です。これらのあとは時に感染してただれたり、はれものになります。
    8. 道徳心が弱まり、新しい前衛的考えや価値観がとって代わります。

    注意すべきなのは、上手に隠れて麻薬使用を続けている若者たちがいることです。

    お近くの警察で麻薬担当の専門家に会うことが必要かもしれません。息子さんのケースに当てはまるより具体的なアドバイスが得られるでしょう。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. 家内安全や商売繁盛を願う宗教はご利益宗教なのであって、キリスト教はそういうものとは違う、と聞いたことがあります。それでは、自分の幸せを願うことはいけないことなのでしょうか。(四十代、主婦)

    A.  家庭を持ち、大切な子供を育てる責任を持つ親として、健康や経済的安定を願うことは、自然なことであり、当然とも言えます。おそらく、自分の幸せを願わない人などいないとすら言えます。キリスト教はこれらを否定するのでしょうか。

    ◇ キリスト教はご利益宗教?

    キリスト教は聖書のメッセージを土台としていますので、聖書が何といっているかが答えとなります。ところがその聖書は、一方では「自分の命を救おうと思う 者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ 十六・二十五)とあり、自己否定の道が示されております。しかし他方では「祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」(マタイ二十一・二十 二)ともあります。
    これらのみ言葉は矛盾するように見えますが、どちらも最終的には幸せが与えられるという点で、重なるところがあります。聖書 はある意味で本当の幸せがどこにあるかを伝える書物です。ある敬虔な牧師は、「キリスト教は、究極的には真の意味でのご利益宗教だ」と言いましたが、わた しも同感です。しかし、一般的に考えられているご利益宗教とは、多くの点で異なります。

    ◇ ご利益信仰と人格的信仰

    信 仰者の在り方という側面から比較してみましょう。いわゆるご利益宗教においては、世界の中心に自分がいます。自分にとっての利益を願い、良いと思えない 病、貧困、災害等を避けることを願います。ご利益があるならどの神でも構いません。しかし、聖書は自分を中心とした信仰の在り方そのものに疑問を投げか け、さらに警鐘を鳴らしています。ご利益信仰に潜むこの自己中心性そのものが、実は大きな不幸の第一歩なのです。
    それに対して聖書で伝えられて いる信仰の在り方はよく「人格的信仰」と呼ばれます。それは自分ではなく神を中心としていくことであり、神との人格的信頼関係を人生の軸としていくことな のです。病気や貧困などから守られることも祈ると同時に、そういった苦難を神からの訓練として、受けとめることを学びます。神中心とは自分の利益のために 神を利用するという生き方との決別をいみしています。

    ◇ 真の幸せはどこに?

    幸せを求めることは人間として自然なこと です。しかし、何が本当の幸せなのか、また人生から幸せを奪うものが何か知らないゆえ、多くの人は表面的には豊かになった社会のなかでもがいているので す。ヒルティーは「私は病気で幸福な人をたくさん見てきた。私は貧しくて幸福な人もたくさん見てきた。しかし心が罪で腐っていて幸福な人には会ったことが ない」と言いました。聖書は、罪こそ幸せを奪うものであると教えています。罪とは、神ではなく自分を中心として生きて行くその在り方(Being) を指し、罪の行ない (Doing) はその結果なのです。すなわち、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。ご利益信仰そのものの内に潜む罪こそ幸せを奪うものなのです。

    何が幸せなのかは人間には分かりません。これが私の幸せだと思ってつかんだとしてもその瞬間に空しく消えていきます。真の幸せは追い求めて掴むものではなく、神の前に罪を悔い改めへり下る時、神がそっと与えて下さるものなのです。


    OMSウエストロサンゼルスホーリネス教会のQ&Aから
  • Q. 教会に行くには、どうしたらよいのですか?

    A. もし近くに教会があれば、思い切ってたずねてみてください。少し不安を感じる方は、まず電話で、その教会の「牧師(ぼくし)」に、礼拝や他の集まりの時間などを聞いてください。個人的に話をされたい場合は、やはり電話で訪問予約を取ることがいいと思います。