ゴスペルハウスの活動

投稿者: Administrator on .

ゴスペルハウスは、日本における働きに以下のような働きを行っています。

1.毎週の日曜日のチャペル10:30AM: 毎週聖書を順番で7章ずつ学びます。2009年1月末に第2歴代誌34章まで行いました。これからも続いて7章ずつ解説とVerse by Verse(各節ごと)で学びます。毎日のデボーションを分かち合っています。http://gospel-house.com/bibletoday/

2.ISOMオンライン神学校(ISOM Online): 新しくクリスチャンになった後、霊的に成長するために世界のベテランの先生が自分の専門分野で教えてくださいます。日本のJTJ神学校も通信講座でありますが、ISOMにも,すばらしい講師陣がいます。

3.電道(E-vangelism): 21世紀のコミュニケーションも変化の時期を迎えています。インターネットという新しいマスコミが登場しています。これに相応しい伝道の方法として電道(E-vangelism)という新たな伝道の方法をご紹介し、必要なサービスを提供し、キリストの体が豊かになることや効果的に活動を行えるように支援する働きです。

4.テントメーカー(Tentmaker): テントメーカーは、職業と宣教を同時にすることで、パウロが取った宣教の形態です。パウロは、サポートを受けて働きをしたわけではありません。彼は、自分の手で働きながら、自分の必要を満たし、他の異邦人への模範となるために、そして、効果的な宣教の活動を行うために、ビジネスと宣教を同時にしたのです。このような働きをテントメーカーといいます。ゴスペルハウスは、はじめからテントメーカーを原則として働いています。日本においても、効果的な開拓の働きを行うためには、テントメーカーの働きが適していることを確信しています。

5.教会開拓運動(Church Planting Movement): アメリカの南部バプテスト教団の世界宣教部では、この教会開拓運動(CPM)を支援しています。日本語での解りやすい資料は、以下の二つの場所からご理解いただけると思います。

6.若者訓練学校(Youth Training): 次世代のリーダーを育てるために中学生・高校生、そして、以降の若者たちを訓練していくことは大事です。ゴスペルハウスでは、年に数回の約1週間から10日程度の集中学び会を行っています。特に、ホームスクーリングを行う人々が自分のビジョンを求めながら、ビジョンの必要性と同時に、そのビジョンを達成するために行うべきステップを学びます。また、将来の世界宣教に役立つために、また、21世紀の国際化に応じて各個人を整えるために集中型の英語スクールを開いています。毎年、夏には、国際サマーキャンプを行っています。2009年は、第7回目の国際キャンプとなります。

7.国際交流を通した文化宣教(Cultural Exchange and Missions): 1999年度には、インドネシアナイトを通して、インドネシアの文化を地域で紹介しました。そして、インドネシアの食・衣装などを公開し、共に食事をするダイナミックな活動を行いました。2004年から韓国のお母さんたちが訪れて今まで第6回までのキムチ講習会、料理講習会などを行いました。毎年の夏の国際キャンプには、今まで約10カ国を紹介しました。

8.海外宣教(Overseas Missions): 1999年インドネシアへの短期海外宣教を行いました。貧民街で食事配り、そして、祈りの働き、コミュニティを立て上げる働きなどを行いました。現在、ゴスペルハウスは、インドのネルー宣教師、ミャンマーのコング宣教師を経済的にサポートしています。ゴスペルハウスの10分の1は、上記の二つの働きに祈りとサポートすることでパートナーシップを持っています。

9. 田舎の町づくり(Community Development): 地元の浦幌町は、人口6000人を切るくらいの町ですが、小さい町だからこそ出来ることがあります。私たちは、身近にあるITを利用して販売ルートを開拓し、産業が伸びるよう、実際にサポートの働きをしています。この小さい町だから出来る産業作りに関わりながら、若者が魅力を感じるような働き場を作り出すことを目指しています。この町が繁栄することを祈っています。

10.創業・起業(Entrepreneurship): 上記した町づくりになくてはならない大切な働きである、創業・起業家精神を養うことは、田舎の町づくりには不可欠です。ゴスペルハウスでは、このような企業家精神を育てることに、大きな価値を置き、町の繁栄に直接関わっていきます。

11.子育てと家族への働き(Family Ministry): いじめ、離婚、犯罪など、多くの社会問題は、その始まりが家庭にあります。父から愛を受けたことがない、両親からのほめごとばを聞いたことがないという方々に沢山会いました。日本の社会形成の一番小さい単位である、この家庭を健康に築くことは、日本全体の健康にも関わります。聖書では家庭の原則が語られています。それを解りやすく説明していきます。

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良くある質問と答え

  • Q 妻として、博士のおっしゃる「男女の違いが」私たち夫婦にどれほど当てはまるか気になります。夫が私をどれほど必要としているかを、私自身が十分把握していないのでしょうか。

    A  恐らくそうだと思います。性的な欲求を除けば、男性が女性に自分の必要を告げることは大変まれです。男性自身が自分の行動形態を自分で分かっていないのか もしれません。簡単に言えば、夫が自信を持つためには、妻の助けが必要なのです。彼は自信がないように見えないもしれません。男は自分の不安をを隠すのが 上手なのです。一般的に夫は妻に「尊敬されている」ことを確認したいのです。それは、妻が夫に「愛されている」のを確かめたいのと同じようなことです。

    女性のこの重要な役割について、私の友人であるE.V.ヒル博士のよい実例があります。博士は、ロサンゼルスにあるバプテスト教会の黒人牧師です。ヒル博士 は数年前に奥さんを癌でなくしました。その葬儀で、良妻のジェーンにいかに助けられたかを彼は語ったのですが、私はたいへん心を動かされました。

    若 い頃、彼は牧師として生計を立てるのに苦労しました。彼は妻の反対を押し切り、なけなしのお金をはたいてガソリンスタンドの経営に乗り出したのです。夫に はこの事業を監督する時間も技量もないと彼女は感じていました。そして結果はその通りになりました。やがてスタンドは破産し、彼は無一文になりました。若 い牧師にとってこれは人生の危機でした。重要な企てに失敗したのですから、妻に「だから言ったでしょ」となじられても仕方がなかったのです。

    しかし、ジェーンは、夫の弱味を本能的に知っていました。それで、彼がスタンドはだめだったと電話で告げたとき、彼女の答は「いいのよ」の一言でした。

    彼 はその晩、帰宅する時、先見の明のない夫の投資に妻がふくれつらをしているだろうと覚悟していました。ところが、彼女は夫のそばに腰を降ろしてこう言った のです。「ねえ、私、計算してみたのよ。あなたは煙草も吸わない、お酒も飲まない、もし両方ともやっていたなら、今回なくしたお金はとっくになくなってい たはずよ。そう考えれば今回のことは差し引きゼロよ。忘れましょう。」妻の態度によっては、夫の自尊心は跡形もなく砕け散っていたかもしれません。特に失 敗と恥の日には、男性の自我は、驚く程もろいのです。ですから、先生は妻から「あなたを信じているわ。」という言葉を聞く必要がありました。そして彼女は 確かにそのメッセージを伝たのです。

    ガソリンスタンドの失敗から間もなくのことです。彼が帰宅すると家が暗いのです。玄関を入ると、妻がキャンド ル・ディナーを用意していました。「奥様、いったい今日は、何の日でしたかね。」と彼はおどけて見せました。「何となくムードを出してみたくて。」と ジェーンは答えました。夫もそれには大賛成で、洗面所へ手を洗いに入りました。電気をつけようとしましたが、つきません。寝室に入って別のスイッチに触り ましたが暗闇のままです。若い牧師は食堂に戻って、停電かと聞いたところ、妻は泣き出しました。「あなたは精一杯働いてくれているし、私もがんばったけど 先月の電気代は払えなかったのよ。キャンドル・ディナーにしたら、あなたに知られないでいられると思って・・・」今は亡き妻の言葉を語るヒル博士の声は震 えていました。

    「もし妻に『こんなめにあったのは生まれて初めてよ。電気を切られるなんて考えたこともなかったわ。』と言われていたら、私はすっ かり自信を失い、やる気をなくしていたでしょう。ところが、妻は、『電気はそのうちつくわ。今晩はキャンドルを楽しみましょうよ。』と言ってくれたので す。」ジェーン・ヒルさんは素晴らしい方です。

    彼女の多くの賜物や特質の中で、私が一番感心したのは、夫を励まし支える妻の役目をよく自覚してい たことです。現在E.V.ヒル博士は、影響力のある指導者です。彼が自信を得、それを保つために妻の助けが必要だったなどと誰が信じられるでしょうか。し かし、男とはそういうものなのです。われわれ男性は、特に若いうちは、自信がなくて悩むのです。私自身がそうでした。妻シャーリーのお陰で私は一人前にな れたのです。何度も繰り返し言ってきたことですが、自信に欠ける私を彼女が信じてくれ尊敬してくれたために、私は外で競いあい、努力し、冒険をすることが できました。

    私が何かを成し遂げたとするならその多くは、「私がついているからね」といってくれた妻の愛と献身との賜物です。あなたもご主人のために同じことができます。彼の必要を満たしてあげなさい。その効果は私が保証します。

    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • 子育てQ 子どもをしつける親が、最も犯しやすい過ちとは、どのようなものでしょうか。

    A .  私の見てきているところ、それは、親が怒りによって子どもをコントロールしようとすることだろうと思います。
    どんな年齢層を対象にしても、怒りで人を動かそうというのは最も非効率的な方法です。それなのに、多くの大人たちは子どもをしつけるのに、自分の感情的な言動に頼ろうとします。

    ある先生が、全国ネットのテレビ番組で言っていました。

    「教師であることには誇りを持っています。でも毎日子どもたちを教えるのは嫌で仕方がありません。生徒たちは全く言うことを聞かないので、教室の秩序を保つために、私は絶えず怒っていなければなりません。」

    明けても暮れても、嫌みで怒りっぽい先生を演じつ続けなければならないとは、何ともご苦労なことと言わねばなりません。

    しかし多くの先生方や親たちはそれ以外の指導の仕方を知らないのです。これは、疲れるやり方であり、そして効果がありません。自分自身がどういう風に人から動かされるかを考えてみたら分かり易いでしょう。

    今晩帰宅途中に60キロオーバーのスピード違反をしてしまったとしましょう。街角に警官が立っていますが、彼にはあなたを捕まえる方法がないとします。パ トカーも白バイも持っていません。肩章も拳銃も違反切符もありません。できることは、ただ街角に立ってスピード違反をしているあなたに向かってののしるこ とだけです。警官がこぶしを振り上げるのを見てあなたは減速するでしょうか?もちろんしません。そばを通り過ぎながら手を振って挨拶するかもしれません ね。怒ったからといって、警官は何もすることは出来ません。漫画のような話です。

    一方、バックミラーの中に黒と白の車が頭上に赤いランプ を回しながら近づいてくるのを見ることほど、スピード狂のドライバーをおとなしくさせるものはありません。路肩に停車すると、威厳があり、礼儀正しい警官 が運転席に近づいてきます。2メートルもあろうかという大男で、ローン・レンジャーの様な声をし、銃身をごく短く切った散弾銃を両腰に下げています。彼は 丁寧ながら毅然とした態度で、「お急ぎのところ恐縮ですが、レーダーよると制限速度40キロのところを、100キロで走っておられたようですね。免許証を 拝見します。」と言います。
    警官は革表紙の召喚状を開いてあなたの方に顔を寄せます。彼は敵意を表したり、非難をしたりはしないのに、あなたは即座に求めに応じます。まごまごしながら、気に入らない自分の写真のついた免許証を財布の中から取り出します。
    な ぜあなたの手は汗ばみ、口はカラカラなのでしょう。どうして心臓は喉から飛び出しそうなほど脈打っているのでしょう。それは、警官がしようとしている手続 きが不愉快極まりないからです。あなたのこれからの運転癖を劇的に変えてしまうのは、警官のこの一連の行動なのです。怒りではなく、懲らしめの行いが行動 を直すのです。

    実は、大人の怒りは子どもの心に破壊的な軽蔑心を引き起こすと私は信じます。子どもには、私たちの怒りは、事態をどうに も出来ない無能さと映るのです。正しいことを教えようとするのですが、効果がないのでやたらと手を振り回し、涙を流さんばかりにして実行もしない脅迫を繰 り返すのです。
    お聞きしますが、あなたご自身はそんな風に感情的な方法で法律を守らせようとする裁判官がいたとしたら、尊敬なさるでしょうか。答えを待つまでもありません。ですから、法律の世界は意図的に、客観的で、合理的で、威厳に満ちたものとされているのです。

    私は、親たちや先生方が正当な感情を子どもたちから隠すようにと言っているのではありません。あるいは、全てをうちにしまい込んだ、応答をしない、面白味 のない、ロボットの様な人間になれと言っているのでもありません。子どもたちが侮辱的な態度を取ったり、不従順になることはありますし、私どもがいら立つ のは、無理のない場合はあります。そういう場合は、むしろ怒りを表現するべきです。そうでなければ、偽善者でしょう。

    私のポイントは、怒りがしばしば子どもたちの、行儀を直すための道具として意識的に使われるということです。しかしこれは効果がないばかりか、子どもの信頼を失うことにもなるのです。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • 聖餐は洗礼を受けたクリスチャンが、イエス・キリストが私たちの救いのために肉を裂き、血を流して死んで下さったことを記念し、その体と血とをあらわすパ ンと杯にあずかる儀式です。礼拝の中でそれが行われます。礼拝において、説教を聴き、聖餐にあずかることによって、今も生きて共にいて下さるイエス・キリ ストと共に生きるのがクリスチャンの生活です。
  • それでは、教会が具体的にどのような人々の集まりなのかを、共に聖書から考えてみましょう。 次の3つの特徴があります。

    (1)神と契約を交わした人々としての教会、

    (2)キリストのからだとしての人々、

    (3)神を愛し隣人を愛す人々。

    これらの3つの要素は神が制定したものです。私が作成したものでもなく、ある人間の伝統とか個人的な好みとか考えは含まれていません。 これらの要素を一つ一つ吟味してみましょう。