キリスト教についての質問と答え

聖餐とは何ですか?

投稿者: Administrator on . Posted in キリスト教について

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聖餐は洗礼を受けたクリスチャンが、イエス・キリストが私たちの救いのために肉を裂き、血を流して死んで下さったことを記念し、その体と血とをあらわすパ ンと杯にあずかる儀式です。礼拝の中でそれが行われます。礼拝において、説教を聴き、聖餐にあずかることによって、今も生きて共にいて下さるイエス・キリ ストと共に生きるのがクリスチャンの生活です。

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良くある質問と答え

  • Q. アーメンとは、どういう意味?

    A. アーメンは「その通りです。」「真実です。」という意味です。クリスチャンがお祈りの後でアーメンと言うのは、「このお祈りの通りです。」ということを宣言しているのです。他の人のお祈りの後でも、賛同の意を込めてアーメンと言います。
  • 子育てQ 息子の部屋をそっとのぞいてみて、何をしているのか確かめるのはどうでしょうか。親はそんなことをしたらいけないでしょうか。

    A 十代の子どもたちのプライバシーを冒してでも、両親が秘密に調査をしなければならないときは確かにあります。ある俳優が十代の娘が麻薬を使っていることを 発見したとき、この問題はメディアで広く話題になりました。問題がついに表面化した時、この母親は事実をつきとめる努力を怠ったことを後悔していると述べ ました。彼女は多くのトークショーに出演し、「ああいうケースの子どもたちは親に見つかった方がよい」という意味のことを語りました。プライバシーうんぬ んもさることながら、目の前で進行している犯罪行為を目をつむって見ようとしないことの方が問題です。
    息子さんのしていることを確認してくださ い。もちろん、親は自分の子供をよく知っているべきです。違法なことや自分の害になることなど全く興味がないという青年たちもいます。そういう子どもたち の部屋や私物まで調べるようにとは、私も勧めません。しかし物陰に隠れてはあやしげなことをし、おかしな友だちを集め、家の中では親を決して部屋に入れな いような子の場合は、私なら遅くならないうちに事実を確認する努力をするでしょう。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A
  • 「キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ1:25) とありますように、教会はからだにたとえられます。では教会の姿を次の聖句を読んで考えてみましょう。

    12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともでき ません。12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうに なりますが、12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(1コリント12:14-27)この聖句は人間のからだにたとえて教会の姿を言い 表しています。

    つまり、教会員のひとりひとりが重要な器官の役目を果たしており、どんなに小さな役目であっても、教会には必要な役目なの です。世の中では、偉い人や重要なポストに就いている人を重視します。しかし、「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなく てはならないものなのです」 と書かれてあるように、教会においては重要でないと思われる人こそ必要なのです。そして、キリストのからだは、キリストにあって、同じ考え方、同じ心の持 ち方、同じ態度を持っているのです。さらに、重要な事は「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての 部分がともに喜ぶのです」と書かれているように、苦しみと喜びを分かち合う人々の集まりだという事です。これは、イエス自身によって次の様に教えられまし た。

    13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合い なさい。13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ 13:34-35)

    イエスの愛が教会の人々の中に宿ります。 それゆえにクリスチャンはイエスが愛したように愛しなさいという命令を受けるのです。お互いに愛するとは、お互いに「深い同情心、慈愛、慈愛、謙遜、柔 和、寛容を身に着け、互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合い、主が赦してくださったように、赦しあう」ことです (コロサイ3:12-13)
  • Q. 本当に神は居られるのですか?

    A. はい、おられます。聖書には「初めに、神が天と 地を創造した。(創世記第1章1節)」と書かれています。神が私たち人間や、すべての自然界を創造されました。自然の神秘やコンピューターよりも精密な人 間の体が偶然に出来たと思われますか?神は存在され、あなたや私を愛してくださっています。