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有限会社アムス
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良くある質問と答え

  • Q 男性が女性を必要とする以上に女性が男性を必要とするものでしょうか。一人暮らしが上手なのはどちらでしょう。

    A 傑出した社会評論家ジョージ・ギルダー氏が、「男性と結婚」という古典的な著書で、この大変興味深い問題を扱っています。
    ギ ルダー氏は、男女がお互いのために作られており、一人では不完全であることを認めます。しかし、また男性よりは女性の方が一人暮らしに長けていると結論づ けます。ギルダー氏の評価は、一番社会的に問題をかかえているのは未婚男性だと言います。未婚男性の方が、未婚女性よりもはるかにアルコール依存、薬物中 毒、前科者また脱落者になる確率が高く、賃貸住宅は借りにくく、保険会社は契約を結ぼうとせず、ローンも組みにくいのです。また、運転は荒っぽく、カッと なりやすく、衝動的です。もちろん、このパターンには例外も数限りなくありますが、未婚男性は多くの反社会的行動をとる恐れが大きいのです。また独身女性 と比べて、転職率はより高いのです。
    しかし、男性が結婚して子供を得ると彼の社会的な弱点は消えます。責任ある生活をし、勤勉に働き、将来の備えを始めます。自分の官能的欲望に負けないで、自制し、扶養家族のために犠牲を払います。
    こ の変化を昔から「放蕩三昧した」あとに「身を固める」と表現しました。もちろん私はあくまで一般的な言い方をしている訳ですが、この傾向は社会学の調査の 裏付けがあります。ですから女性には、歯止めがなく社会の脅威になりかねない夫の性的エネルギーに歯止めをかけて、家族を守り養う努力に変える力があるの です。
    この変化は、文化の繁栄のために決定的に重要です。結婚生活が崩壊したら社会は成り立たないというギルダー氏の言い分に、私も同意します。 家庭なしには女性は育児のための基盤がありません。不倫、中絶、結婚外妊娠は増え、子どもは苦しみ、薬物アルコール中毒は蔓延し、真っ当なビジネスは伸び ず、平和を好む市民が暴力と不法に取り囲まれることになります。確かに女性は男性を必要とします。しかし、それ以上に男性は女性なしにやってはいけないの です。


    ドクター ジェームス・ドブソンのQ&Aから

  • キリスト教は、イエス・キリストを神の子、救い主と信じ、キリストの父である神様を礼拝する宗教です。旧約聖書と新約聖書とからなる「聖書」を信仰の源泉 としています。 イエスをキリスト(その意味は救い主)と信じた弟子たちの群れが教会として歩みだし、約2千年の歴史を持っています。世界的に見れば、最も多くの信者のい る、世界最大の宗教です。
  • 家族Q 我が家の家計のやりくりには、もう少し収入がいるのですが、子どもがまだ小さいので、できることならば外で働きたくありません。何か他によい選択肢はありますか。

    A  子どもの面倒を見ながらも自分のペースで仕事のできる、ホームビジネスや内職を考えられたらいかがでしょう。

    可能性としては、軽作業を始めテープ起こしやパソコンの入力作業、翻訳、絵画、またはピアノ・生け花・料理・裁縫などの各種教室など、いろいろあるでしょう。

    どの仕事があなたに向いているのかを決めるのが、三つの実際的なステップの第一歩です。自分にはどんな能力があり、何が好みなのかを見つけます。

    第二のステップは、情報集めです。図書館などに行って、自分の選んだ分野をリサーチします。書籍、雑誌、新聞記事を捜します。あなたのしたいことをすでに行っている人達の話を聞きます。その分野の組織やネットワークに参加します。専門誌を購読します。

    第三ステップは、できる限り多くのサポートを得ることです。夫や子ども、そして友達にも助けてもらいなさい。小さくても、仕事を始めることはストレスが溜まりますから、できるだけ多くの励ましが必要です。

    もし家庭生活と収支合わせの板ばさみになっているならば、家で仕事を始めることは、その二つを上手にやりくりする最善の方法かも知れません。


    From ドクター ジェームス・ドブソンのQ&A

  • Q. 教会には、なぜ十字架があるの?

    A. ローマ時代、十字架刑というのは、もっとも恐 ろしい犯罪者への刑罰の方法でした。イエス・キリストは何の罪も犯されませんでしたが、約2000年前に 2人の強盗と一緒に十字架につけられました。それは、「私たちの罪の身代わり」であった、と聖書は語っています。十字架上でイエス・キリストが流された血 潮によって、私たちの罪はゆるされ、聖なる神の前で「義」とされるのです。
    そのことをいつも心に覚えて忘れないために、多くの教会には十字架がシンボルとして付けられていますが、十字架に手を合わせて拝んだりするためではありません。