なぜパウロは天幕を作ったのか?Part 4

投稿者: Administrator on .

星を無効星を無効星を無効星を無効星を無効
 

パウロは経済的必要を満たすどんな選択権を持っていたのでしょうか?

彼は3つをあげています。1)多くの巡回哲学者達がしていた様に、彼は聴衆や改宗者たちからお金をいただくことができました。彼はこの選択を完全に拒否しま した。2)彼は友達やすでにある教会から献金をいただくことが出来ました。3)彼は自分の稼ぎでセルフサポートすることが出来ました。

第1コリント9章に、クリスチャンの働き人に対する送り手の献金の贈り物に関して強い議論を述べています。彼はペテロとその妻が長年にわたって教会のサポートを受けてきたことに関して賛成しています。

もっと昔に、イエス様はペテロに、その漁師の仕事を永遠に止めて、ただ彼の民を通して必要を満たしてくださる神に信頼を置く様にお召しになりました。(ルカ 5:1-11)イエス様が復活されて後、ペテロは彼の船に帰りました。イエス様は岸辺で彼とお会いになり、彼が人間だけを釣る漁師となる献身を新たにして くれる様にお願いされました。彼は3度も約束しなければなりませんでした。(ヨハネ21)何年も過ぎて後も彼はその献身に忠実に従っていました。彼は神の 民から経済的サポートをまだ受けていました。

第1コリント9章において、パウロは形成された教会や、彼の開拓した新しい教会からサポートを受ける使徒職としての権利について述べています。しかし同じ章で彼は三度も (12.15.18節)彼が1度もこの権利を用いたことが無いと述べているのです!三度もです!この手紙は彼の第三伝道旅行の最後に近いエペソから書かれ た物ですから、彼の三度の伝道旅行のすべて、そしてそれより以前の働きも含まれていると考えられます。

どうして彼は受け取ることが出来たのに教会からのサポートを拒否したのでしょうか。彼はそれを良いと認めていたのです。また職務上の問題も第一の理由ではありませんでした。ペテロは献金を受け取っていたのですから。

明らかに、パウロが働いた理由は経済的理由以上の理由からでした。2度も彼はこう言っています。彼は、福音の妨げとならないように働いているのだと。他の使 徒達はユダヤ人の間で働いていましたが、パウロは異邦人の中で働きました。もし彼がいたるところにいる公的な演説家として見られていたら、彼のメッセージ は疑いの的となったことでしょう。彼らはより多くの利益を得るために会衆を喜ばすような演説をしたり、続いて裕福な後援者からのひいきを得るために彼らの 気に入る説教をしたりしていました。

パウロは経済的に独立を保つことによって自分のメッセージの信用性を得ていたのです。彼は教会のどんな機関からも、またどんな裕福な後援者からも謝恩を受けていませんでした。

しかし二つの文章はこの結論に反対するように見えます。パウロはいくらかの献金を受け取っていました。ですから私たちは3つの質問をしてみる必要がありま す。1)どれくらいパウロは働いたのか?2)どのくらいの献金を彼は受けていたのか?3)いったいなぜ彼は働くことを強調したのか?

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良くある質問と答え

  • Q. 家内安全や商売繁盛を願う宗教はご利益宗教なのであって、キリスト教はそういうものとは違う、と聞いたことがあります。それでは、自分の幸せを願うことはいけないことなのでしょうか。(四十代、主婦)

    A.  家庭を持ち、大切な子供を育てる責任を持つ親として、健康や経済的安定を願うことは、自然なことであり、当然とも言えます。おそらく、自分の幸せを願わない人などいないとすら言えます。キリスト教はこれらを否定するのでしょうか。

    ◇ キリスト教はご利益宗教?

    キリスト教は聖書のメッセージを土台としていますので、聖書が何といっているかが答えとなります。ところがその聖書は、一方では「自分の命を救おうと思う 者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」(マタイ 十六・二十五)とあり、自己否定の道が示されております。しかし他方では「祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」(マタイ二十一・二十 二)ともあります。
    これらのみ言葉は矛盾するように見えますが、どちらも最終的には幸せが与えられるという点で、重なるところがあります。聖書 はある意味で本当の幸せがどこにあるかを伝える書物です。ある敬虔な牧師は、「キリスト教は、究極的には真の意味でのご利益宗教だ」と言いましたが、わた しも同感です。しかし、一般的に考えられているご利益宗教とは、多くの点で異なります。

    ◇ ご利益信仰と人格的信仰

    信 仰者の在り方という側面から比較してみましょう。いわゆるご利益宗教においては、世界の中心に自分がいます。自分にとっての利益を願い、良いと思えない 病、貧困、災害等を避けることを願います。ご利益があるならどの神でも構いません。しかし、聖書は自分を中心とした信仰の在り方そのものに疑問を投げか け、さらに警鐘を鳴らしています。ご利益信仰に潜むこの自己中心性そのものが、実は大きな不幸の第一歩なのです。
    それに対して聖書で伝えられて いる信仰の在り方はよく「人格的信仰」と呼ばれます。それは自分ではなく神を中心としていくことであり、神との人格的信頼関係を人生の軸としていくことな のです。病気や貧困などから守られることも祈ると同時に、そういった苦難を神からの訓練として、受けとめることを学びます。神中心とは自分の利益のために 神を利用するという生き方との決別をいみしています。

    ◇ 真の幸せはどこに?

    幸せを求めることは人間として自然なこと です。しかし、何が本当の幸せなのか、また人生から幸せを奪うものが何か知らないゆえ、多くの人は表面的には豊かになった社会のなかでもがいているので す。ヒルティーは「私は病気で幸福な人をたくさん見てきた。私は貧しくて幸福な人もたくさん見てきた。しかし心が罪で腐っていて幸福な人には会ったことが ない」と言いました。聖書は、罪こそ幸せを奪うものであると教えています。罪とは、神ではなく自分を中心として生きて行くその在り方(Being) を指し、罪の行ない (Doing) はその結果なのです。すなわち、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのです。ご利益信仰そのものの内に潜む罪こそ幸せを奪うものなのです。

    何が幸せなのかは人間には分かりません。これが私の幸せだと思ってつかんだとしてもその瞬間に空しく消えていきます。真の幸せは追い求めて掴むものではなく、神の前に罪を悔い改めへり下る時、神がそっと与えて下さるものなのです。


    OMSウエストロサンゼルスホーリネス教会のQ&Aから
  • 子育てQ 親が性教育をしようとするとき一番助けになるのは何でしょう。

    A.  結婚前の純潔と生涯続く互いへの忠誠の大切さを強く信じるキリスト教会こそが、同じ信念を分かち合う親たちの助けになるべきです。

    こ のような倫理観の歪んだ時代に、伝統的な道徳を見い出せるところは他にありません。キリスト教会の持っている信仰を最もよく体現しているのは教会そのもの です。今日のように聖書的道徳が攻撃されて、この働きを担おうとする教会が少ないことは残念です。一部の私立校では親の望むような性教育の助けが与えられ ます。
    しかし、そこでも時に全く無視されたり、不適当な扱いをされることがあります。それで必要な情報を与えるために公立校などでは不幸なことに親の意思に反する、行き過ぎた「性教育」が、時には幼稚園からなされることがあります。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • Q. クリスチャンになったらお酒やタバコは、やめなくてはいけない?

    A. クリスチャンになることは、「キリストへの信仰によって、罪のゆるしと永遠のいのちを受ける」という人間にとっての根本的な問題ですが、お酒やたばこ、パチンコなどは、その人の生活倫理や道徳の問題です。
    根 本的な生き方に、キリストによる新しい価値観と力を得るならば、その人の倫理や道徳も変えられていくことは事実ですが、お酒やたばこを止めることがクリス チャンになる条件ではありません。また、教会に行き始めたとたんに、すぐにそれらが無くなるわけでもないでしょう。それは、あなたがクリスチャンになった 後で、「心から止めたくなるかどうか」にかかっていることです。
    神は、あなたが願いを持つならば、不思議な力を与えてくださる方です。
  • Q 主人と私は、結婚前はどんなことでも、何時間でも話すことができたのに、結婚してみたら外食に出かけても何一つ話題がないのです。何がいけないのでしょうか。主人は何を考えているのか教えてくれないのです。

    A  多くのご夫婦が同じ様な経験をします。結婚前は絶え間なくおしゃべりしたのに、結婚後数年たつと話す話題がなくなるのです。

    プ ロポーズした後は、ある人々は自分の気持ちを正直にオープンに話すことに困難を感じます。この原則は、一般的に女性よりは男性に当てはまります。女の子た ちの方が、男の子たちよりも話す力において優れているという明白な調査結果があり、この違いは生涯変わりません。簡単に言うなら、女性は男性よりもよく しゃべるということです。

    通常、妻は自分の気持ちや考えを夫よりもずっと上手に表現し、夫の無口さにしばしばいらだちます。神は、女性に 一日50,000語を与え、夫には25,000語を与えたのかもしれません。夫が帰宅した時、彼は24,975語を使い果たしており、夕方にはうめくこと 位しかできません。夫がナイター中継にのめり込んでいる間、妻は残りの50,000語を使いたくて必死なのです。

    有能な結婚カウンセラーなら誰でも、夫が心のうちを妻に明かさないことが、女性の不満の最たるものであることを知っています。
    妻は、夫の考えていること、職場で起きたこと、子どもをどう考えているか、特に自分をどう思っているのかを知りたいのです。
    対照的に、夫はある事柄については話題にしない方が良いのだと感じます。これは妻の典型的な不満の例です。

    自分の悩みを夫に打ち明け、より良いコミュニケーションを計ろうと共に努力するなら、この問題は克服できます。それこそ、結婚生活成功の鍵です。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから