QTを方法 (2)
霊的成長の第1段階:クリスチャンの少年期 : QTの方法
QTを方法 (2)
I.デボーションは赤ちゃんがお母親の乳を飲むように、私たちが神様から得る霊的な食べ物です。
マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
2。ユダヤ人が出エジプトする時神様が天から食べ物を与えて下さいました。それが、マナという物です。
出16:4 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。
16:5 六日目に、彼らが持って来た物をととのえる場合、日ごとに集める分の二倍とする。」
16:31 イスラエルの家は、それをマナと名づけた。それはコエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
16:35 イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた。
3.デボーションの過程
形はありませんが、基本的な原則があります。デボーションの中に賛美、祈り、主との交わりを取り入れると良いでしょう。
主の御言葉が私たちの日々の霊的な糧になるまで、次のようなステップがあります。
1)御言葉を読む
御言葉を読む時、どこを読むかは自分で決めるか、主に求めて示されたところを読むと良いでしょう。人によって読む長さは違うと思いますが、8節―12節くらいの長さが適当でしょう。
§ 一回目の読み方
一回目は全体を理解するために読みます。文脈を追い、全体的な流れを知る事が必要となるので、素早く読み進んでください。
§ 2回目の読み方
2回目に読む前に、主にお祈りします。「この個所から、主が私に教えたいことを私の心に示して下さい。」とお祈りします。
二回目の目的は、主が今日あなたに語りたい御言葉を見つける事です。その個所は、決まったパターンはなく、一つの単語、一節、または一語の漢字かもしれません。
主が私に教えようとする御言葉は私の心に他の御言葉より強く感じられます。
2)黙想する。
§ 強く感じた御言葉に集中してその意味を主に求めます。
これから、黙想に入ります。強く感じられた御言葉をもう一度読む前に、「主よ、この御言葉は何の意味がありますか?」とお祈りします。
デ ボーションは聖書研究と違って、知識的に学ぶ事ではなく、主からの召し、啓示、知恵を受ける時です。ですから、正しいかを心配せずに、主から受けとってく ださい。聖書研究の時は「どのように?」、「正しいか?」という質問をしますが、デボーションの時には「なぜ?」「わたしの状況に合う主からの答えは何で すか?」と質問します。
その意味を求めるときには、色んな角度から、いただいた御言葉を観察します。その中で示された意味を自分の生活と関連付けます。
3)実行する。
§ 教えられた意味を自分の生活に適用する。
自分の生活に適用する為にお祈りします。「主よ、今、教えられた御言葉を私の生活に適用する為に、今日何をすれば良いですか?」とお祈りします。その祈りの中で示された事を自分の生活において実行します。
実行する時は、ただ、「聖書をもっと読む」「もっと、祈る」などといった、一般的な適用ではなく「1週間に1章を読む」「寝る前に5分間祈る」のように具体的な適用をします。
全ての事に心を込めて主の前に出る事が必要です。神様は私達の心の中心を見るからです。ただ、しなければいけないからする事は、宗教的な行いで、主を喜ばれる事になりません。
結論的に、毎日新しい主の恵みを体験する事が必要です。
哀歌 3:23-24 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。 主こそ、私の受ける分です。」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。