神はどんな方?どうやって知ることが出来る?

投稿者: Administrator on .

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Q. 神はどんな方?どうやって知ることが出来る?

A. ほんとうの神は、人間が木や石で作ったものではありません。人格を持たれる生きた方です。聖書は、まことの神は
(1)天地万物の創造者
(2)目に見えない霊なる存在者
(3)罪を憎まれる聖い神
(4)愛なる神
であると語っています。この神が、罪人である私たちを罪から救い出し、永遠のいのちと豊かな人生を与えるために、イエス・キリストを十字架につけて私たちの救いの道をつくってくださったのです。
誰でも、自分の罪を告白して悔い改め、イエス・キリストを救い主として信じるなら、この神のゆるしと限りない素晴らしい永遠の愛を受けとることが出来ます。
神を知る道は、聖書のみことばと心からのキリストへの信仰です。神を知るための修行や訓練、功績は必要ありません。

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良くある質問と答え

  • Q. クリスチャンになると死が怖くない? ほんと?

    A. 恐れや怖いという感情は、人間 の肉体に生まれついた本能的なものですから、クリスチャンになったからといって、無くなるわけではありません。しかし、キリストの十字架のあがないによっ て、永遠の滅びから罪のゆるしをいただいて、天国に行く確信を持つと、死の恐れに勝利できるのです。それだけではなく、天国で神との素晴らしい交わりを持 ち、先に天国に帰った家族や友とも再会できるという希望を持つことが出来ます。キリストを信じる時に、死の恐怖から解放され、希望と自由と平安を得ること が出来るのです。
  • 聖書の語る神様は、天地の全てを造り、私たちに命を与え、人生を導き、そして命を取り去られる方です。その神様が、独り子であるイエス・キリストを私たち の救いのためにこの世に遣わして下さいました。イエス・キリストは「独り子なる神」です。キリスト教はイエス・キリストが始めた宗教ではありません。イエ スをキリスト(救い主)と信じる宗教です。キリストは「開祖」ではなく、信仰の対象である神なのです。天地の創造主でありキリストの父である神と、独り子 なる神キリストと、そして聖霊なる神の三者であり、同時に一人の神である「三位一体の神」を私たちは信じています。
  • 子育てQ 子どもが巣立つときに、母親がうつ的になり「空になった部屋」を受け入れることができなくなることをよく聞きますが、わが家の場合はむしろ父親で、一ヵ月以上も意気消沈していました。こういうことはまれなのでしょうか。

    A. いいえ、よくあることです。最近の調査ですが、大学一年生を持つ189人の親に、子どもが家を出た時の気持ちを聞きました。驚いたことに、母親より父親の 方がこたえたというのです。米国ではこれを「空っぽの巣」症候群などと言いますが、映画「花嫁の父」(1950年)は、これがメイン・テーマでした。あの 映画は娘を思う父親への、心にしみる素晴らしい捧げ物であると思います。父親のジョージは、食卓で娘の婚約のニュースを耳にして驚きます。自分の耳を信じ られないのです。目をこする彼の前に、娘の赤ちゃん姿、次に10歳のおてんば娘、そして18歳の美しい娘盛りの姿が次々に現われました。娘はあっと言う間 に成長し、もう家を出ようとしているのです。もう自分は娘にとって第一の男性ではなくなったのであり、彼には悲しみの時が必要でした。
    なぜ男性が時に子どもの巣立ちをこれ程に悲しむのでしょうか。主なる原因のひとつは後悔です。あまりに忙しく働きすぎて、年月は矢のように過ぎてしまいました。そして新しい家庭を築こうとしている娘と、もう一度親子関係をやり直すには遅すぎることに気づくのです。
    子どもたちがまだ家にいるお父さん方に申し上げます。一緒にいることのできる、一時一時を大切に味わってください。この時は、またたく間に過ぎ去って行くのですから。


    FROM ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • 悔い改めてイエスの死と復活に預かるバプテスマを受けたものは、精霊を神の賜物として受けた、と上に書きました。 バプテスマは、言わば神と礼拝者が契約を交わす結婚式のようなものです。人はイエスを主と信じ、救い主として信じて、イエスの名によってバプテスマを受け るのです。 神がこれを認めてその人と契約を結ぶのです。その契約の証印が聖霊なのです(エペソ1:13)。 サルこれらのユダヤ人たちは、42節で述べられているように、 クリスチャンとして3つの重要なことを行なっていました。(1)使徒たちの教え(つまりイエスの教え)を忠実に守ることです。 教会の人々は、イエスに忠実に従う人々です。主の契約に預かる人は神の教えを学び、日々その教えに従って生きていきます。 (2)神に祈ることです。天地万物を創造した神がすべてを支配していることを信じ、その神の栄光が輝き、神の教えが教会内で実践され、またより多くの人々 が神を知るように祈るのです。 (3)パンを裂くとは、主の晩餐を受けることを指しています。主の晩餐はバプテスマと同様に非常に重要なので、しっかりと理解しておきましょう。 主の晩餐はイエスによって制定されました。 ぶどう

    22:14 さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。22:15 イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。22:16 あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」22:17 そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。22:18 あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」22:19 それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚え てこれを行ないなさい。」22:20 食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。(ルカの福音書22:14-20)

    イ エスの死を覚え、イエスの復活を覚える機会が、主の晩餐によって与えられています。クリスチャンは、主の晩餐のパンを受ける時、教会をイエスのからだ(こ の概念は次に説明します)として覚え、教会内での人間関係を吟味します。また、晩餐のぶどうの実のジュースを飲む時、 クリスチャンは神の救いの業と慈悲を思い起こし、神との契約を新たなる心を持って受けます。そして、主の晩餐は主イエス・キリストが復活された週の初めの 日(日曜日)に、主の復活を覚えてクリスチャンが受けられるものです。このように、教会とは罪ある者が悔い改め、イエスの名によるバプテスマをうけて神の 子供とされる人々の集まりです。そして、聖霊で満たされたクリスチャンたちが、神を唯一の神とあがめ、神の国民とされた人たちの集まりが教会です。そこに は神の御国、神の支配、神の権威があるのです。神の権威がなければ、教会自体に権威はありません。ですから、人間によって作られた伝統や規則などはない、 人々の集まりが教会なのです。もし規則、決まりがあるとすれば、神が制定したものだけです。