ゴスペルハウスについて

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ゴスペルハウスの今までのあゆみ

ゴスペルハウスの始まり

ゴスペルハウスは、2002年4月北海道中川郡幕別町札内で、幕別町でははじめてのクリスチャン教会としてスタートしました。当時、すでに開拓が始められた帯広東にある札内キリスト教会という教会がここに移り、同時に教会の名前もゴスペルハウスに変更されました。

現在、ゴスペルハウスは、十勝郡浦幌町にも毎週チャペルを行っています。

札内キリスト教会の開始式

札内キリスト教会は、1999年11月12日に開始式を持って帯広東7条南3丁目で始まりました。宣教師訓練センター(MTC)の奥山実先生がメッセージをしました。そして、帯広館内の先生方と共に開始式を持ちました。その時は、特別に賛美は、北海道リバイバルミッションで活躍された空知太栄光キリスト教会の銘形秀則先生が賛美を担当して下さいました。そして、日本ナザレン教団熊本教会の中出牧夫先生が司会を担当して下さいました。

開始式に参加された先生方は、帯広栄光キリスト教会の村田晃先生、アッセンブリー・オブ・ゴッド教団の吉田先生、聖公会帯広教会の寺本睦夫先生(現在は、退職されております)、救世軍帯広小隊、バプテスト教会などから参加されました。

代表者のご紹介

ゴスペルハウスの開拓したのは、私、アブラハム・リーです。韓国出身、アメリカ国籍で、1997年12月25日北海道に宣教師として来ました。

1963年2月7日韓国で生まれ

1981年ソウル中央大学校 食品加工学専攻 中央大学チャペルにあるSCM(Student Christian Movement)の活動に参加。SCMバイブルカレッジ受講。

1983年アメリカへ移住。

Orange Coast Collegeで、Business Information System(BIS)を1987年終える。

California State University of Fullerton(CSUF)でComputer Scienceを1989年学ぶ。

Biola University, Talbot Theological Seminaryで1990年神学を学びました。

その後、ハワイ島Konaにある、Youth With A Mission(YWAM)University of the Nations(UofN)で、1991年宣教師訓練学校を終え、宣教師として働きを開始しました。約5年間UofNで、宣教師として、宣教師訓練、そして、宣教師をサポートする働きをしました。

その中、家内澤田あゆみと出会い、1993年2月に結婚しました。当年12月に長男サムエル・リーが生まれ、現在まで3人暮らしをしています。

1995年に、ハワイを離れ、サイパン島で、アジア宣教団(Asia Mission Society)を創立し、日本の若者を訓練する企画を立てましたが、1995年10月札幌のために1ヶ月間祈りの旅をしている間、北海道へ導きを感じサイパンのすべてを処分して北海道に来ました。

1996年からは、アメリカのCalvary Chapelという教会で牧会訓練学校(School of Ministry)を受けるためにアメリカへ行った後、1997年12月25日北海道に定住することとなりました。

1998年1月富良野市で、半年間祈りの時間を持って北海道での働きを整えました。

同年7月に帯広へ引越し、1999年11月12日開始式を終え、教会開拓の働きをはじめました。

2002年教会の場所を幕別札内へ移動し、ゴスペルハウスという名前で開拓を継続しました。

2006年9月第2の開拓地、十勝郡浦幌町に与えられた2世帯住宅で2番目のゴスペルハウスを開拓初めました。

2011年5月からは、更別村での開拓を始めました。ここは、古い2階建ての住宅を購入し、全体的に修理をはじめ、手つくりの働き場を整え始めました。親子でコツコツ週末大工をしました。

私の障害について

1983年アメリカに移住してから2ヵ月後の4月20日のことです。突然、朝起きることが出来ず、大きな痛みが背中にあり、歩くことも出来ない状態になりました。当時、私の姉が看護士であったため、早めにUCI Medical Centerへ運ばれました。すぐにMRIに入りレントゲンを取り、背中の脊髄に出血の固まりがあることが解り、すぐ手術を行いました。手術は成功でしたが、期待された1週間後に普通に戻ることはありませんでした。そして、胸の下に麻痺が残り、車椅子の生活を始めました。病院で、2ヶ月の入院。そして、その後も、病院通いを2年半。その内に、ようやくワーカー(歩行器)を利用して歩くようになり、今までそのような状態での生活をしています。日本の障害者手帳には、1種2級という重度障害者です。

生まれつきの障害ではないため、それを認めるまでは時間が掛かりましたが、今は、障害は、自分の持つものとして、メガネのように障害を扱っています。いずれかすべての人は障害を持つようになりますので、自分には早めに来たわけです。また、自分の障害は、他の障害を持つ人との共感をもたらし、良い友人が沢山出来ているのは何より感謝なことです。

アメリカの有名なお医者さんから、「あなたは普通の方法では子供が生まれない。」と言われましたが、結婚したすぐ1993年12月に私たちの長男、サムエル・リー(澤田希望Sawada Nozomi)が生まれました。これも、一つの大きな奇跡です。私たちの結婚では子供がいないと思っていたので、長男の出産は、私たちの結婚の神様からの大きなプレゼントです。

活動:

  • 幕別町審議委員会委員 2000年~2001年
  • 幕別町社会福祉策定委員会委員 2002年~2004年
  • 幕別町教育委員会・生涯学習 韓国語講座講師 2003年
  • 有限会社アムス 取締役社長 2001年~現在
  • 帯広市IT情報科 ITアドバイザー 2003年
  • 幕別町教育委員会・生涯学習 韓国語講座講師 2004年
  • 幕別町都市計画委員会 2005年ー2008年
  • 幕別町社会福祉策定委員会委員 2005年ー2006年
  • 浦幌町町づくり総合審議会委員 2007-2008年

パブリシティー

  • 幕別町広報:  幕別町広報2002年11月 12ページ
  • 十勝毎日新聞: 2003年1月1日 SOHO支援者として
  • 北海道新聞: 2002年10月 SOHO支援ポータルサイトを立ち上げるなど
    2003年5月22日(夕刊、1面)SOHO支援事業としてなど
  • 北海道新聞: 2006年2月 十勝人(夕刊、1面)
  • 幕別町 町勢要覧 2006 笑顔 きらり 幕別町 P12

講演会:

  • 2002年 十勝IT産業のデメコムランドで、SOHO事業者としての講演会 at 帯広十勝プラザ
  • 2002年 IT活用をテーマに講演会 at North Land Hotel
  • 2003年 11月21日 十勝IT産業のデメコムランドで、メインスピーカーとして、「ITを活用した顧客サービスで勝負」というテーマで講演会 at 帯広十勝プラザ
  • 2006年5月、9月 音更昭和小学校5,6年生に韓国と韓国語の紹介・講演会などを行いました。
  • 2006年1月 江陵高校で 福祉課の皆さんに障害者の立場での国際的なお話をしました。
  • 2006年6月 足寄中学校で、韓国・アメリカの文化紹介・人生を語るのテーマで講演会を行いました。
  • 2008年2月29日 幕別町立小学校総合学習で、韓国と韓国語を紹介しました。
  • 2008年11月 浦幌町商工会IT講習会講師(IT利用の販路拡大):SEO対策の仕組みを学ぶことから検索エンジン対策を行うこととYahooオークションで出品することで、売り上げアップと知名度を高める。
 

ビジネスを通した宣教への導き

自分は、イギリスのHudson Taylorという宣教師の後をついで「Faith Mission」(すべての必要は主が満たしてくださる。だから、主の示したところへ行くことを惜しまない。)という精神を受け継ぎ、1991年から1995年の5年間YWAMの宣教師になることを決めました。

ところが、1995年10月いっぱい北海道の札幌のために祈りをした後、神様は1996年1月23日札幌から帯広へ行く汽車の中で、「ビジネスと宣教を一緒にする。」という召しを受けるようになりました。その意味は、今になって初めてもっと良くわかるようになりました。

その後、帯広の教会で協力宣教師として働きました。その中で、色んな出来事がありましたが、もともとの私たち夫婦の願いは、日本から海外へ宣教師として出て行く祝福の元となる人々を育ちたいと思いました。そのために、1999年の夏、当時帯広畜産大学校の学生たち3人と共に、祈りの中に示されたインドネシアへ短期宣教に行きました。インドネシアに行きましたら、そこのクリスチャンたちは、すでにビジネスと宣教は、共存しているものであることを生活に実践しているのを目撃しました。中国人係のインドネシア人が多かったが、彼らは、牧師であっても、信徒であっても多くの人がアメリカでMBA(Master of Business Administration)という「経営学修士」の学びを終えていました。また、教会の運用においても、このようなMBAの学びのやり方を導入し、合理的な方法を実践していました。

また、1998年には、アメリカのシカゴで行われたテントメーカー(Tentmaker)のIntentカンファレンスに参加しました。日本から、当時共に同じ方向へ行こうとしていた、有志と一緒に参加しました。話が前後しますが、このカンファレンスを通して、なぜパウロが海外宣教をする時に自分も仕事をしていたのかがわかるようになりました。

1997年12月に日本に定住することを決めたのですが、日本で模範を見せてくださいと神様に祈りました。その時に、12月24日東京を経由している間に、文化オリエント社(現、GrapeCity)の当時社長であるPaul Broman(岩佐勝)氏と出会いました。当時、東京のVIP運動のリーダーの一人である、佐々木満男弁護士と堀井兄弟とアフリカから来た兄弟と共にお昼を共にする機会が与えられていました。その出会いの中で、自分が行くべき道は、ビジネスと宣教を同時にすることであることを決定的に確認できました。主の祈りの答えであることを心に深く感謝しました。

Staffのご紹介

澤田あゆみ(Sawada Ayumi)

一番大事なStaffは、私の妻、澤田あゆみです。彼女は、1990年四国学院大学で社会福祉学科を学びながら、KGKやHoly Clubに関わり、卒業した後、ハワイ島Konaにある、YWAMのUniversity of the Nations(UofN)で、宣教師訓練を受け、私と共に1993年から1995年まで、YWAMのStaffとして働きました。私のパートナーとして、いつも私を愛し、支えてくださる最も大事な存在です。

彼女は、考えの中にすでに福祉が入っています。そして、派手に見えるところより、隠れているところや社会から隔離されているところに目が届きます。私との結婚も、私の持っている障害をも問題にもならないで受け取ってくれました。彼女の助けがなければ、今はないと思います。

家内は北海道網走郡美幌町出身です。両親ともクリスチャンです。つまり、クリスチャンの家庭で育ってられたので、一般の日本人の持つ価値観とは大きく違うものを持っています。それは、クリスチャンの家庭で育ってられたことから、聖書的な価値観を持つからです。例えば、寝る前まで、言下などをしたら、必ず仲直りをすること。それから、収入の10分の1は、必ず神様の働きに献金することです。

彼女は、私とは正反対の性質・性格を持っています。私は、遠くの将来を描きながら、常に前のことを計画しますが、彼女は、目の前の1歩を考えます。また、彼女には周りが良く見えますが、自分にはすべて把握するのが大変です。その違いにより、多くの助言をいただけます。ありがたい存在です。

サムエル・リー(Samuel Lee)

2番目のStaffは、私たちに与えられた息子です。1993年12月14日ハワイ島出身です。現在、ホームスクーリングで、アメリカのカリキュラムに合わせて英語で勉強を進めています。自分で勉強の目標を立てて、自分で頑張って勉強をしていました。教材は、ACEという教材です。現在、東京、札幌などでよく使われています。

彼は、今まで私たちと毎朝晩、聖書を読み共に感想を分かち合いながら、聖書の学びを進めています。また、最近は、幕別町札内で、7人ほどの小学6年生たちに聖書のことを語りながら、楽しいときを持つようになりました。

2013年12月に自動車運転免許取得しました。二十になり、成人した大人として働きを共にしています。

サムエルの個人的なブログです: http://joyful7.blog135.fc2.com/

彼はやさしい心を持っていて、色んな人に好かれています。まー、親ばかかも知りませんが、いい子だと思います。

将来は、ビジネスと宣教を共にする人に成りたいとのことです。Like a father, like a sonでしょうね。o(^▽^)o

 

私たちの信仰の源

ゴスペルハウスは、ペンテコステ係単立のプロテスタント教会で、超教派的な考えを持っています。すべての聖書を教えるCalvary Chapelの影響と神様を知り、神様を知らせるYWAMの影響が二つの大きな柱となっています。

IFGF(International Full Gospel Fellowship)という教団と提携(Affiliation)関係を持っています。日本では、東京、大阪にIFGFの教会があります。1999年インドネシアへ短期アウトリーチに行った時、そこで共に働いた有力な教団であったIFGFとの出会いがあり、そこのリーダーであるJimmy Oentoro先生とのかかわりにより、この教団との提携関係が始まりました。IFGFでは、世界宣教部があり、World Harvestという働きがあります。ここから、ISOMオンライン神学校のすべての教材・プログラムを日本語化しました。

私は、韓国生まれですので、近所の教会は、DangIl Church(당일교회)という長老派の教会でした。ここで、1980年洗礼を受けました。高校3年生の時です。1981年大学校入学と共に、自分に一番大きな影響を受ける機会が与えられました。それは、中央大学校のチャペルで行われたSCM (Student Christian Movement)というクリスチャン大学生会でした。当時大学校経済学部教授でありながら、教会の牧師であった、Choi Jae Sun博士兼牧師先生の大きな影響がありました。生きた信仰のあり方、聖霊の体験、御霊の賜物、今も生きておられる神様の働きが存在していることなど習慣的に教会に通うことではなく今も働いてくださる真実な神様を学びました。このChoi先生は、現在SanSung(Mountain Forest)という名前の働きをしています。クリスチャンの世界観、聖書的な経済観、回復など20世紀のクリスチャン思想家である、Francis ShaffaerL’Abri共同体のような働きをしています。もう一つの大きな影響は、Youth With A Mission(YWAM), Koreaからです。毎週火曜日の夜には、「火曜ミーティング」というものがあり、そこで行った賛美は、とってもすばらしいものでした。神様がそこに共にいるような感じで、今もこの火曜ミーティングは、続けています。私は、そこでボンゴで演奏者の一人として毎週ワーシップをしていました。これが、私がYWAMを知るきっかけとなりました。

1983年アメリカ南カリフォルニアでは、Orange Korean Churchという教会で信仰生活をしていました。ここは、Christian Reformed Church(CRC)という教団でした。この教会を選んだのは、毎日の早天祈りかがあったからでした。生きた信仰を持つためになくてはならない大切なのは、祈ることですからです。祈りがあるところに主が働かれます。この教会では、最初は、自分の足で礼拝堂に出入りしましたが、2ヵ月後の障害が出来てからは、車椅子で礼拝に参加することになりました。地下室に降りる時は、友人が車椅子のまま運んでくれました。その有志たちに感謝しています。まだ、アメリカに慣れていなかったため、出かけることが難しいところでありましたが、この教会の大学部(Nazareth会)の皆さんの優しい配慮もあり、楽しく大学生の信仰生活を送ることが出来ました。この当時の先輩Ken and Jeannie Leeも、現在Christian Reformed World Missionsの宣教師として、東京にいます。

この教会の大学生の中には、IVCF(Inter- Varsity Christian Fellowship)The Navigatorsで活躍した人がいて、Navigatorsから出版された弟子訓練教材を用いて学びをしました。私たちが使ったのは、Designed for Discipleship(DFD)というものでした。また、その後、2:7Seriesというものでも学びをしました。聖句の暗記、毎週の小グループので分かち合い、互いのために祈りあう、そして、個人伝道などを行いました。後ほど来られた伝道師は、BiolaのTalbot Theological Seminaryの先輩である、Oh Jeong Hyun先生でした。彼もNavigatorの影響が大きく、Nazarene大学部の部長をやっていた私に、大きく影響をしてくださいました。彼は、南カリフォルニアサラン教会を開拓しまして、大きな奇跡を実現し、現在韓国でSarang教会の牧師先生として活躍しています。

その後、南カリフォルニアにもCampus Crusade for Christ(CCC)の韓国人支部が出来まして、StaffとしてこられたMr. Kang, Soon Youngとの出会いがありました。ここでは、Vision(ビジョン)についての大きな影響がありました。物事を大きく見ることと同時に、そのビジョンを実現させるために必要なことが何かを学びました。毎年、カリフォルニアの各大学校の韓国人学生たちが集まり、Vision1995などその年にVisionを掲げて、学生たちに新しいことを主から期待するように導いていました。CCCの創始者である、Dr. Bill Brightの証は毎年聞きました。韓国のCCC代表のDr. Joon Kon Kimも毎年、そのVisionカンファレスで、証をしてくださいました。私もCCCの中で南カリフォルニアのリーダーの一人として活動していました。カンファレンスに参加する人々の中には、頭の良い学生も沢山いました。

自分は、大学校を選ぶ時に、一番聖書研究会が弱いところに行き、それを強めることにしました。学力の強さや将来性よりも、主の働きがもっと大事であったので、聖書研究会がほとんど無くなる寸前にいた、Califorina State University of Fullerton(CSUF)へ編入し、Computer Scienceを学ぶこととなりました。ここで、聖書研究会のお手伝いをし、毎朝の早天祈り会をはじめ、毎日祈りとデボーションを導くようになりました。入学した時は、4人のメンバーがいましたが、卒業する時には、50人のメンバーがいました。他の大学の聖書研究会との合同活動などを企画したりしながら、多くの大学生とのかかわりを持つようになりました。

大学生活をしながら、CCCの集会に参加したり、AnaheimにあるVineyard Church(John Wimber師が牧会された時)の日曜日の夜の集会に参加しました。また、Calvary Chapel, Costa Mesaには、週日の礼拝に参加していました。

1996年には、Calvary ChapelのChuck Smith先生が指導しているSchool of Ministry(SOM)で、牧会学を学びました。Calvary Chapelでは、すべての聖書(創世記から黙示録まで)を1節ずつ教えるスタイルをとっています。聖書の権威を絶対的なエラー無しの神の言葉として受け取り、聖書の教えをすべて教えることを学びました。これが、現在、ゴスペルハウスの説教のスタイルとなっています。すべての聖書を教えることがとっても大事です。SOMの時の日本人の1年先輩が、日本でロゴス・ミニストリーを運用しています。

1990年12月には、IVCF主催の3年ごとに行われるUrbanaという世界宣教カンファレンスがあります。私もUrbana 1990に参加しました。アメリカの大学生が約20000人ほど集まり、University of Michiganの寄宿舎でとまりながら、大学生の深い神への愛、使命感豊かな集会です。最近のUrbana2009には、BUSINESS AS MISSIONというセミナーも行っています。時代と共に、ビジネスと宣教が同時進行するものとして、一般化されています。日本は、まだまだ理解されないままであるのが、悲しいけれども・・・

Urbanaから帰ってから、すぐ、Youth With A Mission(YWAM)での宣教師訓練を受けました。雪が沢山降っていたUrbanaからAlohaのハワイへ向かって1991年1月2日に出発しました。ここが、YWAMの創始者が住んでいるところで、すばらしい神様の器が通る場所でもあります。うわさから聞いたのは、ここは、小さい天国だということでした。実際に言ってみると、それに近いが完璧な場所ではない。しかし、世界を抱いて祈る場所であり、世界の人々のために自分の命さえも捧げる人々の集まりでした。互いに愛し、互いに励まし、互いにビジョンに向かって自分の人生をかける心の厚い人々が集まったところでした。自分が受け取った大事なことは、全世界を心に抱き、神様を知り、神様を知らせることが、クリスチャンとしてのすべてであることでした。神様の御声を聞くことを学び、何が自分の人生で一番大切なのかが解りました。それは、主が今日語る言葉に聞き従うことです。YWAMは、そのような生き方を自分で生き、それを進め、励まし、世界に人々を送り出す働きをしています。私たちの夫婦の原点がここにあります。宣教のスピリットを受け取りました。特に、未開拓地への宣教が私たち夫婦の心にあります。なぜなら、神様はすべての民族を愛しているからです。

私たちには、このYWAMが、私たちの心の故郷であります。宣教の動機は、神の愛です。それを行うのは、主が先に私を愛してくださったからであり、私のためにご自分の命さえ惜しまなかったからです。この主の愛が私たちに一度も主の福音を聞いたことのない人々に伝えるように心を動かしているのです。私たちをすべての民の祝福となるために、自分の成功や名誉よりも、キリストの十字架の道を喜んで選ぶことが大切に感じられるのです。

私たちの信仰のステートメントと価値観(Statement of Faith and Core Values)

ゴスペルハウスは、以下のことを信じます。

  • すべての聖書(新約・旧約)の言葉は、御霊により啓示されたもので、最高の権威を持ち、エラーのない神様の御言葉であることを信じます。すべての考え、行動は、最終的に聖書に権威に従います。 (第2テモテ3:16; 第1コリント2:13)
  • 永遠の神は、雄一の神で、その役割として天の父、御子、御霊で、人格を持つ存在であることを信じます。 (マタイ28:19; 第2コリント13-14)
  • 創世記において、人間は試みと堕落した存在で、自分の力では義を受け取ることの出来ない状況にあることを信じます。 (ローマ5:12, 18)
  • 主イエス・キリストは、すべての人の救い主であり、聖霊によりはらまれ、処女マリヤにより生まれ、完全な神で、完全な人間として生きました。(ルカ1:26-35; ヨハネ1:18; イザヤ7:14, 9:16)
  • キリストは、私たちの罪のために死なれ、葬られ、三日目によみがえられ、彼の弟子たちに個人的に現れたことを信じます。(第1コリント15:1-4; ローマ4:25)
  • イエス様が天に体を持って上られ、聖徒のために再び尊厳と権威を持って来られることを信じます。(ヨハネ14:2-3; 第1テサロニケ4:13-18)
  • 人の救いは人間の努力によるものではなく、神様の恵みによるもので、十字架で死なれたキリストの御業を信じる信仰と罪の悔い改めによって受け取ることが出来ることを信じます。(エペソ2:8-9; ヘブル9:12; ローマ5:11)
  • キリストの命令に従って、天の父、御子、聖霊の名によって水のバプテスマを受ける必要があることを信じます。(マタイ28:19; 使徒の働き2:34-36, 19:1-6)
  • 救いに続いて聖霊のバプテスマ受けることを信じます。(使徒の働き2:1-4, 8:14-17, 10:44-46; ガラテヤ3:14-15)
  • 初代教会のように御霊が与える賜物により主に使えることを信じます。(1コリント12-14)
  • クリスチャン信仰の表現として、この世から区別された生活をする、そして、神様を畏れる聖なる生活をすごすために聖霊に満たされた生活を信じます。(エペソ 5:18; 第2コリント6:14, 7:1)
  • 初代教会がしたように、神の不思議、しるし、癒しを信じます。(使徒の働き4:30; ローマ8:11; 第1コリント12:9; ヤコブ5:14)
  • 聖徒のために主の食卓、聖餐をもって主を記念することを信じます。(第1コリント11:28-32)
  • 聖徒が永遠の命を持つこと(ヨハネ5:24, 3:16)と不信仰のものの罰を信じます。(マルコ9:43-58; 第2テサロニケ1:9; 黙示録20:10-15)
  • サタンの存在とその使えるものたちが、最終に永遠の裁きを受けることを信じます。(マタイ25:41; 黙示録20:10-15)

ゴスペルハウスでの大切な価値観

1.神を知ること

2.神を知らせること

3.神様の御声を聞くこと

4.聞いた主の御声に従うこと

5.祈りととりなしをすること

6.次世代を常に考えること

7.繁殖すること

8.自分が先に実行し、それから教えること

9.家族中心に働くこと

10.国際的な視野を持つこと

11.常に新しい皮袋を準備すること

12.地域の必要を満たすこと

13.開拓の精神を持つこと

14.しもべ(Servant)としてのリーダーシップを発揮すること

ゴスペルハウスのビジョン

ゴスペルハウスは、1)日本に置いて教会のない未開拓の市町村に教会を開拓することを目指しています。2)日本の必要を満たすことの出来る、そして、代案を提供できる次世代のリーダーを育てます。3)日本においてテントメーカー宣教を啓蒙・定着させ、近代宣教のリーダーとして日本からテントメーカーを世界に送り出します。

目標(Goal)

上記のビジョンを達成するために、2013年9月に「ビジョンスクール」開校し、ともに働きながら、学ぶ共同体を始め、2018年9月には、その国際的な共同体である、国際ビレッジを立て上げることを目指しています。今まで、私たちがやってきたことをベースに国際ビレッジでは、ビジネスと宣教を同時にすることで、町の繁栄をもたらしたいと思いっております。その繁栄は、私たちの繁栄でもある事でしょう。

ビジョンスクール(Vision School) 2013年9月開校

日本は、どんな時代よりも現代になってから目的・目標を失われています。クリスチャンにも例外ではありません。中高生時代を通して、神様からのビジョン・召し・Callingを受けて、自分の賜物を生かした、自分のミニストリーやビジネス・教会開拓のチームワークなどに携わる若者を訓練することが、このビジョンスクールのターゲットです。しかし、若者でなくても、団塊世代、U-Turn者なども対象となります。クリスチャンでありながらも、自分の召しをはっきりしていないすべての人が対象となります。

ビジョンスクールは、神様の御声を聞き、神様からのビジョンを頂き、自分の与えられた賜物を生かし、それにふさわしい働きを展開するために必要な技術・過程を共に取り進めます。教会の働きに限らず、ビジネス・宣教・NPO活動、ソーシャルイノベーションなど幅広く学びをします。日本という国が社会的な構造が変えられるために、違った生き方を聖書に基づいて歩むことにより、新たな部類を人々を生み出します。

これが、ビジョンスクールの目指すことです。人々の神様から頂いた、元の目的を取り戻すこと。

国際ビレッジは、上記の結果生まれる国際コミュニティ・国際共同体・宣教の共同体・職の共同体・キリストの体です。

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良くある質問と答え

  • 「キリストのからだとは、教会のことです」(コロサイ1:25) とありますように、教会はからだにたとえられます。では教会の姿を次の聖句を読んで考えてみましょう。

    12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともでき ません。12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうに なりますが、12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(1コリント12:14-27)この聖句は人間のからだにたとえて教会の姿を言い 表しています。

    つまり、教会員のひとりひとりが重要な器官の役目を果たしており、どんなに小さな役目であっても、教会には必要な役目なの です。世の中では、偉い人や重要なポストに就いている人を重視します。しかし、「それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなく てはならないものなのです」 と書かれてあるように、教会においては重要でないと思われる人こそ必要なのです。そして、キリストのからだは、キリストにあって、同じ考え方、同じ心の持 ち方、同じ態度を持っているのです。さらに、重要な事は「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての 部分がともに喜ぶのです」と書かれているように、苦しみと喜びを分かち合う人々の集まりだという事です。これは、イエス自身によって次の様に教えられまし た。

    13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合い なさい。13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ 13:34-35)

    イエスの愛が教会の人々の中に宿ります。 それゆえにクリスチャンはイエスが愛したように愛しなさいという命令を受けるのです。お互いに愛するとは、お互いに「深い同情心、慈愛、慈愛、謙遜、柔 和、寛容を身に着け、互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合い、主が赦してくださったように、赦しあう」ことです (コロサイ3:12-13)
  • 家族Q 博士の中絶に対する考えは極端だという人たちがいます。近親相姦やレイプや生まれてくる子が障害児である時でさえ、中絶は許されないと言われるからです。そういう立場を取られる理由は何ですか。

    A  文字どおり母親の命がかかっているという稀な場合にのみ、人間は発達過程にある胎児の命を奪う権威を持つと私は思います。

    その理由は、次の単純な質問に基づいています。「母親の子宮にいる赤ちゃんと、産道を30センチばかり下りた赤ちゃんとどんな基本的違いがあるのでしょう。」もしあるなら、それは何でしょう。人の誕生のどの時点で、神は子供を人間であると宣言されるのでしょう。

    赤ちゃんが母体から離れることには、単なる原形質から永遠の魂を持った人間への変化を説明する、何か特別神秘的なものがあるのでしょうか。私はないと思います。子宮内の赤ちゃんも、数分後にこの世に生まれる赤ちゃんも、確かに神様は同じ愛をもってご覧になるのです。
    両者の唯一の違いは、人の目に見えるか見えないかです。

    こ の前提を受け入れるなら、産前であれ産後であれ、子どもを殺すことは同じように人の道に反します。肉体上の問題、知的な障害、また妊娠の理由はこの際関係 がありません。思いがけない障害をもって生まれた子をその場で殺すようにとは、中絶賛成派の急先峰であっても言いません。
    実際に、人並みの知的能力を持たないであろう新生児や、数週間しか生きられないであろう新生児を殺したら、当局から殺人の責任を問われます。子どもの状況がどれほど厳しくても、私たちには自然の流れに任せるという道徳的また法律的責任があります。

    同じように、私たちは、レイプや近親相姦による妊娠だったからと言って、たった昨日生まれたばかりの子を殺すことはしません。一旦生まれたなら、ことさらに命を奪うことは考えられないことです。
    そ れならば、母の子宮にいるからといって、なぜ「標的」にされるのでしょう。確かに、法律は生まれていない子と生まれた子とに違った立場を認めますが、その 場合は法律が悪いのです。このような区別をするべき生物学的、また道徳的な理由はありません。私たちがまだ会っていない小さな犠牲者の死ぬ過程を見なくて すむ時にのみ、胎児の虐殺は受け入れられるべきかに見えるだけなのです。

    ですから、欠陥があったり障害を持つ子どもの命を断つべきだとい う議論のすべては、以上の理解に照らして検討されなければなりません。「どっちみち死ぬんだから。」「生かしておいても本人が苦しむだけだ。」「親が苦し むだけだ。」「真っ当な人生を送る見込みは、まずない。」「関係者みなにとって、これがベストの選択だ。」など様々な言い分がありますが、この世に生を受 けた赤ちゃんに適用しようとすると、こういう言い訳が間違っていることは明らかです。

    新生児にシアン化合物を与えるべき正当な理由はありません。しかし、その数時間前、妊婦の陣痛がまだ始まっていない時なら、その同じ欠陥のある胎児、または誤って妊娠に至った胎児をばらばらにしてもかまわないと考える人たちがいます。

    私 は、その主張は断固として誤りだと思います。こういう見解は、哲学的また神学的に述べることは易しくても、実際問題として直面させられる親にとっては別問 題だということは分かります。特に気にかかるのは、レイプによる子を妊娠している女性です。言語に絶するうめきと苦しみとがあるでしょう。
    しか し、そのような母親でも、もし無事出産し、自分で育てるか養子に出したならば、決してその決断を後悔することがないことを私は確信します。生まれていない 子どもにとって正しく道徳的なことは、両親にとっても結局はベストなのです。私の意見に反感を覚えるする人はいるでしょうが、これは私が信じていることで す。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • Q. 救いとは何ですか?

    A. 主イエス・キリストにより、この罪(Q2)から救われることです。主は自ら十字架に架かり、血を流し、世のために命を捧げ、このことを成し遂げてください ました。主は3日後に復活され、罪と死の力に勝利されました。こうして神と人、人と人とが平和に結ばれる道が開かれたのです。救いはキリストの十字架と復 活に始まり、終末への完成に向かって今も働き続けているのです。神さまがこの平和が達成される日をキリスト再臨の日、終末の日といいます。
  • Q. プロテスタントとカトリックは、どう違うのですか?キリスト教の 派閥ですか。一致することはないのですか。

    A. 宗教改革以後、教会はローマカトリック教会と、ルター派、及び無数のプロテスタント諸教派とに分裂し、それぞれの伝統を形成し今日にまで至っていま す。(もう少し正確な説明が必要ですが、今日は省略しておきます。)いかに真理のためとは言え、本来一つであるはずのキリストの体なる教会が事実上、分断 されているのは、決して本来的ではなく、教会は一つのものであると信じられるべきです。このような中で、20世紀からエキュメニカル(教会一致)運動が起 こり始め、教派の壁を超えた対話や協力関係の模索が続けられています。また1999年にはカトリック教会とルター派との間で「義認の教理に関する共同宣 言」が交わされ、大きな前進を見せています。